アクセラレイト シーン2
快晴だ、この上ない程良い天気だ。珍しい、この辺りは雲が多く昼間でも薄曇りであることが殆どだった。正直眩しいし暑いからどこかの建物の陰で涼んでいたい。しかし勝手に何処かで休めば間違いなく後で痛い目を見るだろう。
前方をゆらめく緑の長い髪が、視線を落としても視界に入る。僅かに顔をあげてその後頭部を睨みつけた。上機嫌で優雅に歩く、いつものむかつくサタンの姿だが、今はトレードマークとも言える角や羽根を隠してしまっていて、たったそれだけなのに別人に見えた。変装のつもりらしい。本気を出せばその呆れるほど強い魔力で、シェゾにすら悟らせないほど完璧な装いをすることが可能であるというのにそれをしないのは、これも奴の遊びの一環に過ぎないからだ。
それでもシェゾ以外にはサタンだとばれずに町を闊歩している。表の通りに広がっている市場のなかを、悠々と歩く場違いな客のことを周囲の人間は気にもかけていない。別段必要ともしていないようなものを買って、当然のようにシェゾに持たせてくる。なんで俺がと突き返しても結局は持たされるのだから段々押し問答するのも面倒になってきた。しかしとりあえず不本意であることだけは伝えなくてはならない、振り返った奴の顔を睨みあげるのだけは欠かさない。シェゾが不機嫌そうにすればするほど、サタンは機嫌よさげに笑んできた。
何軒目かの店の前で、サタンが店主と会話を弾ませていたときだった。丁度側面から小さな影がサタンの腰辺りにぶつかった。市場の人混みの中では珍しくもない光景ではあったが、そこに視線を落としたサタンの顔を見ようともせず、そそくさと早足に立ち去ろうとしたその影を、シェゾの手が捕らえた。
「おい待て」
薄汚れたマントの首裾を掴んで引き寄せる。僅かに締まった喉の苦しさに呻いて、影がシェゾを振り向いた。少年だった。まだ声変わりもしていないような幼い少年だった。
「出せよ」
少年を掴んでいない方の手を眼前に突き出す。少年が困惑で目を泳がせているうちに、サタンが歩み寄ってきた。
「盗人か」
「わかってたんならお前が捕まえろよ」
「いや、面白いことになるかなと思って」
明らかに怯えの色を湛えてこちらを見上げる少年の手には、女性物の髪飾りが握られていた。先に露店でサタンが買ったものだ。アルルに渡すつもりらしい。東方の妙な意匠に華美な見た目は、シェゾからすればあれの趣味ではないだろうなと思わざるを得ないが。
動かない少年に痺れを切らし、シェゾはその手から無理やり髪飾りを剥ぎ取った。そのままサタンの方へ差し出すが、当のサタンはじっと少年の顔を見つめて何やら考えている最中だった。
「ふむ。お前、何故これを盗ったんだ?」
純粋な疑問だったのだろう。少年は幼い顔立ちで女子に似るが、れっきとした男子であったし、髪も短く切り揃えられている。しかし、角も羽根も今はすっかり隠しているとはいえ、その高圧的な態度は幼子に畏怖を覚えさせるに十分過ぎたらしく、少年は顔を俯かせて押し黙ってしまった。
シェゾがため息を吐く。
「売れば金になるだろ。此処じゃ無理だろうが、西の方なら高くつく」
「なんだ、金が欲しかったのか」
サタンは財布を持っていない。髪飾りを買うときも、まるで服の裾から出してきたかのように空間転移で金を必要なだけ出現させている。
「それなら幾らでも渡してやるのに」
声音が完全に嗤っていた。その場で屈んで、少年と目線の高さを合わせ、その胸元に向けて両手を差し出す。平にした両手から金が溢れてきた。
「そら」
少年が目を丸くさせてそれを見ている。溢れる金を見ている。現実だと思っていないのだ。シェゾはもう一度ため息を吐いた。おいやめろよとサタンに一声かければ、首を傾げてこちらを見上げてきた。白々しい。
「何だ」
「だから、やめろって」
惨めだから。
奴もわかっている筈だ、わかってやっているのだ。もし此処に共に居たのがアルルなら、こんな馬鹿な真似はしないはずで、シェゾだからやっている。まるで試すように閃かせる。そんなもの、無視をすればいいのに、自分が無視できないことを知っている。
非難の意を込めた声は、一言だけで後は沈黙した。それだけで良かった。
「仕方ないな」
サタンがゆっくりと立ち上がる。それを合図に、手から溢れた金は幻のようにするりと消えていった。しかし消え入る直前に、そのうちの少量をシェゾは手に取って魔力を込めた。故に、それだけは影響を受けずに手の内にとどまった。
「見逃してやる。さっさと失せろ」
シェゾは屈みこみもせず、上から押しつけるようにして少年の手にそれを握らせる。少年が咄嗟にシェゾを見上げてくるが、無表情を貫いてもう一度冷たく言い放った。
「聞こえなかったか?失せろと言ったんだ」
一歩後ろにそのまま下がったかと思うと、次の瞬間には身体を背けて走り出していた。薄汚れたマントをひらひらとはためかせて、惨めな少年はそのまま建物の陰に見えなくなる。
「優しくしてやるなら、徹底的にしてやれば良いものを」
サタンがおかしそうに笑った。確かにその通りかもしれない。あの少年を惨めにしたのは自分になるのかもしれない。返事もせずに歩き出した。サタンも、黙って後に続いた。
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