人は目的が存在すると、無いときとは比べ物にならないぐらいのやる気を発揮する。
今のおれは大体、そんな感じの状態だ。捌いても捌いても減らない書類の束に、監督不行き届きの事態の収束。仕事は仕事だ、だがその先の目的があれば、よしさっさと何とかしようと思えるし俄然、気合いも入る。
「嫌ですねラダマンティス、貴方が生き生きしてるときは大抵ロクなことじゃない」
ミーノスが物凄く嫌そうな声でいってきた。
「おれは、それをお前にだけは言われたくなかったぞ」
なのでおれも物凄く嫌そうにいってやった。勿論、『だけ』を強調して。
「どうせあれだろ?双子座の奴だろ?あれ、海龍だっけ?」
「どっちも同じだ」
アイアコスはソファーにふんぞり返ってバレンタインの持ってきた菓子を無断で食い始めている。それを見たミーノスまで便乗してひとつ摘みだした。
「随分仲がよろしいようですねぇ。私は全然興味が湧かないんですけどあれには」
「湧かなくて結構だ」
「てかさ、ラダマンティスあいつといっつも何してんだ?」
「何って……話をしているだけだが」
前回から引き続き、おれはカノンからカノン自身の話が聞けるようになるのを辛抱強く待っていた。最近はおれの方からもよく話題を振るようになった。さしずめ『カノン慣れしてきた』とでも言うべきか。
その所為か、改めて『何をしてる?』と尋ねられると困った。本当に、只話をしているだけなのだ。…というよりお前らの所為でその時間すらも削られているのだが。
「はぁ、貴方達本ッ当に『話をしている』だけなんですねぇ」
何でそんな物凄く残念そうに言われなければならんのだ。
「ほへはほうふはひはんへええはほほほっへはんははは」
「アイアコス、口に物をいれて喋るな」
「そうですよはしたない。出してから喋りなさい」
いや、出されても困る。
「…というより…どうしてお前達がおれの部屋にいる!!邪魔しにきたのなら帰れ!!そして仕事をしろ!!」
文句を垂れる同僚達をようやく部屋から追い出して時計を見た。
冥界に時間の概念はほとんど無いが、『地上の時間がわからんと不便だ』とカノンが言ったのでおれの部屋にはしっかりついている。気を利かせた部下達が買ってきてくれたものだ。
今日はカノンが来ると言っていた。恐らくもうそろそろだろう。しかし先程の思わぬ邪魔の所為でまだ微妙に執務が終わっていない。仕方ないが少し待ってもらおう。
溜め息を吐いた瞬間、何処からともなく小宇宙通信が来た。おれは心底驚いて思わず床のゴミ箱を蹴飛ばした。
『おいラダマンティス、聞こえるか!』
おれは頭を振って息を整える。この小宇宙はカノンだ。
「どうしたカノン。何かあったのか」
小宇宙の気配からすると、此処からかなり近いところまで来ている。なのにわざわざ小宇宙通信とは。しかも微妙に声が急いでいるようだった。
『いや大したことじゃないんだが…ちょっと色々あってな、今日一人そっちに連れて行っても構わんか?』
…ん??一人連れてくる?状況がよく掴めない。
「ああ、別に構わんが…しかし急だな」
『悪い、来たいと言って聞かなくてだな…じゃあ多分もうすぐ着くから、後でな』
簡潔に済ませて一方的に通信を切られた。いつものことなので気にはしないが、カノンはどうやら電話での話し方を知らないらしい。
書類と向き合いながら、先程『別に構わん』とか軽はずみにいったことをちょっと後悔した。誰が来るかぐらい聞けばよかった。カノンの友人だろうから、同じ聖闘士である可能性が高い。そうだ、必ず茶菓子を持ってきてくれるバレンタインに一人増えたことを伝えておかなければ。
数十分後。
「よお、邪魔するぞ」
クイーンに案内されてカノンが部屋に入ってきた。立ち上がって出迎えに行く。カノンはいつも通りラフな格好だ。
「仕事中だったんだろ。悪い、通信なんかして」
「気にするな。…それより…」
この数十分の間、一体誰が来るんだと気が気じゃなかった。おれは人見知りはしないが、知らない奴と会話が続けられる自信は全くない。
