優秀だ、と褒め称えられるに必要なものは、技術と自身を殺せる心だろうか。考え事をしていても、彼の放った苦無が狂うことはなかった。真っ直ぐ、茂みを飛び出した兎に向かいそれを貫く。兎はひとつ、ふたつと身を震わせて絶命した。足音を立てずに動かなくなったそれに近付く。丁度喉元あたりにずぶりと入ったことを確認して、耳を掴んだ。やはり動かないそれはなかなかの重さであったが、特に気にする素振りもなく歩き出す。手にぬる、という感触がした。ああ血だ、と見ると、腕から垂れ下がった兎から溢れる血が、彼の着物にもべっとりと付いていた。参ったな、持ちにくい。感じたのはそれだけだった。











これは今日の獲物だ。夕餉の材料にでもなるだろう。
彼にとって重要なのはこの兎を仕留めたという事実。
喉元に一発で当てたこと。それによって兎は間もなく絶命したこと。それだけである。



















やがて眼前に家屋がぽつぽつと現れ始めた。
ひとつひとつが独立していて家間はかなり空いているが、その造りの相似さや、その一見して計画性なく建てられている家屋の位置が、絶妙に外観から人里であることを隠されていることから、妙な一体感を感じさせる。山中に隠れるように存在しているそのまばらな家屋たちはしんと静かに佇み、人の気配を許さない雰囲気を醸し出していて、不気味であった。彼がその家屋たちの“見えない”境界線を越えると、音無く人の姿がはたはたと彼に寄ってきた。見ればそれは皆子供で、兎を垂らしている彼もまだ子供の域のだが、その彼よりもひとつふたつ小さな子供だった。その子供達は彼の腕の兎に見入る。表情こそ動かさないが、その視線が彼に対する賞賛を顕著に示していた。
やがてひとりの子供が、すごい、と口にした。それをひとつの合図としたか、子供達が次々にすごい、やった、みごとだと騒ぎ始める。彼はそれまでずっと無表情を貫いていたが、ようやくそれを崩し、子供達に笑いかけた。
「別にすごいことはないよ。みんなすぐに出来るようになる」
静かな声でそう言って、自身の唇に指をあてた。子供達はすぐにぴたりと騒ぐのを止める。満足そうに彼は頷いた。子供達はそれでも彼が仕留めた兎に夢中で、視線を逸らすことはなかった。特に、苦無の刺さった位置や刺さった向きなどを真剣に見ている。兎から溢れだしていた血は既に固まりかけており、更にこの兎が茶毛である所為か、もうあまり気にならないらしい。また、子供達は眺めるだけで決して兎には触れない。物理的な問題だけでなく、彼等はこの兎の亡骸が示す意味を理解しているのである。



そんな子供達に囲まれながら、彼は注意深く辺りを見回した。諸々の障害物の間を、素早く目線を動かして確認する。探し物は案外早く見つかった。彼の視界に入る家屋の中で、丁度その位置から重なって見えるふたつのすぐ側に、今彼の周りを取り囲む子供達と同い年であろうか、少女が立っていた。少女は南蛮人のような金の髪色を持ち、目にも金を宿していた。子供達の一部は彼女に気付き、あからさまに嫌悪を示した。わざとらしく反対側へ回るものもいた。少女はそんな者たちも含め、遠目でもよくわかるくらいに彼を睨み、彼から目を離さなかった。
彼は苦笑した。そして、出来る限り優しげな声で、

「おいでよ」

と手招きした。














ひとつ、特に目立つ程でもないが他の家屋よりも一回り大きな家屋から彼が出る。その扉の脇に、少女も立っていた。彼は、終わったよ、と声をかける。少女はやはり睨むような目で彼を見た。
「評価は」
子供特有の可愛らしい声で、しかし冷たくそう言い放つ。
「勿論」
まる、と彼は軽く口にした。少女の眉間に皺がきゅ、と寄る。そして彼から目を逸らした。
「…ならもう直ぐ任務に就くんじゃないか」
「じゃあしばらく帰ってこれないかもなぁ」
「…そうか」
共に歩いているのに距離を置いたまま。まるで大きな壁でも彼等の間にはあるかのように会話をする。
「……そっちは?」
彼は少女の頭のてっぺんから足の爪先まで眺めた。着物の間から見える白い肌の所々に新しい傷が見える。それは、彼の体にもそれなりに刻まれているものから、全く彼には縁遠いものまで様々である。失敗は、許されない。死を強く意識させられる罰を受ける。しかしそれで死ぬことも許されない。その罰に見合った罪を重ねることを強要される。彼は既に受け入れた。罪の分は生きなければ。少女の身に刻まれているものは、無実の象徴であった。それが指す皮肉を彼は当然知っている。
「…上手くいかなかった?」
長い沈黙のあと、彼は静かに尋ねた。否、声や言葉こそ尋ねるようであったが、実際にはもう答は分かりきっている、というような尋ね方であった。少女が気付かない筈がない。目に見えて表情が強張った。
「まだ、一匹も仕留められないかな」





次の瞬間、彼の頬で熱が弾ける。
「さっさといなくなってしまえ!」
少女の甲高い突き刺さるような声が響いた。さっ、と彼は表情を消す。赤みさした頬に触れ、しくじったな、と口元を拭った。少女はそのまま彼に背を向け、家屋の間へと消えていった。一人その場に取り残された彼は、何処を見るということもなく斜め上の空に視線を向け、息を吐いた。























優秀だ、と褒め称えられるに必要なものは、技術と自身を殺せる心だろうか。兎を仕留めたときに考えていた言葉を繰り返す。間違ってなどいない。だが、優秀だ、と言われることにどれだけの価値があるだろうか。だがそう評価されなければ自分は生きてこれなかったというそれもまた、事実に違いはない。或いは。まだ引き返せるかもしれぬ。突如彼の頭をそんな考えがよぎった。不可能だと否定してくる声が聞こえないものだから、そうであればいいと固まり始めた。























その数日後だっただろうか。一人彼はこの人気の許されぬ土地より出た。最後に見たのは、あの少女の恨むような表情。彼は知っていた。何の感慨も抱かずに生き物の命を奪えた自分と違って、少女はその尊さに惑っていたことを。これがお前の親だ、と言われても、その首を躊躇いなく跳ねれたであろう自分と違って、その場から逃がしてでも救ったであろう少女のことを。内心、憐れんでいたと思う。しかし、それは何処までも眩しい輝きで、或いは、とずっと考えていた。
しかし少女は彼が去った直後、とうとう罪を犯した。決して褒められたものではない大量の血を手に残し、彼女の輝きはとうとう光を失った。それを耳にした彼は、半分絶望した。どのように手を汚したであろうか。感情も抑制できないくらい不器用な少女だった。容易に行えたとは考えられなかった。彼は首を傾げて自身に尋ねる。感じたのは絶望、失望がなきしにもあらずか。自身が勝手に抱いたものに違いないと分かっていたが、ならば勝手に落胆しておこう。彼女もまた、彼と同じように一人あの場所を出る。










それは同時に、彼にとっての罪と罰でもあったことを、遂に彼が知ることはなかった。










やさしくない



昔、漫画でちょこっとかいてたのを色々付け足してみました。
佐すがの素晴らしいところは、双方気がありそうでなさそうでやっぱりありそうなところ。
もっと深めたい2人ではありますが、公式だけでお腹一杯な気もする。