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染みひとつない白いクロスをかけられたテーブルの上には、隙間を見つけるのが難しいほどに皿と食物が並べられていた。肉、野菜、果物など……大皿に盛ってテーブルの各箇所に置かれているものもあれば、椅子の前に一品ずつ置かれているものもある。入り口の扉の位置からそれを遠目に眺め、ああいつも通りだ、と心中だけで呟いた。踏み出した足に伝わる赤い絨毯の感触も記憶のものと相違ない。部屋の片脇に設置された大きな暖炉は火が焚かれ、冷え切った廊下とは温度差があった。そんな中で、既に上座の席に着いていた男が此方に向かって口を開く。
「やっと起きたか」
「手前がやったんだろうが」
「一瞬で終いにしてやっただけ有り難いと思え。もう少し長引いたなら足の一本は貰っていたぞ」
そう言うなら、本当にそうしていたのだろう。今更こいつ相手に足の一本なんて可愛らしいもんだとも思うが。
俗っぽく言えば魔王。魔族の実力者、曰く『闇の貴公子』、サタン。それがそいつを顕す名称。
魔族の契約
「……魔王?闇の貴公子?」
安宿のかたい寝台とは比べものにならない、上等で豪奢なそれの上で目覚めた俺に、ラグナスは、状況の説明を求めるよりも先にアレの正体を訊いた。てっきり無様を晒した間に話をしたのかと思っていたのだが、どうやらこの城へ転移された後はさっさと臣下の魔族によって部屋に押し込まれてしまったらしい。
「つまり、どういう奴なんだ?」
「魔族の中でもとびきり位が高くて力のある奴だってことだ。……俺が知ってるなかで、あいつ以上の魔族は今のところ居ない」
これからもアレ以上の奴だなんて、知って堪るかとも思ってはいたが。事実には感慨も含めず、淡々と告げればラグナスの表情が明らかな翳りを見せた。
「……それってかなりやばいってことだよな?」
「出来れば関わりなんて無い方が幸せだろうな」
「じゃあ何でシェゾはそんなやつと知り合いなんだ。お前が魔族相手でも偏見しないのは知ってるけど、それにしたって、相手は『魔王』なんだろ?」
その質問に答えるべきなのかには少し逡巡を経た。切欠自体はひどくくだらないものだったからだ。しかし特別隠す理由もなく、また、此処で俺が口を噤んだところであの口の軽い魔王は、或る事ない事織り交ぜて面白おかしくこいつに何かを吹き込むかもしれない。そうなるくらいならさっさと説明してしまって於いた方が良いだろう。僅かにため息を吐いてから、億劫さを隠さずに口を開いた。
「……アルル」
「うん?」
「あいつはアルル……いや、カーバンクルのもともとの主人……というか、持ち主だった」
「カーバンクルって、アルルといつも一緒に居る黄色いやつか?ぐーぐー言ってる」
「そうだ。アルルの奴がサタンのところから掻っ攫ったらしい」
「……へえ」
「で、廻り巡って知り合う羽目になった」
アルルとサタン……と、カーバンクルの関係自体はもう少し複雑な要素もあるが、其処は説明する気にもなれず必要な事だけを伝えていく。サタンは元来、非常に魔族らしく高慢で気まぐれだ。不可解な縁で知られた己の存在は、何かと都合の良いものとして奴に解釈されているらしい。迷惑な話だった。……その上で何かと抜け目のない、これまた魔族らしい狡猾さもある。甚だ理不尽で勝手な用件を持ち込んできた時は、此方が拒否しないように報酬や契約の内容を提示してくるのだ。性質の悪い相手だった。
「言い換えると、シェゾの臨時クライアントみたいなものか」
「……理解が早くて結構だが、その言い方は気に入らんな」
「でもギルドの依頼も受けないお前が仕方なくでも引き受けるんだから、実入りはいいんだろ?」
確かに、その通りだ。宝物として抱えている魔導具に、遺跡に関する情報、時に貴重な古代魔導書なんかも無造作に渡される。まるで不用品を処分しているかのような態度は癪に障るが、品自体はどれも一級品で、少なからず役には立つ。今まで請け負った仕事の殆どが報酬目当てで引き受けたものではあった。
「だが大概が無茶振りもいいところだ。今回も絶対ロクな案件じゃない」
