長い時間をかけてシベリアからギリシャへ。がたがたと、お世辞にも乗り心地良いとは言えないような列車に揺られて、カミュは窓の外の景色を眺める。

聖闘士の足をもってすればこんな距離、少々小宇宙の消耗は激しいがひとっ飛びだ。だがカミュはいつもその方法を取ろうとは思わない。どんなに時間をかけても構わないから、正しく日常を営むものたちと同じ感覚を味わいたいのである。聖闘士と呼ばれる自分達も生身の人間であるという実感を、または自分達が守るべき世界と人々への敬愛の念を、或いはこの長い長い距離を思い知るために。





時間の無駄にも思えるかもしれないが、案外こうして何もしない時間というものは大切なものだ。その無為の中にも流れは存在する。人間は何時如何なる時も成長しない瞬間はなく、学ばない瞬間はない。勿論質や量は様々であるし、更に時を過ごせばすっかり身から抜け落ちてしまうことはあるだろうが。幸いカミュは長時間じっとしているのを何ら苦には思わない人間だった。朝になり、また夜になる、自分の居場所は一秒毎に変わっている。当然目に飛び込んでくる景色も変化するのだから、真に退屈なこともないのだ。


カミュは静かに思考する。































ずっと昔。修行地のシベリアへ、たったひとりでこの列車に乗り込んだ日のことを想起した。朝に旅立ち、夜になっても辿り着かない見知らぬ土地を恐れて、カミュは自分の席の隅に足を抱えてうずくまっていた。揺れ動く列車の中ではロクに眠ることもできず、周囲の人間は赤の他人で。気付けば朝日が眩しく輝いていた。

思わず、小さく息を吐いたことを覚えている。頭から被っていた毛布をようやく外し、朝日の作った日溜まりに体を晒した。とても暖かかった。



「おい、見ろ!虹が出てるぞ!」



その時、誰かの声が耳に届いた。聞き慣れないどこかの国の言葉で、驚いているような、喜んでいるような、そんな声色で何かを叫んでいる。すると様々な場所から感嘆の声が聞こえてきた。カミュはきょろきょろと車内を見回し、あ!と、窓の外にようやくそれを確認した。

































うっすらと目を開く。どうやら少し眠っていたらしい。がたがたと煩いこの列車にもすっかり慣れがきた。確かに乗り心地はよくないのだが、これがあるから、ああ、今から行くのだ、帰るのだという感慨が湧く。


窓ガラスを見ると水滴で濡れていた。そこに午前の光が燦々と降り注いでいる。カミュはとっさに、虹を探した。目まぐるしく変わる景色の隙間から目を覗かせ、夢中になって探した。ああ、あの時のように誰かが見つけて声をあげてくれないだろうか。



いや、



段々と近付く愛しきギリシャの大地。そして其処に待つ愛しきものたちに。今度は自分が声をあげて知らせる番なのだ。見ろ、虹は掛かったぞと、誰もが俯けた顔をあげて空を見上げるように。








虹の橋





BGMはYUKIの「汽車に乗って」。ほんとは列車に乗ってミロに会いに行くぜ的な話だったんですが、雰囲気壊したくなくてその要素はなくしました。ていうかもう、好きな感じにかいちゃる!みたいな気分で。自信作