幸福の第一歩は食事にあるに違いありません
野宿中の飯はすこぶる不味い。ロクな食材が手に入らないから仕方ないのだが、それでも不味い。特にシェゾが適当に用意した飯は、初めの頃は本当に異常だと思うほどに酷かった。シェゾは食事にあまり頓着していない。いや、宿で出された食事の味付けに多少文句をいう事はあるが、旅をしている間はとりあえず腹が満たされればいいらしい。加えて大変な面倒くさがりだから、手間暇かけて食事をするという概念がさっぱりないのだ。ただ燃費は悪いらしく、よく食べる方だし腹が減ると機嫌が悪くなる。
保存食に味の質を求めてはいけないことくらいは、俺だってよくわかっている。だから旅先で手に入る食材……主に、魔物の肉、なんかを、如何に上手く調理できるかが問題なのだ。ナマモノも、シェゾが魔導で凍らせて保存できるようにしてくれたりもするが、かといってそんな氷の塊をずっと持ち運んでいられるかと言えばそれは否だし、手に入れた食材はその日のうちに使い切ってしまうのが一番だろう。……という便宜の上で、鍋の中にその日手に入った保存のきかない食材を全て放り込んでしまうのがシェゾだ。味の取り合わせなんて気にしていない。調味料も適当だし、とりあえず味がつけばいいと思っているし、旅生活が長いからか食べられる草や肉の部位なんかには無駄に詳しいのだが、異様に胃が強い上に解毒の魔法も使える所為で、多少毒素が残っていても気にしないで口にする。初めの頃は俺もよくわからず一緒に食べていたが、2回腹を下して反省した。シェゾに合わせているとこっちの身がもたない。
長い森を抜け、ようやく街に着いて宿を取ると、案の定シェゾは部屋でそのまま寝てしまったため、やはりというかいつも通り俺は道具の補充に出かけた。宿も混み合っていたから少し疑問に思っていたが、どうやら街では催し物が行われていたらしい。他の街からの旅行者が団体で来ていて、いつもよりも活気があると道具屋の店主が嬉しそうに言っていた。と、いうことはその団体を護衛している傭兵たちも滞在しているのだろう。店が繁盛するわけだ。
相変わらずの大荷物を抱えて宿までの道をふらふらと歩いていると、突如、食欲を刺激する良いにおいが漂ってきた。思わず足を止めて四方を見回そうとして、誰かとぶつかってしまい、抱えた荷物がいくつか道に落ちた。気をつけろ!という怒号が聞こえて、ぶつかった誰かはさっさと立ち去っていく。慌てて落とした荷物を拾おうと屈み込み、手を伸ばしたところで別の手がそれをすいと拾い上げた。大丈夫かい、と優しげなテノールで話しかけてきた人物の顔を見上げる。礼を述べると同時に、あの美味そうなにおいがその方から漂っていることに気付いた。
旅装をしたその人は、俺がそのにおいを訝しんでいることを悟ったか、俺を道端のテントの下まで誘った。大きな鍋にスープが煮込んであった。鍋のまわりには、その人と同じ旅装をした何人かの人物が居て、一様に皿を携えて談笑している。優しいテノールの……恐らく男性であろうその人は、ひとつ皿を取り出してスープをよそい、スプーンと共に俺へ差し出した。少し逡巡したが、笑顔に後押しされて思わずそれを受け取ってしまう。ひとくち、恐る恐る口にしたそれは、驚くほど美味かった。
俺は思わず材料を訊いた。男性は丁寧に答えてくれた上に、紙にしたためてそれを俺に渡してくれた。見知った魔物の肉の名前が連ねてあった。あれは確か臭味がひどくて、俺は一度口にして吐き出したような気がする。その旨を思わず伝えると、簡単なレシピの束と一緒に幾つかの香草が入った袋まで与えてくれた。流石にそこまで、と思ったが、男性はにっこり笑って一言口にした。
大事な人に作ってあげればいいよ。
後になって気付いたが、多分あれは親兄弟のことを指していたのだろう。俺の見た目は、年端もいかないどころかまだ保護者が居て当然のもので、幾ら恰好が普通じゃないにしても、お使い帰りの街の子供に見えたに違いない。
次の野宿の夜、俺はシェゾが火を起こしている間、鍋に水を汲み片手の中に仕舞った一枚のレシピの紙を見ながら幾つかの食材を選んだ。荷物の前でもたもたしている俺を、シェゾが怪訝そうに見ていたが、視線に耐えて選び終わったそれらを抱え、今日は俺が飯を用意すると宣言した。文句を言われるかと思ったら意外にもあっさりとシェゾは了解した。どうやら俺が手にしていたレシピの紙を目に留めていたらしい。つまりその時点で、俺が何をしようとしているのか何をしてきたのかは、殆ど理解されていたということだ。
なんとかレシピ通りに作り上げて、最後に軽く味見をする。あの時食べたものよりも薄味ではあったが十分な出来だった。思わず喜んで器によそい、半ば押し付けるようにシェゾに渡した。シェゾは一瞬顰め面をしたが、中身を零さないよう受け取って、俺がはじめてあのスープを渡されたときのように恐る恐る口にした。その様子を俺は瞬きするのも忘れて見守った。喉が動いてしっかりと飲み込んだのを確認する。顰め面だったシェゾの表情が少しだけ緩んだのを認めて、俺は思わず両手拳を握りしめた。
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