エリミネートライフルの凶悪さはクリフも良く知っている。手甲越しとはいえあれを肩口にぶち込まれて、痛みで気絶するなんて当然のことだ。わかってはいたが、目を閉じた瞬間にひどい焦りを感じたのは確かだった。あのときあの瞬間はフェイトの方が冷静だったに違いない。あのあとすぐにラインゴット博士がビウィグに撃たれてさえいなければ、恐らく今も。
ミラージュが小銃型の注射器を打ち込むと、苦悶の表情がさらに苦しげに歪んだ。もうすぐ痛みも治まるだろうが、それまではひどく夢見が悪いに違いない。額から出た脂汗をマリアが拭った。
「勝手にやってきたとはいえ、助けられたうえに巻き込んでしまったのは事実だからね」
マリアの責任感の強さには頭が下がる。
ラインゴット博士のことで、彼女もかなり精神的にきている筈だ。それを欠片も見せないのはらしいと言えばらしいが、痛々しいといえば痛々しい。だがわざわざそこを突いてやるような真似は絶対にしない。それがマリアをクォークのリーダーに、と口にしたクリフの最大限の信頼だった。
「おいこら病人。勝手に歩き回ってんじゃねえよ」
未だ肩に医療シートを貼りつけたままの男を見つけて、わざと大袈裟に呆れた声をあげてやった。案の定鋭い目でこちらを見返してくる。右手に刀を掴んでいた。自分の記憶が正しければ、それは転送妨害装置を破壊したときにかなりボロになっていたはずだった。
「丁度いいところに来たな、阿呆」
「あん?」
「刀が振れる広い場所はねえのか。広けりゃどこでもいい」
「おまえなぁ、まだ治ってねえじゃねえかよ」
軽く傷口を捻って痛い目見せてやろうと思い、掴み取ったのは奴の左腕だった。先の銃撃でオシャカになったのと治療のために珍しくそこは手甲に覆われておらず、ただ無造作に包帯が巻かれているだけだった。
「うるせえ、寝てばっかいたら腕が鈍るんだよ。ムーンベースとやらにすぐ行くんだろう」
「なにもそんな焦るこたぁねえだろ。ちょっと寝てたぐらいで感覚がニブっちまうようなタチでもねえんじゃないのか、なぁ」
1にも2にも戦うことを口にするような奴だ。目の前にいるこのアルベルという男は。
自分もかなり喧嘩っ早い自覚はあるが、それはあれだ、頭に血が上りやすいというやつだ。その代わり冷めるのもかなり早い。それとは異質な執着だった。
「何もしてないのは性に合わん。体が動かせるなら問題ない、やれることをするべきだ。違うか」
「違わねえが」
そういうのは生き急いでるっていうんだ、と、口にしないのはした時の反応が手にとるようにわかるからだ。きっと一発来る。
アルベルとは、エリクールで成り行きに行動を共にすることになってから、何度かつまらないことで言い合いをしている。別に双方とも喧嘩したいだなんて思ってもいなかったのに、双方とも手が出るのが早すぎた。それでもクリフは喧嘩でアルベルを本気で殴ったことなどない。敵だったときは容赦なく腹に一発ぶちかましたことはあるが、それ以外で彼に本気の一撃を加えたことはなかった。
意識的な配慮というより無意識の手加減だった。そして、つまらないことだったのだ、言い合いの原因なんて。もともと考え事や思索を内側にため込まない性質の人間であったクリフは、宿の同室にでもなれば差しさわりないことはべらべらとよくアルベル相手に喋り倒した。それがうるさいといって奴が苛立つことからはじまることもあれば、奴の上から目線な態度にクリフがカチンと来ることもある。だがもっともつまらないのは、そうして自分が投げかけた他愛もない(と、自分では思っていた)はずの話題にアルベルが真剣な返事を返したときだった。
「お天道様の下歩いてっとよ」
寝台に仰向けになって転がりながら口を開く。
「頭ぶつける心配しなくていいから、気が楽だぜ」
「何当たり前のこといってやがる」
「大事なことだぜ?特に俺みてぇにでかいとな」
「ガキか、手前は」
「ま、つい最近までガキ大将やってたことは確かだな」
ここに来てからフェイトとずっと行動を共にしてきた。その中で、マリアに見ていた“子供”に対する目線を思い出した。いや、マリアよりずっとフェイトの方が気難しかったかもしれない。それでも自分がなにを口出しせずとも、彼は彼なりの成長を見せた。
マリアとフェイト、ふたりの子供を前にして二人に思うのは、選択肢という名の惨い呪縛だろう。決して進んで選んだわけではない道がそこにはあった。それでもその中で、彼らが選んだように、もしくは選ぶように自分が一歩引いたところで促し続けるのは、狡いことなんじゃあないのか?今更だが、そう実に今更なのだが。
エリクールに落ちてから一旦別行動をとったミラージュと再会し、自分が何気なく口にしたのはそれだった。
「ようやく反抗期が終わった気がしてな」
冗談めかしたのに、ミラージュはぴくりとも笑わなかった。
「そうですか」
「でももう流石にそんな歳じゃあなくなっちまったな」
