思いがけず残された。何故かこのワイバーンの前では妙にフリーダムなカノンは、携帯を忘れたとかなんとかいって客間を離れ、電話線の引いてある執務室へと無遠慮にずかずかと行ってしまった。
カミュがいなくて退屈だったのでカノンにくっついて冥界まできていたミロは、とにかく呆然とした。待てと言う間もなかった。閉まっていく扉を眺めながら、食べようと手にしていた菓子をぼろりと落とした。
「こぼしたぞ」
ミロの座るソファーの向かいから、感情のこもらない声がかかる。慌ててミロは机の上に落ちた菓子をつまみ上げ、口へと放り込んだ。
気まずい沈黙が流れる。葬式みたいだ。ミロは勿論、葬式なんて苦手だ。
苦手というとミロはこのワイバーンのラダマンティスも苦手だ。聖戦時に一度ぶちのめされたのもあるが、元々感情表現豊かで起伏も激しいミロからすると、この繋がり眉毛の表情はいつもおんなじで何を考えているのかさっぱりわからない。不機嫌になったときにちょっと目つきが悪くなる以外の表情の変化が、ミロには判別できないのだ。相手の感情がわからない、というのはミロにとっては恐ろしい事態だった。
しかしなぜこんな眉毛とカノンは仲が良いのだろう。まだ2、3回ほどしかくっついてきていないが、此処でラダマンティスと話すカノンは何時もより楽しそうに見えた。時折、非常に嬉しそうに声をあげて笑いもした。ミロはこっそり驚いていた。聖域にいるときのカノンは滅多にあんな風に笑わない。家族であるはずの、特別であるはずのサガの前ですら、いやサガの前でこそずっと眉間に皺を寄せて機嫌が悪そうにしている。
なんだかちょっと腹が立ってきた。こんな眉毛よりもずっと自分やサガの方が魅力的ではないか!一体カノンはこの眉毛の何が気に入ったのだろう。
ミロはまた菓子を口に放り込む。飲み込まないうちにまた次のものも放り込む。要するに、間がもたなかったのだ。相変わらずラダマンティスは向かいで静かにコーヒーを飲んでいる。ミロはこの空気を気にしてばかりだが、ラダマンティスの方はまるで気にもかけていないように思われた。
不意に、ラダマンティスの視線がミロを真正面から捉える。思わず目があってしまい、ミロはかなり狼狽えた。狼狽えすぎて、喉に菓子がつまりかけた。うぐっ、と変な声を出た。胸のあたりを叩きながら急いで茶を飲み干す。
「大丈夫か」
夢中で頷いた。本当はちょっと大丈夫じゃなかったが、そのうち大丈夫になるだろうからきっと大したことじゃあない。
茶を飲み干し、息を吐く。落ち着いてきてから再び顔をあげて向かいをみると、やはり目があった。ていうかラダマンティスがミロを見ていた。相変わらず何を考えているのかわからない無表情でこっちを見ていた。
「…な、なにか用か」
ああああもう早く帰ってこいよカノンンンンン!と心の中では大絶叫だったが、表向きは『クール』を演じてラダマンティスの視線と向き合ってみた。
ミロはプライドが高い方である。ラダマンティスは確かに苦手だが、下手に出る気はさらさらない。この野郎、その無表情もいい加減飽きた。絶対いつかぎゃふんと言わせてやるぞさっきのお返しだ!などと勝手に自分で喉につまらせておきながら勝手に対抗心を燃やしつつ、若干引け腰気味で対峙した。
そんな臨戦態勢のミロのことなど知って知らずか、ラダマンティスはやはり感情のこもらない声で、しかし大きな爆弾を投下した。
「いや、可愛いなと思って」
ミロは、赤くなるよりも先に青くなった。男に、しかも聖闘士相手に何を言うか!と思うよりも先に、こいつは危険だ!と頭がサイレンを鳴らしていた。
「多分カノンは、お前が可愛くて仕方ないんだろうな」
発言は鳥肌モノだったが、自身の身の危険は大して感じなかった。むしろこのラダマンティスの発言からは、無表情と無感情の中にどちらかというとカノンへの情を感じた。少しミロを羨むような、優しげだが、苦々しさを含んだ情だ。ミロは情には敏感である。その情に暗い陰りは微塵も感じられなかったものの、背筋の凍るような恐怖が拭いきれなかった。
一瞬で悟った。こいつは本気でカノンが好きなのだ…!唐突に気付いてしまった驚愕の事実に、ミロはどうしたらいいかわからず混乱した。人が人を好きになることは全く悪いことじゃあない。ミロはそこに焦ったのではない。ただラダマンティスがカノンに向けるその情が、例えばミロがカミュに向けるものや、またはカノンがサガに向けるもの、或いはアイオロスがサガに向けるものミロがアイオリアに向けるもの云々かんぬん。つまり他に類似例の無いものだったのだ。日頃物事を感覚で捉えているミロではこの情を言い表せる言葉がない。敢えて今ミロが感じているものを口にするなら、『得体の知れない恐怖』である。
こいつは危険だ!もう一度頭がそう告げたとき、何の前触れもなく扉が開いてカノンが部屋に帰ってきた。アイアコスとミーノスに捕まったと独り言のように言いながら入ってきたカノンに二人の視線が集中する。
その異様な気まずさにカノンが、どうした?と尋ねる前に、ミロは泣きそうな顔でカノンに飛び付いた。
エマージェンシー
なんだか長くなってしまいました。すらすらかけたのは何でだろう、楽しかったです。ラダマンティスは素で爆弾発言すると思っています。
ミロは直感が鋭そうだなぁ。蠍座ってなんかそういうのあるんでしょうか。教えて蠍座の人。