侵入者があった。恐らく暗殺者の類いだろう。珍しいことでもなかった。慣れてしまうのは些か苦いところであるが、速やかに対処が行われるのは決して悪いことではない。嬉しいことでもないが。
何食わぬ顔で短い刃物を抜いたそいつはすぐに叔父が取り押さえ、違う誰かがすぐに通報した。仲間がいる可能性があるからと何人かは屋敷の周囲をぐるりと回った。そのとき何かの箍が外れたのか、取り押さえられた男は暴れに暴れて一瞬片腕だけ拘束を解き、がむしゃらになって叔父から奪い取った刃物を投げたのだ。
咄嗟に体が動いた。投げられた刃物の行き先はすぐにわかった、部屋の中央で不思議そうな目で取り押さえられた男を見ていた少年の前に立ち塞がって、刃物を右手で受け止める。手のひらに鋭い痛みと、続けて生温い感触が広がった。一瞬顔をしかめてしまったが、この分だと毒の類は塗り込められていないようだ、ただの裂傷に終わった。再び二人がかりで押さえ付けられた男はしばらくして抵抗をやめた。事件はとりあえずの終結をみた。
「痛そうだね、ミュラー」
アーツで傷口を塞ぎ、水で血を洗い流して包帯を巻いたその右手を見つめて、少年は、オリビエは少し落ち込んだ声で言った。
「たしかに、しばらく剣は握れないな」
「左手ですればよかったのに」
「咄嗟だったから、思い付かなかった」
「それでも、痛そうだ」
やはりオリビエはあまり元気のなさそうな声でそう返した。ミュラーは包帯の巻かれていない左手の方をゆっくり伸ばしてその柔らかい金色の上に乗せる。まだオリビエの体は小さく、ミュラーより頭ひとつ以上も差があった。その低めにある頭に大人しくミュラーの手を乗せながら、オリビエはミュラーの右手を見ていた。その手のひらを見ていた。
自分が二十歳をすぎた頃、オリビエが怪我をしたと人伝に聴いた。子供の頃のようにヘタをして転んだとか打ったとか、そんな話ではないことはすぐに理解したが、耳を疑ったのは右腕で受け止めたという部分だった。
「どうやら刃物かなにかを右腕で払ったようでして」
急いで部屋まで赴いてやれば、やぁ親友、といつもの調子で男はにこりとする。だから遠慮も配慮もなく怒号を飛ばした。
「何をしていたんだお前は!!」
「うっ、もう少し怪我人を労るということをしたまえよミュラー。手負いのものから何かを聞き出すときは、優しく、諭すように尋ねるのが基本だろう?」
「お前と大人しく無益な問答をする気はない。答えろ、何をしていた」
「別になにも」
不自然な位置に移動していた椅子の上にはオリビエの愛用する導力銃が置かれていた。その脇に畳まれた白い布がわずかに赤く染まっている。
「・・・なにもしないで血糊がつくか、阿呆が」
つかつかと、寝台に座る男の方へ歩み寄って右腕を掴みあげた。
「ぁいだっ!?い、いいい痛いよミュラー君!怪我人には優しく!」
「裂傷だろう、痛くて当たり前だ」
「それにしたってその扱いは酷いだろうっ。・・・はっ、それとも今日はそういうプレイいいいだだだだだだ」
長い袖を捲って露にした腕にはきつく包帯が巻かれている。割合きれいに巻かれたそれは、恐らくオリビエ自身がやったのだろうと推測がついた。よく片手で器用に仕上げるものだと思うが、奴は昔から妙なことばかりが得意なのだ、本人がどれだけ意図しているかはわからない。
不意に、オリビエが笑った。
「どうした」
「いいや」
怒りもそれなりに形を潜めてきたところだった。危険なことはするなとはもう幾ら言っても無駄だと十二分に理解しているから、そのことをいつまでもだらだら説教する気は、自分もない。右腕を掴んだ手を離すと、掴まれていたところをわざとらしく擦ってオリビエは目を細めた。
「そうだねえ、痛かったんだよ」
「は?」
「君のようには平気な顔ができなかったよ、ボクは」
記憶の奥底からぼんやりとした光景が浮かび上がってきた。詳細は一切に覚えていない、幼い頃の些細な出来事だ。単にオリビエに向けて投げられた短刀を、咄嗟につかんで取っただけ。
それから何度もオリビエの身を庇ったことはあるが、自分も手慣れてくれば下手な怪我などしなくなった。よくもまぁそんな、覚えてもいないような頃のことをいつまでも気に病んでいるのか。
「痛いのが恐くて軍人などできるか」
「じゃあボクは一生成れそうもないな」
「・・・成る必要もない」
「ははは、それもそうだ」
笑っている。
おどけた姿で身を翻すのにもいずれ限界がくるだろう。危険なことは、とはもう言わない、言わないが。
(嫌ならやめてしまえ)
奴の望みを潰したいのでも折りたいわけでもなく、ただひたすら純粋にそれを告げてやりたい。見ざる聴かざるを貫けばと、しかしそれをしないのならと、ならば今さら自分に、問い質すような真似はしてくれるなと。
はやく治せ、と、あのときのように腕を伸ばして金色の上に乗せた。自分の方がやはり体格も背丈も優れてはいるが、もうあんなに小さくもないオリビエが、しかしあの頃から持ち続けたまま今もあるそのかたちを忘れないことがあるなら、尊んでやるべきだろう、たとえ自分だけでも。
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