「くだらねえ」
「お前も俺くらいになったらわかるかもしんねえぜ?」
「そうじゃない。くだらねえって言ったのはその手前のよく動く口だ」
言って、アルベルは寝台に寝ころぶクリフの顎を勢いよく右手でつかんだ。本当は首に焦点を定めていたんじゃないか、と疑るほど強い力だった。上から自分を覗き込む奴の表情を盗み見た。思った通り不機嫌そうだった。
「悪いが俺は手前の歳になっても、手前の言う限界なんてもんは絶対に理解なんてしてやらねえ」
「あ?」
「違うか。随分とまわりくどい言い方ばかりしやがって、大人気取りなんてダセェんだよ。生きるか死ぬかになったらもっとシンプルじゃねえか、阿呆」
長い前髪が垂れて、その下にある赤い眼がクリフの位置からよく見えた。辛辣な言葉とは裏腹に、そこには嘲りの類は込められていない。ともすれば、怒りだろうか、それも違う気がした。
「てめえはそうしてると上ばかり気にしやがる」
「そりゃあ…」
仰向けになれば嫌でも上向いちまうだろ。ああ違う、またわるい癖だ。尤も今は、顎を掴まれているのもあって、見えるものはアルベルの顔ばかりでそれ以外には何も気にできるものなどないのだが。
「そいつは嫌味なのか?」
「いいや」
「だったらなんだ、天井、船、手前の話はそんなんばっかだ。俺が理解しねえとでも思って気が緩んだか?手前の限界に線を引いて、満足しきらねえのに割り切った口利いて、」
だんだんと荒げる語気と同時に、こいつが予想以上に自分の他愛ない話を耳にしていたことに驚いていた。それだけ自分が無意識に口にしていたことと、それだけこいつが気のないフリをして拾い上げていたこと。
「手前は俺を惨めだって言いてえのか!!!」
呪詛のような恨みがましさはなかった。だからむしろ呆気にとられたまま、奴の顔をまじまじと見つめてしまったのかもしれない。最後に少し裏返ったその言葉は、自分に突き刺さるより前に奴を突き刺すものであって、クリフは至極素直に、不可思議におもうほどに素直に、申し訳ないことをしたと思った。何も言わずに腕を伸ばして、徐に頭を撫でたら跳ね除けられた。吐き出して少し冷静になったのか、するりとクリフの上から顔をあげたアルベルの赤い眼が再び長い前髪に隠れてしまったことを、ふと何故か残念に感じた。
結局あの後そのまま寝台に突っ伏して眠ってしまったアルベルに、朝方目が覚めたところを謝罪した。ら、殴られた。馬鹿にしてやがるのかと散々に罵られた。そんなんじゃねえよ正直に悪いと思っただけだと言えば押し黙った。ああこいつ、あちこち骨折しまくってるけど性根がひん曲がってねえんだ。他人なんて興味ありませんって顔しながら、黙りこくってばかりだから嫌でも他人の声をよく拾う。
ああいや、こいつのことはこいつが考えることだよな。問題は俺だ、今まで目を逸らし続けてきた自分。なおらないわるい癖。天井が見えるのなんて当たり前のことだったのに、何をそんなに気にしていたのか。所詮は自分も、子供を前にしてらしくなく年月を意識していただけだろう。
体力の落ちた体でも塞がらない傷を抱えても、刀がボロになっていても動くことを止めない姿はまるで手負いの獣だが、クリフはそれでこそアルベルという男だなと思う。この男の船は幽霊船のように穴あきで、たくさんのものを振り落してしまうのだろうが、それでも沈むまで大海を彷徨い続けるだろう。
「何を言っても今はきかねえよ。さっさと病室戻って休めってんだ」
「ちっ、手前に訊こうとした俺が馬鹿だった」
「おいこら」
図らずとも掴んだままだった左腕を引っ張ることになってしまった。一瞬アルベルの体が強張り表情が歪んだ。
「あ、わりぃ」
「離せクソ虫…っ」
「つかやっぱ痛ぇんじゃねえか」
そうなったらもう、あとは適当に引きずるだけで完了だった。医務室にいたミラージュがご苦労様ですクリフと告げるのを聞きながら、傷の痛みとクリフから逃れるために少々暴れた疲労で息の荒いアルベルが舌打ちをする。そのまま寝台の上に放ってやりながら、幾分かおとなしくなったその頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「お前はよくても、俺はよくないんでな?」
沈む様なんて見たくなかった。だからきっと、あの時柄にもなく焦ったのだろう。
死ね阿呆!という罵声を浴びながら、あとはよろしくとミラージュの肩を叩いた。はいクリフ、といつものように返事をかえしながら、彼女の手に握られていたのは注射器だった。医学に明るくないクリフにはその中身などわからなかったが、彼女の性格は知っている。強い鎮静剤でも入れられていたらアルベルもご愁傷様だなと思いながら、遠巻きになる奴の怒気を背中に部屋を出た。
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