酒豪は手に負えません
それにしても魔導師はよく酒を飲む。勿論、魔導力を回復するための酒は特別に醸造されていて、普通の酒とは別物だということは俺も知っているが、しかし幼いころから魔導師はこれを飲んで育ち、故に異様にアルコールに強くなるんだとかなんとか、道中で出会った行商人が言っていた。本当かどうかは知らない。でも、確かにシェゾはかなり酒に強い気がする。消費の激しい魔導力をすぐに回復できるよう、旅の最中はほとんど肌身離さず魔導酒を持っている上にそれこそ1日で四、五本、空にするなんて珍しくもない。しかも、普段からそれだけ飲んでいるにも関わらず、街に着いてからもかなり飲む。
酒というのは子供が飲むものではないというのが俺の感覚としてあったが、どうやら此処ではそうでもないらしい。だから俺が酒場の、座れば足も届かないカウンター席に座っていても咎めるような視線は受けない。受けないが、他に子供の姿が見えるわけでもない。居心地のわるさに少し身を縮めても、隣で既に五杯ほどグラスを空けているシェゾは知らん顔だ。先ほどから酒場の主人と何やら会話をしているようだった。次の街に行く途中に、かなり入り口がわかりにくいが地下遺跡へと続く洞窟があるらしい。地図を開きながら主人が示してくれた箇所を俺も隣から覗き見して、この距離だったら準備はいつも以上にしておいた方がいいな、なんて考えて気を逸らした。
その時、錯綜する人々の声の中から、一際悲壮に満ちた甲高い声が耳に届いた。思わず振り返ってその方を見ると、店の中央付近のテーブルを陣取った如何にもガラの悪い男たちが、一人の女性に絡んでいる。あの女性は此処の給仕だろう、先ほどから忙しなく店の中を動きまわっていたのを俺も見ていた。ガラの悪い男たちは先ほどからも背後で馬鹿騒ぎをしていて喧しいことこの上なかったが、今は更にタチ悪く酔った勢いのまま女性に目をつけてしまったらしい。
下卑た笑いと共に絡んでくる男たちに、女性は気丈に振舞って言葉を返し、そのままテーブルを離れていこうとするもひとりの男に腕を掴まれて引き戻された。男たちは女性に向かって声を荒げている。何を言っているのか、正確には聞き取れなかったが、表情を明らかに歪めた女性の姿を見る限り、良い状況ではないだろう。俺は、一瞬横目でカウンターの方を見て、丁度手の届くところに酒瓶が存在するのを確認した。中身が入っているかどうかは特に気にしなかった。素早くそれを掴み、丁度女性の腕を掴んでいる男に向けて全力で投げ放った。
それからの事は、まるで昨日の事のように覚えている。
「!?」
俺の投げた酒瓶は見事、男の頭に命中し、男は驚いて女性の腕から手を離した。その隙に女性はそそくさと男から距離を取る。ぶつかった酒瓶は床を転がり、たっぷり入っていた中身が男たちの足下に広がる。彼らは咄嗟にそれが飛んできた方向……つまり俺の方を見た。
「あのクソガキだ!!」
スキンヘッドの屈強な男が、真っ直ぐ俺を指差して叫んだ。酒で赤味の差した顔を更に真っ赤にさせ、ぎらぎらとした視線を向けて怒気を隠そうとしていない。
「てめえ、よくもやりやがったな!」
「でも、美味い酒で頭は冷えただろ?」
俺はわざと涼しい顔をして、男たちを挑発するように返事をした。相手は、俺の2倍は背丈のありそうなガラ悪い奴らが6人。恐らく近郊の炭鉱従事者なのだろう、見ただけでも腕力の差はかなりありそうだった。それもそうだ、今の俺はただの子供なのだから。それでも自分が売った喧嘩から逃げ出すつもりは毛頭なかった。
