思えば私は初めからこの、ラダマンティスとかいう男が気に入らなかった。私の冥闘士嫌いは聖域の者にはよく知られている。特に聖戦時、行動を共にしたカミュとシュラ、デスマスクとアフロディーテはそのことをよく理解していた。あんまり毛嫌いするので苦笑いさえされるほどだ。しかしそういった私の性質を差し引き、奴が冥闘士でなかったとしても私はあの男が気に入らない。どうにも受け入れがたく思う。
私がそう感じていることに関わりなく、カノンはこの男の元へ足繁く通っていた。本人曰わく『友人』なのだそうだ。私は弟の交友関係にいちいち口を挟むのもどうかと思い、できるだけ詮索しないようにしてきたのだが、やはり聖戦時に命の奪い合いをした相手と友人というのは如何なものなのだろうか。私はカノンの神経の図太さをほとほと羨ましく思ったものだった。
そうやってカノンが冥界へと赴くので、私がラダマンティスと顔を合わせることは聖域と冥界の会談の場以外にはないのだが。
私が仕事に赴こうと宮を出たとき、宮の前でその姿を目撃してしまった。私は顔をしかめる。冥衣は纏っていなかった。当たり前だ、今日は冥界から使者が来るなど聞いていない。私事だろう。見て見ぬ振りでもしようかと思ったのだが、向こうもこちらに気付いたようで、気まずくも目が合ってしまった。
「…サガ、か」
「…冥界三巨頭がこんなところで何をしている」
「カノンに呼ばれたのだが」
あの愚弟が。自分で呼んだのならば迎えぐらい来い。私は溜め息を吐いた。いい、説教はまた夜にしよう。
「双児宮にはいない。恐らく天蠍宮だろう。私も今から上へ行くところだ。案内しよう」
「それはありがたい。しかし場所さえわかればひとりでいける、」
「幾ら客人といえど、冥闘士に聖域を勝手に歩かれるのは好ましいことではない」
わざと厳しい口調で言い放ち、さっさと歩き始める。『客人』といったが、公式の客人でない以上私はラダマンティス相手に愛想を振り撒く気はさらさらなかった。かなり無礼な態度を取っている自覚は大いにある。私だったら既にこの時点で好感度はゼロどころかマイナスだ。しかしラダマンティスは特に気にした様子もなく、黙って後をついてきていた。
双児宮から天蠍宮までに宮は四宮ある。それなりの道のりだが、聖闘士である自分達には大したものではない。しかし会話もロクにしたことがない人間と、公式の客人でもない奴と、この少し長い道のりを共に行くのは些か気まずすぎた。不本意ながら、私は話題を探すことにする。それは案外簡単に見つかった。
「カノンは、いつもお前の元で何を?」
別に大して気になっているわけでもなかったが、こんな時でもなければ聞くこともないだろう。それにカノンよりも聞き出しやすそうである。案の定、ラダマンティスは簡単に答えを出してくれた。
「話を」
「話?」
「何があったとか、何をしたとか、他愛のない話を」
「他には?」
「それ以外は、特に」
私は少しだけ驚いた。カノンは私とはあまり会話をしない。日常に必要なことと、何となくその時々で言葉を選んでぽつぽつと話すだけだ。また、ミロやアイオリアといった聖域で比較的仲の良い相手と共にいるときも、そこまで饒舌になるわけではない。学力はほとんどないくせに口先から産まれてきたのかと言いたくなるほど舌のよく回る奴ではあるが、私はこの目の前にいる男とおとなしく会話をしているカノンの姿が全く想像できなかった。
「カノンは」
僅かな驚きで黙り込んだ私を知って知らずか、ラダマンティスは静かに続ける。
「お前の話ばかりしている」
私は立ち止まった。自然と後ろの男の歩みも止まる。まだ天蠍宮ではない。ただ私は、この男と話をしてみようと、そう思い立っただけであった。気まぐれ以外の何ものでもなかった。
「お前は、カノンから私をどのように聞いている」
沈黙する。立ち止まっても振り返りはしなかったから見たわけではないが、恐らく一瞬険しい表情をしたのだろう。
「…『クソ真面目』で潔癖症、完璧主義で情緒不安定。仕事が恋人だと言わんばかりに休むことをしない。気分の落差による態度の変化が激しい。すぐに手が出る。風呂が長い。偏食の気がある。料理のにおいや見た目に煩い。下手に対応するとすぐに鬱になる。面倒くさい。鬱陶しい」