「無茶振りって……」
「何の説明もなしに薬で眠らされて商品として貴族の家に売り飛ばされたり、地下迷宮で有名な古代都市の廃墟の地図を作らされたり」
「……」
「信じられるか?前者の時はご丁寧に魔力まで封じられて、魔導師だと相手側にもバレないようにされた上に、其処までした意図も知らされてなかったからな。とにかく屋敷で暴れ回って逃げ出したら、売り飛ばされた先の貴族の野郎が人買いどころか棲み処を荒らしてひっ捕らえた魔族まで飼ってやがったって、町中に露呈して打ち首だ。サタンの目的はその魔族たちを解放することだったらしい。全部終わったあとで文句言いに行ったら『何も知らない方が必死になるだろう』とかしれっと言いやがる」
半ば愚痴のようになってきたことに気付いて、其処で口ごもる。黙って聞いていたラグナスは呆気にとられたように瞬きを繰り返した後に、苦労してんだな、とか妙な気遣いを見せて苦笑いをしてきたので、とりあえず一発殴っておいた。だがまぁ、奴が相当にロクでもないやつだということはきちんと伝わったらしい。それよりも今回は一体どんな厄介な用向きで拉致するに至ったのか、それが気になって仕方がなかった。しかもこの餓鬼まで連れて、である。
俺が把握している限り、傍若無人なサタンの行いにも一定のルールは存在している。全くの無関係な者を巻き込むようなことをする時は、必ずそれを終えた後に何かしらの実りがあるように設定する筈だ。奴にとってそれはゲームに対する感覚に近い。ゲームだと仮定するには甚だ危険で迷惑な行為も、奴の判断では『遊びの範疇』になるのだろう。その『遊び』と、そうではない事案との線引きを見極めるのは難しいが、緻密で面倒で回りくどくも派手な演出を好むあのサタンが、少々雑で強引な手段をとってきた場合は、前者である可能性は低い。いつもの悪趣味なゲームに関わらないというのなら、奴にとっての不都合を解決する手足に使われることは間違いないだろう。
だとしたら、やはり取るべき手段はひとつだ。どんな内容を提示されても拒否すること。……拒否ができないなら、出来る限り自身に降りかかる災厄の芽を事前に摘み取ること。つまり、まずはとにかくあいつから話を訊き出すことが必要だった。
寝台に腰かけたままの状態で其処まで思考し終えて、次にやるべきことも把握したと床に向けていた視線を前方に戻してくると、ラグナスが非常に落ち着かなさそうに俺を見ていた。いや、見ていた、というと少し語弊がある、目はこっちを向いたりあっちを見たりと常に忙しなく動いていて、しかしその動きは明らかに、俺を起点にしている、という方がその状況を説明するには正しい。訝しんでなんだよと一声掛けると、うーんと唸るように腕を組んだ後、意を決したと言わんばかりに大きく頷いて、ようやく口を開いた。
「その、あの角のひと……ええっと」
「サタン?」
「そうそのサタンって人。……俺のこと知ってるみたいなんだ」
「……は?」
思わず、すっ呆けた声が出てしまう。
「よくはわからないんだけど、あのひと、お前が気絶したあとに俺に向かって言ったんだ。『異世界の勇者』って」
そして思わず、告げられた言葉を反芻した。異世界の勇者。実に耳慣れない言葉だった。
「シェゾは、あのひとと付き合い、長いんだよな?」
「長いって程じゃない。……今まで関わった奴の中で比べるなら短いとも云えんが」
「聞き覚えとかはないか?」
「無い。……お前を引っ掻き回す為に吐いた嘘と考えられなくもないけどな……それにしてもおかしいだろ」
デタラメを云いたいなら、もっとそれらしいものがあったはずだ。わざわざ『異世界の勇者』だなんて、明らかに何かありますと言わんばかりの態度をこいつ相手にとった。……知ろうと思えば、この世界の謎は全て知ることができるような身分の男である。当然、このちびが何者か……その背中に背負った剣に見合うだけの身体、其処まで成長したという自身の足跡そのものを、一体どこで失くしてきたのか……を、知っているという可能性は、十分に有り得るものでもあった……しかし、やはり不可解だ。
(勿体ぶるだけの理由があるのか?)