兎に角相手を知ろうとカノンの周囲を見渡すが、誰もいない。
「カノン、一人来るというのは…」
「ん?ああそうだ」
おれの言葉でようやく思い出したようにカノンは右に体を避けた。するとその後ろから何か人のようなものが姿を現したが、すぐにまたカノンの後ろ側に回る。
何だあれは。
「ミロだ。蠍座のミロ」
スコーピオン…ということは黄金聖闘士ではないか。
それにミロというのは、サガほどではないがカノンの話によく出現する名だった。成る程、彼がミロか。…しかし何故カノンの背後から出てこないのだろう。
体格的にはどうやらカノンの方がほんの少し上回るらしく、上手く隠れているといえば隠れているが、カノン以上に鬱陶しそうな髪の毛がはみ出している。…というか、何故隠れる必要があるのか。こいつ黄金聖闘士ではないか。
「いつも以上に聖域に人が少なくてな。暇だから連れていけと」
「そうか」
子供か、と心中だけで突っ込みをいれておいた。
とりあえず挨拶をしておこう。相手がどんな奴であろうが礼儀は必要だ。
カノンに言われてようやく背後からミロとやらが出てきた。
そういえばこいつ、何処かで見たことがあるような気がするが、一体何処だっただろうか。しかも何か物凄く睨まれている。もとよりそんなもので怯んだりするような柔い精神は持ち合わせていないが、何故かこいつの睨みは本気で全く恐ろしくない。むしろ向こうがおれを避けているようだ。
「挨拶しろよ、二人とも」
カノンはそれに気付いているのかいないのか、ミロの肩を思い切り叩く。おれもとりあえず挨拶…と思い手を出して、
「冥界三巨頭、天猛星ワイバーンのラダマンティスだ」
と言いかけた。
「うおらああああああ!!??」
「!!??」
まだワイバーンと言わないぐらいで突如、目の前の男は妙な奇声をあげて思い切りおれの手を払ったのである。
…なんだ?おれは今何か変なことをしたのか?
「何してんだミロ!お前さっきからおかしいぞ!」
…さっきからおかしかったのか…
「フッ、なな、何ともないぞカノン!そうだ、あれだ、手に虫がいた!」
嘘を吐け、それが本当ならお前はおれの手の上でその虫を潰そうとしたことになるぞ。
「何ともなくないぞ声が動揺しすぎだ!」
「それよりもカノン、俺はラダマンティスとは一度会っている。今更紹介してもらわんでも平気だ!」
ん?どうやらやはり会ったことがあるらしい。向こうはしっかり覚えていたようだ。…しかしここまで避けられるとは、第一印象が相当悪かったに違いない。一体おれはこいつとどんな出会い方をしたのだろうか。そもそもどこで会ったのだろうか。
おれは記憶を掘り起こしてみた。カノン以外の黄金聖闘士で会ったのはハーデス様が冥闘士として復活させた奴ら…の中には確かいなかった。あの中には黄金聖闘士が五人いたが、サガと、氷を使う奴、聖剣を持つ男、女か男かわからん薔薇の奴、蟹だったはずだ。蠍はいなかった。
ということはもうひとつ、ハーデス城に忍び込んできた三人の黄金聖闘士だ。思い返せばこんな奴が居たようにも思える。しかしあの時は、あの後の青銅聖闘士どもの方が記憶に強すぎて、一体何をしたのかさっぱりである。そもそも黄金聖闘士どもの記憶は、冥闘士として復活した五人にしてもやはり薄く、正直カノン以外の奴とのやり取りは全く覚えていない。
まぁ、何だ。おれは『覚えていないのならきっと大したことではなかった』と思うことにしているため、そうだきっと大した出会いではなかった、と自分に言い聞かせておいた。
この時間は、仕事のことも面倒な同僚のことも(これだけ言って何だが、別にあいつらのことを心底嫌っているわけではない)暫く忘れられる、おれにとっては肉体的にも精神的にも大切な休憩時間だ。しかもカノンは一日休暇でやってきてくれているのだから、殊更下手に別のことで時間は割けない。
おれは二人をソファーに座らせ、バレンタインが用意した茶と菓子を勧めた。礼儀だ。おれはどちらかと言うと甘いものが得意ではないので、茶をを啜る。
