こっそりと、東京の街を忍び歩きした。人で溢れる時間帯を避けたといっても、この街は一秒ごとに人が生み出されているのではないかと考えるほど四方八方人だらけ。思わずため息だって出てしまう。






星矢は普段出歩くときと変わらず気に入りのズボンとシャツを着て、前方を跳ねるように歩く沙織の背中をのんびり追った。時折余所見をしたりもしたが、この人ごみの中であっても星矢は沙織を見失う気がしなかった。


「沙織さぁーん」

信号が赤になったのを確認して、立ち止まった背中に間抜けな声をかけてみた。

「どうしました星矢」

沙織はゆっくり振り返り、優しい声でそれに返事した。

「一人歩きはお止めくださいって、辰巳さんがいってなかったっけ」
「あら、一人ではないわ」

うん、まぁそうなんだけど。大して困ってもなさそうに星矢は首の後ろを掻いた。

「こないだも狙ってきたやつ、捕まえたんだろ」
「ええ、その日は確かアイオロスがあっと言う間に伸してしまいましたね」
「その辺にまたいるかもしれないぜ。例えばあのビルの上とか」

星矢は適当に、一番近くてこちらから見やすい位置にあったビルを指差した。沙織もそちらに少し視線を向ける。ガラス窓に一面覆われているだけの味気ない建物だ。特にこの辺りで一番高いとか大きいとかいった特徴もない。

沙織はくすくす笑った。

「あのビルから撃とうとしたらこちらから目立ちすぎますよ。撃ってくるなら、きっとあちらでしょう」

星矢に対抗するように沙織は、ここからは少し影になって見えにくい位置にある建物を指差した。

「じゃあそっちでもいいよ。もし狙われてたら」
「その時は、星矢の出番ですね」

突然明るみを以て発せられたその一言で、少々他人の心の動きに鈍い星矢でも沙織が今を非常に楽しんでいるのであろうことは直ぐに理解できた。星矢も何だか楽しくなってきたので、沙織に負けないような言葉を返そうと腕を組む。

「鉄砲だったら、どうしたらいいかな。案外速いんだよなぁ、あれの弾」
「大丈夫ですよ星矢。私の愛する聖闘士達が、そんな粗末な道具に負けたりは絶対にしません。信じていますとも」

沙織はまるで自分のことのように誇らしげだ。星矢は声をあげて笑った。あのビルから鉛弾が飛んできたところで、きっと沙織は星矢が庇うまでもなく、そんなものの前に倒れたりはしないだろう。



信号が青に変わる。







「沙織さぁーん」
「はい、どうしました星矢」
「次は、どいつとやり合えばいいんだ?」








前方に向き直り、横断歩道を渡り始めた沙織の背中に、星矢は他愛ない会話の続きのようにそう言った。沙織は黙ったまま、背を向けたまま、

「じっとしていられませんか?」

と、先程の誇らしげな声色のまま返事をした。

「いいや」

星矢は頭の後ろで両手を組んでいる。
そこでもう戦わずとも、と告げるのは、酷なことであるような気がした。溢れる人の間で、沙織は、星矢だけは見失う気がしなかった。









少年と平和




星矢と沙織さんの、あまりにカップルくさくない関係性が好きです