勇者とは確かに、大層な称号だが。伝承の中に聞こえがないわけではない。いや、むしろ各地に言い伝わる逸話の中で、所謂『光』に属する者としての勇者という存在は、かなり一般的な方だろう。
「……お前にも覚えのないことなんだな?」
「……記憶、ないから」
「そうだった。……しかし異世界か……」
どうやら、此処で考え続けても答えの出ない事のようだ。あとは、サタンに直接訊くしかない。俺から解答を得られなかった所為で、どうにも納得のいかなさそうな顔していたラグナスだったが、結局其処でサタンからの呼び出しが掛かり、話は、サタンの部下が部屋へやってきたところで一旦打ち切りとなった。
サタンは優雅に、ナイフとフォークで肉を裂いている。魔族には魔族の食事というものがあって、本来なら、人間と全く同じものを口にするなんてことは滅多にないはずなのだが。サタンは魔族の中でも相当な変り種だ。本人曰く10万年も生きているというのだから、何かと『普通』であることに飽きが来ているのかもしれない。同じように目の前に出されたそれを、端から三つに裂いて欠片を口の中へ放り込む。味付けも、鈍感な自分の舌がきちんと旨みを感じる上等なものになっている。ただ、以前無理やりこの席に座らされたときよりも、香辛の量が多くなっている気がした。今度は何にはまったんだか、と思っていると、
「東方のものだ。最近出入りしていた商人から手に入れたのだがな。美味いだろう?」
まるで頭の中を盗み見られたかのように、訊いてもいないことを返された。一気にうんざりとした気分になった。
「……そんなことより、現状の説明が欲しいんだが?」
「ふむ」
此処に入って食事を摂りはじめてから、既に三度目の提案になっていたが、三度目にしてようやくサタンがまともな反応を見せた。右頬で咀嚼した肉を呑み込み、ワインを一口味わったところで何の気もなく話し始める。
「いやな、私に仕事が入った」
「あ?」
「西の山地に居城を持つ上級魔族なんだがな。地霊たちに装飾具や魔具の類を作らせては、それをダシに様々なコネクションを築いている。力はそれほどでもないが、まぁ小賢しい奴でな。それが随分前にとある魔導師と密約を交わしたそうだ」
「……魔導師と?」
「いわゆる『魔族との契約』という奴だな。出来のいい魔具等と共に一部の秘術を教え、代わりに魔導師が集めた魂どもを受け取り、契約が切れたらその魔導師自身の魂もそいつのものになる、という、まぁ何だ、よくある話だったんだが」
其処まで話したところで、サタンが右手で引っ掴んだナプキンを持ち上げて軽く振る。それを見た給仕の女が、頭を下げて部屋を出ていく。廊下を行く足音が小さくなってゆき、部屋の周囲から人の気配がなくなったことを確認したところで、再びサタンが口を開いた。
「契約が直に満了になるという時に、魔導師の方が城にやってきたらしい。その際どういうトリックを使ったか、宝物殿からとある宝珠を盗み出したんだとか」
「宝珠?」
「首飾りに小さいのがくっついているだけのようだがな。あるひとつの魔導原理を刻みこんで、魔力を込め続ける限り半永久的に効果が続くとかいう。それもその魔族が地霊に作らせたものだったらしい」
「何でそんなメンドくさいもんを……何の魔導原理が組み込まれてたんだよ」
「排外の盾。要するに結界だ。宝物殿には城主しか入れないようにしてあったらしい」
「……なのに、結界の要自体が盗まれたってか?俄かに信じ難い話だな」
「まぁ無理もない。私も話のすべてを鵜呑みにできたわけではなかったからな。……しかしその魔族が、古い盟約に従って私に助力を求めてきた」
「まさか」
「そのまさかだ。流石の私もなかなかに驚いたぞ」
愉快そうに肩を揺らしているが、そんな悠長に構えていられるような事態ではないことは明白だった。盟約というのは、魔族間に存在する身分の高低を最も如実に表したルールである。身分の低いものは高いものに対して、礼儀と供物を尽くし特定の手順を踏むことで、その恩恵を一時的に受ける権利を得ることができ、そしてその契約を了承し礼儀と供物を受け取った身分の高いものは、それを果たす義務がある。
「……ていうか待てよ。何で引き受けた?受け取る前なら拒否できるはずだろう」
「私にも面子があるのでな。いや、矜持と言うべきか?」
「……頭下げにきたのはひとりじゃないってことか」
「流石に察しがいいな」
「黙れ。それで、俺に何をさせる気だ?」
