時計の針が正午を指した。
アテナ、と控えめな声で呼び掛けると、白い天蓋の向こうから返事がする。それが柔らかに捲られて、女神が姿を現した。
「今日もよろしくお願いね、カノン」
僅かな段差の下で畏まる彼に女神は優しく微笑む。カノンはゆっくり顔を上げてそれを確かめ、徐に立ち上がろうとした。

「そうだわカノン。私昨日の晩に少し思ったの」
「どうしましたアテナ」
「出発まで少し時間がありますね?カノン、私と遊んでくれませんか」

女神が突然そんなことを言い出したので、カノンは少し戸惑い仕方なく再びその場に膝をついた。意図が汲めない。それに反してにこにこと慈愛に満ちた表情で、女神はカノンの返事を待っている。
「失礼ですがアテナ、どのような…」
「大したことではないのです。ただのちょっとした“ごっこ遊び”です」
カノンは益々首を傾げた。

「私は生まれた時から財団の“お嬢様”で…ああ、それは今もそうなのだけど、13になって“女神”にもなって……こうなったら私、いっそ“お姫様”にもなってみたくて。そうすれば“お嬢様”と“女神”と“お姫様”と女の子にとっては栄誉ある三冠を手に入れることができるのではないかと」

端から聞けば何と傲慢な、若しくは幼稚な話だと思われるだろう。しかしカノンは表情を和らげた。そう、“遊び”なのだ。お嬢様云々とかいう、そんなものは建て前で。アテナの表情がその全てを語っている。


「わかりました。アテナ、お姫様でよろしいのですね」
「聞き受けてくださるの?」
「勿論です。私は頭の堅いサガとは違います」
恐らく女神は、自分だから頼んできた。
カノンは海界への用事や聖域での仕事、前々から予定していた私的な用事のない時分にアテナから護衛の要請があった場合は、必ずといっていいほど請けるようにしている。
アテナに付き添って色んな場所に行けるという理由もひとつある(カノンは一所に留まっていられない性格なのだ。サガには『三十路間近にして落ち着きがない』と評されたが)。カノンはアテナに敬服していた。それは勿論の他の聖闘士達もそうだが、カノンはアテナが神だから、聖域の女神だから、聖闘士達の頂点たる存在だからといった様々に考えられる一般的な理由でアテナに頭を下げているわけではなかった。むしろ彼にとって聖域なんて、普段は非常に口汚い彼の言葉を使えば『くそったれ』だ。彼に聖闘士である誇りは微塵もない(この事に関してはサガだけでなく、ミロやアイオリアともよく口論になる)。
彼にあるのはアテナ、しかも今生の彼女ただ一人への、後悔にも似た深い忠誠だけだ。

そしてアテナもそれを知っている。知った上で、彼女はカノンが聖域を愛せますようにと願っている。彼女は些かカノンに甘かった。

「アテナも遊びたいときが御座いましょう。当然のことです」
「そうね、私まだ13ですもの。人としての人生は、まだまだ始まったばかりだし、知りたいことも、やりたいことも沢山あるし…一緒にいたい人も沢山いるわ」
「アテナ」
女神の笑みに陰りが差したのを見て、思わずカノンは呼び掛けた。反射だった。しかし女神は直ぐに元の優しい笑顔を浮かべて、大丈夫と口にした。


「では今から私を“お姫様”として扱ってくださる?」
「勿論です」
カノンは優雅に、自身の左手を差し出した。
「なら私は側仕えの騎士のひとりですね」
「あら、王子様にはなってくださらないの?」
「そんな恐れ多い。アテナには罪深い私なんかよりずっと相応しい王子様が居ますよ」
そう冗談めかして口にして、カノンは女神に笑ってみせた。


女神はこの時いつも、少しばかり感動をする。
サガとカノンは双子である。二人には共通の表情が存在した。大抵はカノンがサガの真似をしたものだが、時折無意識に全く同じ顔をしているときもある。
今、カノンが女神に向けるこの笑顔は、何処か悪戯めいていて子供っぽい、彼の素である。この笑顔だけは、サガには決してできないものであった。
逆にサガが浮かべる非常に嬉しそうで優しい、正に『神のような』笑顔は、幾ら真似てもカノンには決してできなかった。

女神は彼がカノンたるこの表情が好きだった。このとき彼は、本当に楽しんでくれているのだという感覚が、女神はただ純粋に嬉しい。



カノンはわざとらしく咳払いをした。差し出した自身の手に女神の手が静かに乗せられたことを確認し、深々と頭を下げる。
「参りましょう、姫様」
少し芝居がかった声でそう言って、カノンはゆっくりと立ち上がった。手はただ支えるだけで、手首や腕に何の負担もかからないように取られている。歩き出したその歩幅、速度は丁度よく、部屋の出口へ向かうまでのエスコートもほぼ完璧だ。これは意外な才能だわと女神はくすくす笑った。




「どうしました姫様、今日は大変ご機嫌がよろしいようだ」
「こんなに天気の良い日に外出できるのが嬉しくて嬉しくて」
「姫様が嬉しそうでなにより。私も嬉しゅう御座います」




扉の前まで早かった。ああ、もう少し遊んでいたかったけれど。時間が来てしまうようだ。カノンの手が女神から外れた。
「ありがとうカノン。私こそ楽しかった。今度はもう少し時間があるときがいいですね」
「何時でも喜んで」
「本当にありがとう。そして改めて、今日もよろしくお願いね、カノン」









プリンセスプリンセス
withカノン




カノン女神大好きです
カノンがとにかくアテナアテナっていってるのが可愛い。アテナもカノンにちょっと甘いのが可愛い。
女神様シリーズ増やしたいなぁ。