男たちが立ち上がり、拳を鳴らしたり肩を回したり、無駄に勿体つけて俺の方へ歩み寄ってくる。俺たちに喧嘩売ってタダで済まそうなんて思うなよ、と、これまた陳腐な文句をつけてきたものだから、首を傾げて、俺もタダで買われたなんて思ってないけどな、とわざとらしく笑みを浮かべてみせた。瞬間、一番近くに居たひとりの男が俺に殴り掛かってきた。明らかに素人の動きだった。大振りで、明確な目標を定めていない。俺は突き出された右こぶしの裏側に回るよう身を捩り、勢いづいた男の体をそのままカウンターの方へと促す。案の定、男はカウンター前に備え付けられた椅子に激突した。
様子を見守っていた他のテーブルの客の誰かが口笛を吹く。
「こ、こんの野郎!!」
次の男が殴り掛かってきた。それも軽く避けて少し距離を取る。
「俺、何にもしてないんだけど」
「舐めるなよクソガキがぁっ!!」
次は3人一遍にやってきた。さて、どの方向が都合いいかな、と見極めていると、突然俺は首根を掴まれて、ぐいと身体を引っ張られた。驚く間もなくその方向に引きずられる。咄嗟にそっちを見上げた。シェゾだった。どうやら主人に訊きたいことは全て訊き終ったらしい、唖然とする俺や男たちを意にも介さず、俺を掴んだまますたすたと店の出口まで一直線に歩き出す。
「ま、待ってくれよシェ、」
「おいてめえ!」
俺が抗議の声を上げる前に、男のひとりがシェゾの前に立ちはだかった。強面なスキンヘッドの男だ。恐らくだが、この男が6人のリーダー格なのだろう。他の男たちは、じりじりと俺たちとの距離を詰めながらも、スキンヘッドの男の動向を窺っているように見えた。
「てめえ、そのガキの保護者か?ああん?」
「…………」
「そいつが俺たちに何やったか、知らねえとは言わせねえぜ兄ちゃんよお!」
絡まれて、当たり前だが明らかにシェゾの機嫌が急降下しているのがわかる。正直俺の方が肝を冷やした。俺が自分で招きよせた事態だ、このままシェゾは外側に置いてさっさと終わらせたかったのだが、そういう訳にもいかない状況になっている。
「ガキがおイタをしたなら、責任取るのが保護者の役目だよなぁ!?」
スキンヘッドの男が動いた。シェゾに向かって殴り掛かろうとする。やばい、こいつは素人というわけにはいかないようだ。達人とまではいわないが、相当喧嘩慣れしていることは動きでわかる。
シェゾ、と叫び掛けたところで唐突に俺の首根は離され、俺はバランスを崩してよろめいた。すぐに床に手をついて体勢を整えて、今度こそ、シェゾ、と大きな声を上げて振り向いた、が。
「……ッ!?〜〜〜!!」
本当に一瞬だったらしい。俺がよろめいて、振り返るまでの一瞬。シェゾは男の拳を受け流してそのまま鳩尾を殴りつけていた。ミシッ……と骨の軋む嫌な音がして、呻き声ひとつ洩らさずにスキンヘッドの男がその場に倒れ伏す。騒がしかった店の中がしんと静まり返った。
「……ガキの不始末を俺がつけろ、だと……?」
静寂を鈍く切り裂くように、シェゾが極端に低く重たい声を響かせる。俺でも聞いたことのないほど恐ろしい声音だった。何かがおかしい、何がって、シェゾの様子が。俺は何故か、咄嗟に先までシェゾと座っていたカウンターの方へと視線を走らせた。
「ふざけたこと抜かしてんじゃねーぞ筋肉ダルマ。そもそも手前らがガキの目から見てもくっだらねえと思わせるような真似をしてたんだろうが。それは手前らの不始末じゃねーのか?ああ?自業自得の癖に逆上してガキの売った喧嘩に飛び付いて、挙句転がされたから俺にも責任取れだなんて、アホか?バカか?のうみそぷーなのか?言っておくが俺はこいつの保護者でもなんでもないし、風俗でもねえのに女引っかけようとしてるクソどもと関わり合うようなクソみたいに無駄な時間を過ごすつもりもねえんだよ」
