足手まといという言葉をききたくありませんでした
これください。
片手にしまいこんだ小さな紙切れをひらり、横目で確認してから反対の手をぐっと伸ばして、棚の上段の瓶に指先を向ける。じゃらりという音と共に、店のカウンターに並べた硬貨と引き換えて麻布の袋を受け取り、軽く頭を下げた。坊や、お使いかい?偉いねえ。同時にかけられた言葉には、苦笑いを返すだけで否定も肯定もしなかった。
お使い?うん、まぁ確かに、そうかもしれないけど。
両腕いっぱいになった荷物は小さな身体には不釣り合いだった。それでも慌てず、ひとつも落とすことなく宿まで持ち帰る。丁度入り口に居合わせた宿の主人が扉を開けてついでに部屋まで一緒に来てくれた。荷物を半分持つとも言ってくれたが、もうすぐだからとそれは丁寧に断った。階段を上がって二階の端、二人部屋の扉を主人が開ける。真っ先に目に飛び込んできたのは、窓際の寝台の上に半端な恰好で転がって寝ているシェゾの姿だった。
俺がシェゾと共に旅をするようになってからそれなりになるが、あいつがまともに街で買い出しに出かけたところを見たことがない。日用品や食料、道具の残量を確認して、足りない分を補充してくるのはいつも俺の役目だった。確認すること自体は、もう習慣化しているから面倒だとも思わないし、必要なことだから買い出しを渋ることも別にしないが。今までひとりで旅をしていたのだろうに、そのときはどうしていたのだろう。と、考えて、いやひとりだったら自分できちんとするんだと思い当る。つまり、俺は今あいつに体の良い小間使いだと思われている。
その扱いに不満がないわけではないが、今のところ俺は、こんな雑用以外では全くの役立たずだ。街から街へ移動する際は、当然魔物も出るような道を進んで行くわけで。戦い方は知っている、背中に負った剣の握り方も、振るい方も、動き方もわかるのに、それに体がついていかない。今の俺は身の丈がシェゾの、……寝台の上で今盛大に寝息を洩らしている男の、胸にも届かないほど幼い子供の身しか持っていない。戦闘になったときは、とにかくシェゾの邪魔にならないよう立ち回って死なないよう努めるしかないのだ。当然だがシェゾは俺を魔物から守ったりはしないし、馬鹿みたいに強い魔導を放つ時も、俺が効果範囲に入っているかいないか確認なんてしていない。正直、魔物の攻撃よりもずっとそっちの方が厄介だった。
あちこちをふらふらと旅しているシェゾに、無理やりくっついてきたのは俺の方だ。元の姿に戻る方法、失くした記憶を取り戻す方法……それを探すためにも俺には情報が必要だった。しかし行商人や、シェゾのように旅をする魔導師以外では殆ど各街の間でのやり取りのないこの世界に於いて、一所に留まっていてはそれが集まることはないと知って、とにかく足を、足を使うためとシェゾに同行を申し出た。その時見上げたシェゾの表情はよく覚えている。いかにも迷惑そうに眉を顰めながら、同時に俺を値踏みするように見ていた。
買ってきたものとまとめて荷物を整理しながら軽いため息を吐く。自分に割り振られた扉側の寝台に腰を下ろし、向かいのシェゾへと目を向けた。瞼は下りているし、静かな部屋に寝息も響いているから、眠っているのは確かなのだろう。しかし寝るんだったらもうちょっとちゃんと寝ればいいのに、と言いたくなるほど、シェゾの恰好は中途半端だった。服は、マントと魔導装甲だけは流石に外して寝台の端に追いやっているものの、足は靴を履いたまま寝台の横に投げ出されているし、折角用意された枕に頭も乗せず、腕を寝台との間に挟んで代わりにしている。何故か気に入っているらしい額の青いバンダナは、やっぱり外されずそのままだ。疲れているのはわかる。もう3日も山道を彷徨って野宿を繰り返していたのだから、それは仕方ない。だからこそ、落ち着いて過ごせる街の宿でくらいはもうちょっとちゃんと休めばいいのに。ふと思い立って、自分の寝台の掛け布団を抱え上げた。そのまま起こさないようにそっとシェゾの寝台によじ登り、できるだけ静かにそれを肩に掛ける。本当はちゃんと靴も脱がせて枕の上に頭を置かせて、布団の中に押し込んでやった方がいいのだろうが、残念ながらこの幼い身ではこれが限界だった。起こすという選択肢はすでにあきらめている。シェゾは寝起きが非常に悪い。起こしたところで俺のいう事なんか聴きやしないのだ。
宿の人が晩ご飯を用意したと呼びにきても、シェゾは起きなかった。俺だけ階下に下りて、食堂で足の届かない椅子に座り、ひとりで食事を取った。宿の主人が見かねて話相手をしてくれた。君たちは兄弟かなにかなのかい?と大真面目な顔で訊かれて、俺は思わず苦笑しながらそう見えるかなぁと返した。いや、似てないねえ。おおらかで正直者な主人はそういって笑った。俺もつられて笑った。
結局最後まで下りてこなかったシェゾの分の食事は、代わりにと保存のきく食料を幾つか渡してくれた。お兄さんによろしくねと俺の頭を撫でた給仕のお姉さんは、恐らく宿の主人の娘さんなのだろう。俺は礼を言って頭を下げ、それを抱えて階上へ上がった。部屋は、食事の前となんら変わらず、やっぱりシェゾはそのままの格好で寝ていた。寝返りすら打っていない。寝息が聞こえていなければ、死んだんじゃないかと思っていたかもしれない。
軽く湯浴みをして身支度をし、睡魔が襲ってきたところで俺も寝台に転がった。掛け布団はシェゾにかけてしまったから自分の分はなかったけれども、野宿用の毛布を引っ張り出してそれに身を包んだ。流石に夜は少し寒かった。横になった状態で、向かいのシェゾの様子を窺って見たが、半端な体勢から動かない奴の顔はそこからでは窺えず、俺はやがてじわじわと眠りの淵に落ちていった。
目覚める直前に見た夢なら覚えている。夢の中の俺は元の姿を取り戻していた。魔物ともまともに戦える、荷物だってもっと運べる、兄弟だなんて間違えられたりもしない、……もっと役に立てるな、と、考えて、ふと違和感を覚えた。あ、でも元に戻ったならもう一緒に居る必要はないんだ。役に立てなくても、いいんだ。
……そもそも俺は、一体何の役に立ちたいんだろうか?
急に持ち上がった意識で目が開いた。気付けば、野宿用の毛布の上から掛け布団が乗せられていた。ちょっと重かった。その中でもぞもぞと動いて少し顔を上げれば、部屋の中にシェゾがいなかった。慌てて布団の中から這い出て部屋を見回す。やっぱりいなくて徐に足下の荷物の方を確認しようとしたところで、扉が開き、普通にシェゾが入ってきた。目が合った。寝起きで少し頭が惚けていたとはいえかわいそうな程狼狽えていた俺を、シェゾは珍しくきょとんとした顔で見ていた。
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