市場





いつの間にか周囲の人は増えて前に進むのもそこで立ち止まるのも困難になっていた。仕事の合間の僅かな休憩時間しか買い出しには行けないので仕方ないといえば仕方ないが、やはりこの時間帯に来るんじゃなかったと今更ラダマンティスは後悔する。
目当ての店はもうほとんど目の前にあるというのに。


「おい、あれじゃないのか」
声と共に、ラダマンティスの大体右斜め後方にあったカノンの頭が視界にひょい、と現れた。『あれ』というのが示すものはラダマンティスが求めているものと同義だろう。しかし、ああわかっていると返事をしようとすると、カノンは上体を前屈みにして前方の人と人の間を強引に割り入ってしまった。ラダマンティスはぎょっとした。
「おいカノ…!」
呼び止める声も間に合わず、あっと言う間にカノンは隙間の中に消える。ラダマンティスは慌てて人の頭越しにカノンの青い髪を探した。それは案外容易に、目当てのテントに向かって動いているのを確認できたが、みるみるうちに距離が開く。


…このままでは完全にはぐれる!

あまりやりたくなかったがやむを得ない、ラダマンティスも同じように人の間を強引に割り入った。左右から罵声が聞こえた気もするが、そもそもこの状況下で押すな踏むな等という言葉は最早何の効力も持ちはしない。場のBGMのようなものだ。

「カノン…」
ようやく背中を捉えて声を上げるが、四方八方から飛び出す別の声の重なりで、カノンの耳には届かなかったらしい。そのまま再び人の間をいこうとするその手を、ラダマンティスはとっさに掴み取った。



そのとき



「おいこれだろ、あ」
「ぐっ!?」

突然振り返ったカノンがラダマンティスに突き出した手が、思い切りよくラダマンティスの顔面に当たる。一瞬視界が白くなったが、少しよろけただけでそれ以上は何ともなく、数度瞬きを繰り返してカノンを見た。
「……わるい…」
ぶつけた本人が一番びっくりしたらしい。ラダマンティスの顔面に入った方の手にはコーヒーの瓶を掴んでいて、不自然にその場で浮遊させたままぽかんとしている。

…地味に痛かった。
その直前までは勝手に先にいくな、と言おうとしていたのに、それらが綺麗に吹っ飛ぶほど不意打ちだった。情けない、やはりこんな時間帯にくるんじゃなかった、いやむしろカノンを連れてくるんじゃなかったと今更ながら考えた。