プール





「初めて溺れたときのこと、覚えてるか?」


アイザックは一瞬、ぴくりと片眉をあげた。彼より数寸先には腕組みしながらこちらを見下ろすバイアンがいる。
「…縁起でもない」
「そりゃ悪かった。で、覚えてるか?」
「覚えてるも何も…」

記憶に一番新しい『溺れた』感覚は、非常に苦々しい。それ以前にも何度かあったに違いないが、そんなこといちいち覚えていられるほど暇ではなかった。

「お前は覚えてるのか?」
バイアンはほんのちょっと笑って肩を竦めた。
「一応」
アイザックは、最近こいつシードラゴンに似てきたなとぼんやり思った。
「いや、覚えてるっていうか、この間思い出したんだよ」
「思い出した?」
「そう」
なぜ、と問い掛けて、止めた。感覚は時間と共に薄れていくものだ。放っておいて戻ってくるものでもない。もう一度、濃いものを上から注ぎ足さない限りは。



「なぁ、でもあれは大事な感覚だと思うんだ、俺は」
「…なんで俺に同意を求めるんだ」
「イオにいっても納得してくれなくってさぁ」



息ができない、体が沈む。支えがない、流されていく。鼻から喉から胸の肺まで強い圧迫感があり、まともに思考もできなくなる。このまま死ぬのか、とかいう、よくある辞世の文句も浮かべている余裕などない。






溺れるとはそういうことだ。






「…海が」
「うん?」
「身近になりすぎてみんな忘れてるんだろ」
泳げるようになれば、その恐怖はなくなるか?いや、和らぐだけでなくなりはしない。一度落ちれば為す術はない。

バイアンは膝に肘をついて頬杖をついた。
「…なぁ、思い出したか?」
「…まさか」


だから縁起の悪いことを云うんじゃないと、たった今、海よりはずっと浅いとはいえども立派な水たまりの中に半身突っ込んでいるのだから。