修行時代の私はいつもシャカの面倒を見ていた。同年代であったのは他にミロ、アイオリア、アルデバラン、カミュと四人も居たが、ミロはすぐに癇癪を起こしてアイオリアと喧嘩するし、アイオリアはアイオリアでまだ甘えが抜けずに我が儘を言うし頑固であったし、アルデバランは非常に大らかな性格であったために怒るのが苦手で、カミュに至っては極度の人見知りで引っ込み思案だった。私たちの面倒は一様にサガとアイオロスが見ていたけれど、忙しい二人で五人も一気に対応するのは難しい。だから私はいつしか自分からシャカの面倒を見るようになっていた。
シャカは聖域に来たときからおかしな人だった。聖闘士としての素質は申し分なく、その時には既に小宇宙を自分の手足のように扱えた。それには誰もが感嘆したが、彼はいつも不服そうに口を尖らせていた。皆わたしがこどもだからと舐めているのだ、と声を抑えもせずに言いふらしていた。
シャカは相当な傲慢だった。しかもそれは、根も葉もない傲慢だった。幼い私には理解し難かった。それはサガとアイオロス、他の同年代たちとて同じであったらしく、シャカが偉そうに自身を語るその様を見て、いつも苦笑いばかりしていた。
私はいわば、シャカの傲慢を抑えるストッパーのような役目を、自ら引き受けたようなものであった。それは容易なことではなく、私はたびたびシャカと対立をした。喧嘩といわなかったのは、他の皆が『喧嘩だ』と称するものにしては少々異質に思われるからだ。特に感情を剥き出しにして声を荒げ、言い争いをするわけではない。今のは失言でしたよとか、皆と行動するときは少しぐらい合わせるようにしなさいだとか、シャカの言動に私が逐一注意を与え、あまりに酷いときは厳しい口調で諫めるだけ。たったそれだけだった。
シャカはそんな私に言い返すことをほとんどしなかった。大抵は黙って私を見ながら私の注意を聞き、なるほど、わかった、ふむ、などと相槌のような返事を返すだけだった。時折、だがしかし、と意見を口にすることはあれど、私が諫める間は普段の傲慢さが嘘のように大人しくなった。対立と呼ぶのすら間違いかも知れない。私はそれが逆に不安だった。そうやってわかったなどといって、シャカは何度も同じことを繰り返していたのだ。
聞いている振りをしているだけで実は聞いていない、なんてことは人間にはよくあること。私はある時、もうシャカに注意をするのは止めようか、と思った。シャカは扱いに困る人ではあったけれど、諫めたときのように、大人しくしているときは驚くほど手のかからない人であったし、頭も悪いわけではない。聖闘士たるもの学もなければな、とサガが皆に書かせた文章の内容は、彼の傲慢さと年齢からは想像もつかないぐらい殊勝で冷静で客観的で、そのとき初めて私はシャカを凄い人だと思えたのである。
もしかしたらシャカは、私がこうして注意をすることを厭わんでいるのではないか、と私は考えた。何故なら、彼は傲慢だ。何処から湧いてくるのかわからないが、近年稀に見る自信家だ。自分のペースを崩されることほど嫌なものはないだろう。そう、思ったのだ。
しかし私がシャカに対して何も口出しをしないように努めると、シャカは発言の度に私を窺うような目で見るようになった。まるで自分の行動をひとつひとつ私に審査させているようだった。そうして私はようやく気付いた。シャカは私の話を右から左に流していたわけではなかった。ただ、そう、言うなれば彼は頭に体がついていかない、たったそれだけの不器用な傲慢だったのだ。
だから私はまだシャカの面倒を見ている。変わる契機もなく緩やかに年齢と共に成長する部分を、指摘してやるのがひとつ必要なことなのだろうと、大人になれば冷静な視点で思えるようになったからである。
私と彼らのはなし そのいち
ムウ様とシャカ。考察モノはかくのが楽です。
ムウリアシャカの友人関係が好きだったりします。ムウ様とリアもかきたいなあ。
と、いうことでそのいち。