時間になったらさようなら。壁に引っかかっている時計を一瞥、あっさり席を立たれる。今日のカノンとの時間はきっかり二時間。それ以下はあったとしても、それ以上は決してない。


それは仕方の無いことだ。カノンは何ともなさそうにしているが、聖域と海界を行き来するというのはかなりハードな話で、しかもそれは勿論仕事なわけで。かく言うラダマンティスも、時間通りに執務を始めなければ上にも下にも示しがつかない。
そんなことは百も千も承知で、そこには何の感慨も抱いていないはずだった。







「カノン」
「なんだ」
しかし何故だか、今日に限ってラダマンティスは出て行こうとするカノンを呼び止めた。それに驚いたのは呼び止めたラダマンティス本人だった。わざわざ扉の前で振り返ったカノンが首を傾げている。


「…おれは今まで、時間が早く流れたらいいとも遅く流れたらいいとも、思ったことはない」
動揺は顔に出さず、ようやく紡いだ言葉はいまいち的を得ず。ラダマンティスは違うな、と言いたげに首を横に振り、もう一度言葉を考え始める。
「子供ではないのだから、我が儘を言うつもりもなければお前の邪魔をしたいわけでもないのだ」
「何が言いたいんだお前は」
カノンの呆れた声が聞こえた。しばしラダマンティスは黙り込み、そしてゆっくり口を開いた。
「…だが、いつもこうしてお前が出て行ってしまうのを見ながら、何も思っていないわけでは、ない」




それは確かに、ラダマンティスの口から出たものであったのだが。やはり違う、ともう一度首を振る。




何故呼び止めてしまったのだろうか。仕方のないことだと納得したのではなかったか。
時間が限られているのはどんなときでも同じで今この事に特別憤りを感じる必要もなく短い時間の中で充実したものを求めるべきでそもそもおれは一体何がそんなに気に入らないのかカノンが多忙なのはカノンの所為では全くないしむしろカノンはよく此処に来てくれている方だと思ういや何を言っているのかおれはつまりどうしたいんだカノンともう少し長く居られたところで何だというよく頭と体と相談してみろだから悲しくも悔しくも寂しくもないだろうだって子供ではないのだから当然といえば当然である。




やや思考がこんがらがってきた。段々面倒に思えて、もう考えるのを止めてしまおうと溜め息を吐いたとき、いつの間にやらカノンの両腕がすい、とラダマンティスの頭に伸びていた。
そのままその両手はラダマンティスの髪をわしゃわしゃと掻き撫でる。間近に見えるカノンの顔には珍しく素直な笑みが浮かんでいた。しかしそれは段々俯いていき、掻き撫でる手はそのままに、すっかり見えなくなってしまった。
「カノン?」
暫くすると、カノンの肩が小刻みに震え始めた。そこでようやくラダマンティスはあることに気付き、
「カノン!」
ともう一度、しかし先程より怒気を含ませ、少々鋭い声で名前を呼んだ。
ラダマンティスはすぐさま、カノンの顎をひっつかんで顔をあげさせる。案の定、カノンは爆笑していた。
「…やはりおかしかったか」
「よかった、おかしいことをいった自覚はあるようだな」
笑いすぎて涙まで出てきたらしいカノンは、手の甲で目元の水を拭いながら口を開く。


「お前が何を思ったかは知らんが、それじゃあまたな、って云われて何も思わない方が異常だろう」
それは、確かに。しかしラダマンティスは不機嫌な表情を保ったまま、カノンを睨むような視線を送った。カノンはまだ笑っている。
「…まぁ、でもそう思われて悪い気はしないな、うん」


名残惜しそうに、ラダマンティスの髪を撫でていた手が離れていく。不意に目に入った時計で急に頭が冷えた。







じゃあな、と出て行くカノンを見送る。見送りながら、この瞬間、カノンも何か思っているのだろうか、と考えた。そう考えて、ラダマンティスは先程までの機嫌の悪さもどこへやら、妙な満足感にひとり笑んだ。









一分一秒



不思議なのは、このナチュラルさを何故カノンはミロやサガ相手にできないのかということである。…ああ、軋轢が色々ありすぎるのか。一番とかそうじゃないとか。