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また地面の上にひっくり返された。腹筋が引きつってびくびくしている。視界には腹立たしいくらい青くて澄んだ空。そこに響く優しい笑い声。
「俺の勝ちだな、リア」
とっさに体を丸めて反動で起き上がった。腕組みをして仁王立つアイオロスを睨み上げる。
「もう一回だ!」
アイオリアは既にその言葉を、馬鹿の一つ覚えのように数十回と繰り返していた。
「よく飽きないな」
日が傾いた頃、汗だくになったアイオリアに水の入ったペットボトルを渡しながらカノンが一言。珍しく非番だったらしく、一日中アイオリアとアイオロスの組み手を眺めていた。
「飽きる飽きないの問題ではないんだ」
「悔しいか?」
「当然だ」
受け取ったペットボトルの中身は数秒でアイオリアの喉の奥へと消える。未だ、視線の先に笑顔のアイオロスを捉えて離さないその姿に、カノンは意地悪く笑んだ。
「兄貴なのに?」
兄を越えるとは、どういうことか?
そんなもの、所詮考えたところで答えなどない。越えてみなければわからない。
悔しい!という感覚は、アイオリアの中でも格別なものだ。褒められて嬉しくなるよりもずっと全身に力がこもるようで、それはこの場に立ち続けるための足になり、愚かしくも『もう一回!』と叫ぶための声となる。
自分が器用な性質ではないことは重々承知だ。頭もそう廻る方ではない。兄弟の差以外に存在している兄アイオロスとの差は、今更埋まりようもなく確かな溝、もしくは崩しようのない確かな壁として存在していた。
「君は、君の運命を大人しく受け入れるべきではないかね」
今日も数十回挑んで負けたアイオリアに、涼しい顔でシャカが言い放つ。そこには悪意も善意もなく、ただ当たり前のような手触りがあるだけだ。
「俺の、運命、とは、なんだ」
仰向けに転がるアイオリアは、息を切らしながらも抗議しようとした。
「兄弟は競い合うためではなく、補い合うためにあるのだよ」
「そんなもの!」
劣等感よりも、募るは単純な悔しさだ。その壁を前に焦ったことはない。その溝を前に憂いたことはない。ただ、いつも悔しくてならなかった。越えなければ先へは進めない。急がば回れ、と賢人が唱えたところで、アイオリアの道など目の前に広がるもの以外には初めから存在しないのだ。
後ろや脇に逸れる道は、道とは呼ばない。
「アイオロスは常に君の前を歩いているのだよ。年月にして約七年か、大きいものだ。そうでなくても君にはもうわかっているはず、兄弟というものの確かさが」
カッ、と頭に血が上る。
「黙れシャカ!貴様の理論は聞き飽きた!だからなんだというんだ、だから俺にどうしろというんだ!」
「お止めなさい」
今にもシャカに殴りかかりそうなアイオリアの肩を引き、ムウは極めて冷静に言い放った。
「お止めなさい、シャカ」
彼が咎めたのは、アイオリアではなかった。
悔しい、という気持ちを兄に向けることは、無為なことなのだろうか?アイオリアは唇を噛んだ。別にアイオロスが嫌いだとかそんな気持ちは微塵もない。寧ろ幾つになっても尊敬の念は消えず、アイオロスはアイオリアの中で圧倒的な兄で有り続けた。
…永遠に続く追いかけっこ。
もしくは、最早動くことのない背比べ?
やはり、どうしようもなく悔しいではないか!
「…もう一回だ!」
疲弊した足を奮い立たせて、アイオリアは再び叫んだ。振り返ったアイオロスは、いつでも来い、と笑っていた。
気付けば辺りは真っ暗だった。地面に大の字になって転がるアイオリアは、もうそこから一歩も動く気にはなれなかった。立ち止まってしまったみたいで嫌ではあったのだが、もう一回を繰り返した体は正直に疲労を訴えていた。
既に人の影は、ただひとりアイオリアの隣に立つムウを除き、この場には見当たらない。
「なぁ、俺は馬鹿だろうか」
独り言のようにアイオリアは呟いた。
「悔しい以外に、表現しようがない」
越えられないものが存在しても、立ち止まる選択肢はない。
壁にへばり付いて、何度滑り落ちても何度も上る。叩き壊そうとして、何度骨が折れても何度も殴る。溝を飛び越えようとして、何度谷底へ落ちても何度も這い上がる。何度だって繰り返す。
「飽きないのでしょう?」
ムウは柔らかい声でそう言っただけだった。目を閉じた先には、アイオロスの背中。振り返って笑うのだろう、優しげにアイオリアを迎えるのだろう。
アイオロスはもう、覆しようもなく、アイオリアの兄だった。それが酷く悔しいのだ。先に噛みきった唇に汗が滲みる。
「…ああ!飽きる飽きないの問題では、ないのだ!」
「俺の勝ちだな、リア」
「まだだ、もう一回だ兄さん!」
何度ひっくり返されてもアイオリアはすぐに跳ね起きた。泥まみれの頬を泥まみれの手で擦って、今日はにんまりと笑ってみせた。アイオロスが珍しく驚いたような顔をした。
「比較ではないといっているのに、彼は理解力に乏しいようだな」
不満そうにシャカが云う。上がる砂埃に文句をつけるわりに、ここ最近は毎日のようにアイオリアの『もう一回』を見に来ていた。
「言わなくたって理解していますよ、彼は。だって初めから比較ではなかったのですから」
ムウの言い分に、シャカはやはり不満そうに眉を顰めた。納得いかない、というより、呆れた話だ、と云いたいのだろう。瞬間、アイオリアの体が遠くから吹き飛んできた。
またひっくり返されたアイオリアを、今日はカノンとミロが、腹立たしいぐらい青い空から覗き込む。
「ほんとによく飽きないな。大丈夫か?」
カノンは大抵、それしか言わない。
「幾ら相手がアイオロスだからって、まだ一本も取れてないんだろ?情けないなお前」
ミロはいつも上から目線だ。
「大丈夫だ、次は取る!…もう一回だ兄さん!」
かすり傷だらけの体は、言われた通りだ、確かにどうにも情けないのだけれども。毎日毎日歩いていくための道があるだけで、アイオリアは生きていける。もう一回を繰り返す。
再生回数限界突破
兄弟ってのはどうも、定義の難しい関係だなぁと思うのだけれどね。
ただいつだって下の子は上の子を見て育つから、下の子はいつだって上の子と自分を比較するんだと思う。でもそれは蔑みには限らなくって。むしろ比較じゃなくて確認なんだわ。
またも下の子談義になってしまった…やっぱり私が下の子だからか?