しかし今日、おれはほとんど茶を口にしなかった。人と話をするだけならば、主に耳を傾け時々相手の表情を窺うだけで構わないと思い(むしろずっと見られていては話し辛いだろう)、いつも茶で場を濁していたのだが、今日はどうも目の前が気になって仕方なかったのだ。
カノンはいつも通りだ。ぽつぽつと此処暫くで起きた出来事を話しながら、適度に菓子を摘んでいる。
が、その隣の蠍座がどうみても挙動不審だった。横幅のあるソファーなのだから広々と使えばいいものを、気付けばミロはカノンとの距離を詰め、その長い髪をぎりぎりと掴んでいるのだ。話の腰を折らぬようにとカノンは距離を取るのだが、髪を掴まれて上手いこと離れられず、しかも既にソファーの端まで追いやられている。
「おいミロ、狭いからそっち行け」
ようやくカノンがそう言うとミロは大人しく元の位置に戻るのだが、見れば再び距離を縮めている。おれはどうもカノンと話どころではなかった。気になるのだ。喩えるなら、大人数でやる演技で、ひとりだけ明らかに違う動きをしている奴が視界の端をチラつく、あの感じだ。
ミロはほとんど喋らなかったが、常にカノンとおれとの会話に何とか入ろうとタイミングを計っているのはよくわかった。何か言いたそうにカノンに視線を送っているのが、おれの位置からよく見えるのである。
おれはカノンと話ができれば特に問題はなかったが、『構ってくれオーラ』を出しまくっているミロにおれが耐えかねた。勿論ミロが出している相手はカノンなのだが、当の本人に届かず関係無いおれの方にひしひしと伝わってきてしまっている。正直おれが受け取ってもどうしようもない。見かねておれは口を開いた。
「…ミロといったか、茶菓子は自由に取ってもいいんだが…口に合わなかったか?」
自分でも『かなり苦しいなこの振り方』と思ったが、考えている場合ではない。
実際、ミロは茶菓子にあまり手をつけていなかった。初めなんかはとんでもないものを見るような目でそれを警戒し、カノンが口にしたものだけを手に取ってちまちま食べていた。どう見ても不審である。
「ん?何だミロ、お前甘いもの好きではなかったのか」
幸い、カノンがしっかり乗ってきた。よかったよかったと独りでに安心する。
「な…それをいうならばラダマンティスこそあまり口にしてないだろう!」
「いいんだよあいつは。あんまり得意じゃないから」
振った話題が変化球で返ってきて、おれは結構驚いた。表に出なかっただけマシだろう。
「俺は、あ、あれだ、リアにも食べさせてやろうとだな…」
テイクアウトか。なかなか良い根性をしている。
「別に何でもいいが…あー悪いラダマンティス、便所借りる」
…まて、今このタイミングでか!?頼むカノン、このよくわからん男と二人きりにはしないでくれ…と思ったが、だからといって引き止めるわけにも行かない。用を足しに行くのを止めるのは、気が引けるとかいう問題ではない。
だが、この時おれ以上に動揺したのはミロだった。
「かっ…!お、俺もいく!俺も行くぞカノン!連れていけ!」
「何で二十八にもなって連れショ○などせねばならん」
「実はさっきから行きたかったんだが、場所がわからんと思ったのだ!ふ、二人は話の途中だったしな!関係無いことで口を挟むのは無礼かと…!」
いや、思い切り割り込もうとタイミングを計っていた気がするが……
「とにかく連れていけー!!」
結局カノンは渋々自分の髪の毛を掴んだままのミロを連れて部屋を出た。おれは微妙に助かったのだが、どうやらミロとやらにまだかなり警戒されているようだ。思い出す必要はないと結論付けたが、これは何とかした方がいいのではないだろうか…どうもミロは非常にカノンに『懐いている』ようだし…二人が帰ってくるまでの間、おれは顎に手を当てて真剣に悩んでいた。
冥界執務室便り そのさん
(続く)
思わぬ長さになったので4と跨ぎます。
ミロが早く書きたくてうずうずしてたので私的には満足なのですが、私はミロを一体なんだと思っているのか。