口も挟ませない罵倒と共に、シェゾは倒れ伏した男の腕を踏みつけて蹴飛ばして他の男たちをゆるりと見渡した。誰も彼もが呆然とその様子を見ていたが、侮辱された男たちはすぐに持ち直し、シェゾに向かって飛びかかる。真っ先に飛び込んできた男の拳を軽く避けて、シェゾは左手を軽く男の脇腹に押し当てた。その瞬間、男は凄まじい勢いで元々自分たちが陣取っていたテーブルの方へと突っ込んでいく。頭からテーブルの脚に激突し、衝撃で酒瓶が上から落ちて転がった。やばい。普通の人なら恐らく判別はできなかったとは思うが、今のは脇腹に手を当てた一瞬に魔法を使っている。あれくらい僅かなものならシェゾは詠唱なんかしなくても発動できるのだ。やばい、物凄く大人げない。
「失せろウスノロ。話にならん」
「こ、こんのやろおおおおおおおおおおっ!!!!!」
次に飛び込んできた男は、シェゾに叩き付ける拳を突き出す前にシェゾに顔面を殴りつけられた。今度は別のテーブルに突っ込み、そこで事態を傍観していた客の悲鳴が上がる。
「聞こえなかったか?失せろと言ったんだが」
「うおおおおおおっ!!!」
「……その脳みそ、淫魔に食わせるくらいにしか使い道もなさそうだな」
「てめえ!!ぶっ殺す!!!」
「おいあんた、何こっちに飛ばしてんだ!」
「いいね〜〜〜!兄ちゃんもっとやれ〜〜!」
「見世物じゃねえよ。ふざけ、」
「ふざけんな!静かに酒飲ませろよおれぁ仕事で疲れてんだ!」
「だったら家で飲めよこのチキン野郎!」
「んだとゴラァッ!」
「やんのかゴラァッ!?」
「おい!喧嘩なら俺も混ぜろよ!」
俺は頭を抱えたくなった。喧騒が飛び火している。シェゾに吹っ飛ばされた男たちは、スキンヘッドのリーダー格を除いて皆怒り狂ってシェゾに殴りかかっては飛ばされるし、その被害に遭っている他の客たちも次々と席を立って乱闘に身を投じ始めた。どうしよう、一番に火を点けたのは間違いなく俺なのだが。そう思っていると、背後から肩を軽く突かれた。見ると、先ほど男たちに絡まれていた給仕の女性が、くいと指をカウンターの方へ向けている。
「もうあいつら、君のこと見てないから。かくれてなよ」
「…………」
手を引かれて、女性と共にカウンターの裏に身を潜めた。見ると主人もそこに座り込んでため息を吐いている。あの、えっと、……すみませんでした。俺は謝るしかなかった。しかし主人は静かに首を横に振り、構わんよ、どうせどいつもこいつも血の気が多いんだ、と、俺に向かってちょっと笑った。
「助けてくれてありがとね」
俺の隣で、女性も笑っていた。照れくささと申し訳なさが混ざって複雑な気分のまま、へらりと笑み返すしかなかった。
「ところでマスター、あのさ……」
「何だい勇敢な坊や」
「シェゾ……えっと、あっちで暴れてる銀髪のやつ、さっき何杯くらい飲んでました?」
「うん……?ウチでも特に強いやつを三本は空けていた気がするが……」
ああやっぱり。俺はようやく頭を抱えた。シェゾは少々短気ではあるが、あんなに饒舌に喧嘩を買うようなことは普段しないし、あの状況なら俺に全部押し付けて自分はさっさと退散していたはずだ。考えられる要因はひとつしかない。
シェゾは、珍しく酔っ払っているのだ。
「ククッ……ふ、ははははははっ!!」
やがて静まり返った店の中で、シェゾの高笑いが見事に響き渡る。俺は主人と給仕の女性とカウンターから少し顔を出した。店の中央にひっくり返った机の上に座り、足下に気絶したあのガラの悪い男たちを並べながら、シェゾが機嫌よさそうに笑っていた。そして次の瞬間ぐらりと体が傾き、衝撃と共に床に転がった。慌てて俺が駆け寄って覗き込むと、ひどくすっきりとした表情を浮かべたまま、シェゾは眠っていた。健やかに眠っていた。
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