あの遠目から見た背中の広さなら、誰に聞いても思い出せるだろう。全て背負っても歩いてゆける。寛大で優しい背中だ。サガは何より、あの背中が嫌いだった。
何故あれを私にくださらなかったのですか神よ!何故私ではなくあの男だったのですか神よ!
サガはとても綺麗だ、とアイオロスが嬉しそうに笑うたびに、サガは微笑んで歯軋りをした。綺麗とは何を指す?この容貌か、それとも皆が神のようだと称するこの心か?サガは自分を清らかな心の持ち主だと思ったことはない。サガにとって重要だったのは、自らが理想に叶う人物であるか否かだけである。女神の聖闘士として、双子座の黄金聖闘士として、または兄として、友として、聖域に生きるものとして、人として。
何故圧倒的に正しくない事項が世界に転がるのか。この神聖なる聖域の中だけでもどうして邪なる意思が横行するのか。正義があるなら邪悪もある、世界は常にそうやって相反したものを並立させてしか存在しないのか。
その全てに答えはつかない。つかないが、サガは自分なりに結論は出す。サガは常に自分の理想を弾き出す。彼の中から理想にそぐわぬものは全て排斥、抑圧され、ただ表面にアイオロスのいう『綺麗なサガ』が残るのだ。
しかし、何故。そうやって理想に近付くたびに、サガはあの広い背中が憎らしくなる。サガが排斥したすべてを、あの背中が拾い上げていく気がするのだ。完全無欠など有り得ないさ、と平気で口にするアイオロスこそ、美しい顔をしている。その眩しさを目の当たりにするたびに、サガは己の醜さを実感する。正義を全うするなら悪は排斥されて然りだろう。相反するものの共存は難しい。アイオロスはただ、悪も正義となれる可能性を提示しているだけと言う。寛大で、優しい考えだ。
甘い。甘すぎる。そうやって溢れる邪悪によって、世界は屑籠のようになってしまうだろう。屑を溜め込んだとてそこに群がるは蠅どもぐらいだ。燃やしてしまわねばならんのだ。何かひとつにかまければ、もう片方には目がいくまい。ならば屑よりも正しく生きる人々をとる。それは間違ってなどないはずだ。自らの弟がその理想のうちでは『屑』に当たるということに、サガは気付かず心を蝕む。
サガはいつも綺麗だ、いつも泥だらけの俺と違ってね。アイオロスが嬉しそうに笑う。サガに、その忌々しい背中はない。その広い背中は醜いサガすらも背負っていこうとする。羨ましいなど口が裂けても云うものか。
そう、羨ましいなどと。
サガすら背負おうとしたその背中に、『綺麗なサガ』の顔で、右手にしっかりと真新しい剣を握り締めたまま、ゆっくり近付いた。
神は私にそれを与えてはくれなかったが、それを持つのは此処で奴だけなのであったら。
綺麗なのはお前だ、アイオロス。
微笑んだまま歯軋りをして、サガはその背に剣を振り下ろした。
革命前夜
ロスサガの基本形。なんつか、こう…そんでアイオロスの血を浴びてさらに醜くなるサガみたいな…そんなんです。楽しい。いや物騒です。
サガはちょっと身近にいい例がいるので、書くときに凄い客観的な目で見れるのが大きい。気持ちはわかるし、私はサガが大好きですが。反発したくなる気持ちも同じくらいわかります。