笑うサタンを睨む俺の間で、ラグナスがひとり、話についていけないのか冷めたスープを啜りながら、あっちを見たりこっちを見たりしている。それでも奴なりに状況は見守っていたらしい。俺の質問に反応するように顔を上げ、スプーンを片手に持ったままサタンの方へと視線を固定させた。
「私は三日後、件の魔族の城へ入る。貴様には情報収集をしてもらいたい」
「相手方のか?」
「そうだ。先方が既に居る。明日にも合流して詳細を聞いてこい」
奇妙な指令だった。しかし首を傾げるよりも早く、サタンが再び手にしたナプキンの裾を指で示す。自身に宛がわれたそれの同じところに目を遣ると、文字が縫い付けられていた。丁寧に古代文字で、至極簡潔に綴られている。
「断ると言ったら?」
「なかなか貴様も学習能力がないな」
「そう思うなら、先に報酬を提示しろっていつも言ってんだろうが」
「なら今回は好きなものを勝手に持って行け。あまり時間がないのでな、別の役者を探すのは面倒だ」
「…………」
「どうした?」
「……いや」
幾つもの腑に落ちないことが脳内を転がっていた。話の筋は通っているが、やはり何かが正しくは示されていないような違和感。答えのひとつはその時既に、手のうちにはあったのだが、どうやら件の魔族と魔導師の関係のごとく拗れた案件であるらしい、という確信だけが募る。大仰に呆れたため息を吐いたところで、隣のラグナスと目があった。
(ああそうだった)
「おいサタン。こいつは預かっといてもらうぞ」
徐に、その低いところにあった頭を掴んでサタンに示す。サタンは特に気にも留めずに構わんぞと一言返すだけで、皿に一片残っていた肉をフォークで突き刺した。しかし俺のその言葉に目を見開いたのはラグナスの方だった。
「お、俺も行く!」
「足手まといだ」
「ならない!ならないから!」
手伝わせてくれ、と、演技も裏もなく本気で叫ぶちびを押さえつけながら、俺はサタンの表情を盗み見た。頬杖をついたまま、特別感情を乗せるでもなく、つれていくのか?預かればいいのか?と尋ねてくる。置いていく、と俺がはっきり告げると、そうかとだけ返して了承の意を示すように頷いた。
「ひとついいか」
「何だ」
「お前、本当に矜持だけで今回の件に首突っ込んだのか?」
給仕の女が最後に運んできたデザートを空にして席を立つ。丸めたナプキンで手を拭いて、そいつを横切った暖炉の中へと放り込みながら、サタンを振り返った。サタンはグラスに残った最後の一滴のワインを飲み干し、この上なく胡散臭い、引いてはいつも通りの笑みを浮かべてみせた。
「他に理由があったとして、どうする。事実は私が引き受けたこと、故に義務を果たさねばならないこと、そして時間がないから貴様を使おうとしていること。それだけだろう」
「…………」
「安心しろ。預かっている間にそいつが食われたりしないようには配慮をしてやる」
「別にそんなこと心配してねえよ」
「そうか?」
サタンを睨むラグナスを引き摺り、食堂を出る。はじめに此処まで連れてきた部下のひとりが再び俺たちを部屋まで案内した。扉を閉め、その足音が遠ざかり、気配を感じなくなったところでようやくラグナスが、なんで、と一言零す。俺は大きなため息を吐きながら、そこにあった適当な椅子を引っ張り出してどかりと腰を掛け、徐に口を開いた。
「提案がある」
「提案?」
「その前に訊きたいことがある。お前は何がしたいんだ?」
「え?」
「お前はどうしたい。俺は、考え無しにお前を留守番させようとしたわけじゃねえぞ」
「…………」
人質としての価値がないことは既に証明していた。今回の件にこのちびや『異世界の勇者』という単語が関わっているとも、今の段階では判断ができない。あの場でのサタンが「特に」そのことには触れなかったのも、もし俺が事前にこいつから話を聞いていなければ違和を感じることのないものだったはずだ。
「俺は……」
厄介な押し付けごとも、意味があれば価値が出る。サタンの真意をはかりたいなら、逆に、今の状況は生かすべきだと俺は判断していた。サタンは魔族だ。元来高慢で気まぐれで、……本当のことを言わない事も多いが、嘘を吐くことは無い。契約は守る。それが奴の言う『矜持』だからだ。
「俺は、俺のことが、知りたい」
静かに目を閉じる。その言葉を待っていた。俺は既にこいつとひとつの契約を交わしている。返事はせずに、ただ少し口角を吊り上げてみせた。それを見て正面の奴は、少し驚いたように何度か瞬きを繰り返した後、得心したようにへらりと笑い返した。
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