足されたぶんだけ、失くすものがある




僅かに知り合いを通して付き合いを持っただけ。決して馬が合うわけではなかったし、和やかに会話を持てたためしもあまりなかった。首を傾けてやらなければ見えない程ちっぽけな姿だ。しかし宿る意思は立派に青年のものときた。それなりに悟りを得ているその存在は、扱い難く、また理解し難い生き物だった。

俺が拒絶するだろうという事は想定していた筈だ。都合の良い頼みごとだとはあいつにも自覚があったのだろうし、そうでなければあんなに下手に出た言い方を、平時の奴がする筈もない。幾ら見た目が幼子であろうと、意思は大人なのだから、それなりに矜持もあって当然だ。そして俺も、平時ならば聞く耳持たず、想定通りに拒絶をしていたに違いない。いや、そうしなければならなかったのだと今でも思っている。だが。

俺もついていっていいかと了承を望む傍らで、俺を見上げたその目は鋭く、決した意と共に執念を燻らせていた。ちっぽけな身体には不釣り合いな感情だった。俺はそれを認めて眉を顰め、僅かに逡巡した。知っている、その目を俺は知っている。記憶の中のそれよりもまだ澱みは薄いものではあるが、それでも頑なに曲がらない面倒な意思だ。結局、勝手にしろと吐き捨てるだけで俺はさっさと身を翻した。直ぐに細かな足音が背後に迫り、俺の隣、いやそれよりも二、三歩下がったところを共に歩み出す。

その日から、俺には奇妙な同行者ができた。








































ぱちり、と開いた目が捉えたのは、暗闇。やがて薄くぼんやりと目が慣れてきた頃に、隣の寝台の存在を認めた。野宿用の毛布を被った何かがその上で丸くなっている。変だな、宿なのになんであいつあれ使ってるんだ、と、未だ幾らか覚めない頭で思いつつ上半身を起こし、肩から何かがずり落ちてようやく理由に気付いた。

寝台の脇にまとめられた荷物を確認すると、三日に及ぶ山越えの旅で消費した道具や保存のきく食材やらが問題なく補充されていた。多すぎず少なすぎず偏りすぎず、思わず苦い顔をしてしまう程に完璧な中身から目を逸らすように紐を結んで、よろよろと寝台から立ち上がる。何故か妙な腹立たしさに苛まれて、掛けられていた布団を引っ掴み隣の寝台の上へと無造作に被せた。その下の生き物は寝苦しそうに少し呻いた。



僅かに空も白み出した時間帯に、宿の裏で適当に湯浴みをする。別に、水も湯も魔導で出せるので、この裏庭の、この井戸の近くまで来る必要は無いのだが、流石に宿の中を水浸しにしては後が面倒だ。ついでに衣服も洗い流して、それも魔導でさっさと乾かしてしまおうと作業をしていると、宿の主人が音に気付いて裏口から顔を出した。お客さん、魔導師だったんだねえ。まだ完全に夜も明けきっていないのに御苦労なことだと思っていたら世間話を振られて、仕方がないから気もなく返事を返した。



そんなに珍しいって程でもないんじゃないのか。いいや、この辺りではそうそう見ないよ。ほら東の方にでっかい山があるだろう。知ってる、其処を越えてきたからな。おや、そうだったのか。だったらわかるだろう、あれのお蔭で旅人も難儀してね。みんな遠回りしていくんだよ。成程、商売あがったりだな。そうだねえ、でも、まぁそんなに困ってもないんだ。少ないのは初めからわかっているんだから。



適当に相槌を打って聞いていたら、朝食の準備がどうのこうのと言う女の声がして、近くの大きな窓が開いた。食堂の窓らしい。気付けばもう陽も昇り、少しずつ表に出てくる人間も見えるような時間帯になっていたようだ。主人が慌てて宿の中に戻るのに続くと、丁度食堂から厨房へと移動するところだった宿の娘が、立ち止まり笑みと共に挨拶をしてきた。おはようございますお兄さん。昨晩はよく眠れましたか?晩御飯、代わりに保存のきく物を弟さんに渡しておきましたから、宜しければ道中でお役に立ててください。

……弟?

やたらはきはきと喋る娘だな、とか、さっきの大声はこいつのか、とか、保存食は確かに有り難いな、とか。重要な部分だけ拾っていた耳が慣れない単語を拾った。一瞬何の事かわからなくて思わず娘の顔を見たまま呆けていると、娘も不思議そうな顔をして首を傾げた。直後に、俺には今同行者が居たのだということにようやく思い当った。それも、あまりに頼りない姿をした小さな同行者が。









あれが勝手についてきただけだ。だから、俺にはあれを守る義務もなければ、面倒をかけてやる必要もない。俺にとっては居ても居なくても同じ。そんなわかりきったこと、言い聞かせてやらなければならないなんて思ってもいなかった。誰にって、自分に。この俺に。闇の魔導師たるこの俺に!

階段を上ろうと持ち上げた足が重い。ずるずると引き摺るように廊下を歩く。確かに、こんな風に枷にはなっていない。居ても問題ないように、俺から文句の一言も出ないよう振舞って、お望み通り俺には何のマイナスもない。そう、マイナスではない。当たり前だ、何も擦り減らしたものなんてないのだから。

部屋の前に立つ。ノブにゆっくり手を伸ばし、僅かに息を吐いて落ち着いてそれをがちゃりと回した。平静を繕って部屋に足を踏み入れれば、寝台の上できょろきょろと首を回す小さな影が、彷徨わせた視線をこちらにぴたりと合わせて、そのまま少しの間固まったのを認めてしまった。



まずい、と思えどもう今更だ。今更気付いて後悔したって出来るのは、見ないふりをするか、それとも思い切って腕を振り上げるか。何故ならそれは、擦り減らさないどころか其処に何かを確実に積み重ねていて、俺はその何かを少しずつ、理解しつつあったのだから。



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