追ってこられたり待たれたり、迎えに来られたり触れられたり。繰り返すとそれは全て痛みを伴うようだ、とカノンは思った。何時の時もそれをするのは己の方であったのに。追いかけたり待たされたり、迎えにいったり触れようとしたり。
ラダマンティスは別に優しくもなければ底抜けに明るい人種でもない。かといって陰鬱とはしておらず、大雑把ではないがそこまで細かいことを気にするでもなく。冷静かと思えば直情的に行動し、謙虚を装う傍らで傲慢が首を出している。時に非道を厭わず残酷な光景に顔色ひとつ変えず、その一方で他者への配慮も忘れず。矛盾しているのでは決してない、ある意味とても人間らしい。考えれば考えるほど、カノンの世界には一度も存在したことのない生き物だった。
はじめは純粋に興味だっただろうか。陰る日の下、よく待ち合わせに使われるとかいう彫像近くのベンチに座り、カノンは“はじめ”を想起しようとした。そこから特に長い月日を過ごしたわけでもないが、案外思い出せなくて苦笑いが出た。特に感情なんてものは、その場その場で浮かんではその場その場に沈んでゆくもので、すっかり蜃気楼のように霞んでいる。
街頭の時計は正午を指し、それを知らせるために低く音を響かせる。ラダマンティスが来るといった時刻である。待ち合わせによく使われるとだけあって人が多く視界を行き交う中、それはまだ姿を見せていなかった。珍しいな、というのが正直な感想だ。カノンは待つのには慣れていたが、ラダマンティスに待たされたのは初めてだった。
急に煙草が吸いたくなってジーンズの左側を叩く。いつも突っ込んでいるはずのジッポの感触がなかった。右側を確かめてもソフトケースの箱しか出てこない。しまった置いてきた。舌打ちをしたついでに携帯も置き去りにしてきたことに気が付いた。
携帯を忘れたことは何度もある。あれはまた、険しい顔をして自分を非難するだろうか。兄のサガはともかく、ラダマンティスがカノンの携帯についてとやかく云うのは何か変な気もしたが、それなりに弊害も出ていることだし仕方ないかと納得する。
繰り返すと痛みを伴うようだ。カノンは再びそれを思う。待ったり待たされたり、云々かんぬん。緩やかに、または目につかない速度で進行するそれに、未だ惑ってもいるような気がした。この28年で自分は何を学んでいたのかと罵りたくなるほど、知らないことがまだ足下には散乱しているようなのだ。視力はいいのに視界が狭いといったのはサガだったか、それとも別の誰かだっただろうか。痛みはまだ、鈍く腹の辺りを蝕んでいるだけだ。
だからまぁ、大丈夫だ、きっと。カノンは面倒なものを追い出すように俯いてこっそり笑った。立ち止まるとロクなことがない。どうでもいいことばかり考える。今更何を響かせても無駄だ、怖がる必要など何もないのだから、目新しい腕にも堂々としていなければ。
そうだむしろ探しに行ってやろうかなどと思い付き勢い良く顔をあげたが、携帯がないのだ、何処かですれ違うのがオチだろう。仕方無い。遅れているのは向こうだが、非がこちらにないとも言い切れないから。
だから、今日はカノンがラダマンティスを待つ。
正午の街角
実は愛情だ、とか好きだ、とか、口にするのはカノンなのだと思う。年上ゆえに。ミロにできないのは、ミロはカミュが好きだろうという引け目とミロの優しさにあると思う。対等じゃないんだわ、とか、そんなん。
いろいろ詰めようとしすぎた感というよりは、私の中でもちゃんと纏まってなかったとか、そんなんですね、はい