私は大いに顔をしかめた。
「そうか」
何故ほとんど話もしたことのないような他人に此処まで言われねばならんのだ、と内心思っていた。しかしこの男にそれを吹き込んだのはカノンであり、この男は言われたままを答えただけなのだ。この男に非はない。わかってはいるがかなり苛立つ。背を向けているから勿論表情の変化などわかられる心配はないのだが、かなり不機嫌な声を発してしまったので恐らく苛立ちは伝わってしまっただろう。
私は再び歩き始めた。もう止めようと思った。気まぐれを起こしたのがいけない、男と話をする前に気分を害するハメになった。私は機嫌が悪くなると何を口にするかわからない。少し頭を冷やして苛立ちを収めようと思った。男は変わらず私の後ろを黙ってついてくる。
しかし私は察してしまった。男が何かを口にしようと、ずっと機会を窺っていることを。いや、もしかしたら気付かれるようにわざと露骨な空気を出していたのかもしれない。それでも私は無視をしようとした。先程の苛立ちは大分形を潜めていたが、まだどうも何かがくすぶっている気がして思いとどまっていたのだ。
しかし天秤宮を通り過ぎたところで空気に耐えきれなくなり、とうとう声をあげてしまった。。
「言いたいことがあるのならば遠慮なく口にするがいい。どうせこんな偶然でもなければお前と話をする機会などないのだからな」
そう言いながら、本当のところこの男から話を聞き出したいのは私の方ではないのかと頭の中で声がした。そんなことはわからぬ、大した問題でもきっとない。
「……別にお前に言うほどのことでもないのだが」
なのにあれだけタイミングを計っていたとでもいうのか、白々しい。
「なんだ、はやく言え」
「お前は、カノンに手放しで愛されているというのが、少し羨ましいと思っただけだ」
私は思わず吹き出した。同時に、未だくすぶっていた感情の正体が、確かなものとして浮かび上がってくる。
「愛されているのが羨ましい?馬鹿な、お前はカノンに愛されたいのだとでもこの私に言う気か」
口端をあげて堪えきれない笑いと共にそう告げながら、私はやはり苛立っていた。無意識に右手を握り締め、返答次第ではこの男を殴り飛ばしてやろうという確かな意志を持って。
「そうではない」
「ならば何だ」
「おれは、カノンを手放しで愛してやりたい」
天蠍宮はもう目の前だった。固まる私の向こうからミロの声がした。何を言っていたかは聞き取れなかったが、そのあとにカノンとアイオリアの声が続き、ラダマンティスは私に短く礼を告げてその方向へと静かに歩いていった。
教皇宮まで上りきり、執務室の椅子に座る。無意識に左隣の書類を引き出し内容を確認しながら、私はひたすら思考を続けていた。
あの時私は、カノンがあれに求めているものを知ってしまった。そしてあの男が、…ラダマンティスがカノンに求めているものもよくわかってしまった。
思えばカノンは何時も何かを欲しがっていた。それを私に強請るときもあれば、自分から取りに行こうとするときもある。居場所であれ、存在であれ、世界であれ、覇権であれ、許しであれ。
それは根本的なところできっと今でも変わっていないのだろう。ならば今、カノンが欲しいものはなんだろうか。
気付けばいつだって事後だった。何時もカノンが『欲しかった』ものしか私は知ることができない。
私は思わず舌打ちをした。幸い部屋には誰も居らず、それを聞いたものはいなかった。やはりあのラダマンティスとかいう男は好かない。冥闘士だとかそうじゃないとかどうでもいい、あれが気に入らない。何故あれは私にあんなことを言ったのか。私にどうして欲しかったのか。
まさかそれを知るのも事後であったりするのであれば、私は金輪際カノンをあいつの所へなんぞ行かせるかと机を殴った。丁度そのとき部屋に入ってきたアイオロスが驚いて目を見開いたが、そんなことはどうでもよくて、私はとにかく書類を捌くことに専念した。
身勝手な不自由
思わぬ長さになってしまった。サガとラダカノをかこうと思い立って誤って怪我をした気分です。
しかし文章が荒い…ぴぴーんときてばばばーと書いたものは大抵こんなもんですね…
サガ視点が意外と好きです。