誰かの面と向き合って長時間話を聞く作業はかなりの忍耐を必要とする。特におれは口より先に手を動かしたくて仕方ない性質であるため、相手に理解されるように辛抱強く舌を回すのも非常に億劫だ。
前回、聖戦後改めて仕切り直したカノンとのよくわからない関係の始まりを記したが、これは一般で『友人』とかそんな間柄にあたるのだろうか。
あれから度々カノンは冥界までやってきた。聖衣も纏わず、あの時廊下で顔を突き合わせたときと同じ馴れ馴れしさで。初めはどうしたものかとおれだけでなく部下達も思っていたが、三回目ぐらいでもう慣れた。おれも意外と順応性があったらしい。新しい発見をした。
そうして度々やってくるカノンとおれが何をしているかと言えば、バレンタインが煎れてくれる茶を挟んで向き合い、ここ数日にあった出来事を適当に話す、それだけだ。
元々双方忙しい身で、おれに至っては(主に同僚2人の所為で)1日休暇を取るのも難しい。部下の計らいで貰った休憩の二、三時間ほどがやっとである。カノンは必ず一日休暇を取ってやってくるが、結局おれと話している時間はその、たった二、三時間だ。
そんなものでも重ねれば案外色んな話ができるもので、おれは地味にこの時間を楽しみにしていた。
カノンは喋るのが上手い。少々言い回しが気にかかるところはあったが、おれも決して物言いが丁寧ではないので放っておくことにした。欠点をいちいち口うるさく指摘するのは身内がやればいいとおれは思っているし、既にカノンにはそういう存在が居た。指摘されすぎて腹が立っているようではあったが。
さて、前回の記述でおれが『カノンという人物の会話の特徴』について述べたことは覚えているだろうか。前回はひとつめを提示するだけに終わっていたはず。
おさらいしておくが、カノンは大抵『女神』か『サガ』の話しかしない。これがひとつめだ。今回は次のふたつめについて述べようと思う。そしてこのふたつめが、今回の話の主題でもある。
何回目の時だったか忘れたが、カノンとの会話の時間が過ぎて奴が帰った後、書類に目を通しながらふと気付いた。
しつこいようだがおれはあまり記憶力がよくない。それでも度々のぼる話題について忘れるほど愚かではない。
例えばカノンの双子の兄であるサガ。カノンの会話内容の七割ぐらいを彼が占めている気がするのだが、おれ自身はあまりサガとは面識がない。聖戦時、ハーデス様が復活させて聖域に送り込ませたときに少し会ったぐらいだ。そのあたりの出来事は記憶が薄いのでほとんど意味がない。今は聖域との会談時に会うこともあるが、論外だ。仕事なのだから。
しかしカノンの話には必ずサガの名前があがる。お陰でおれはたいした面識もないのにサガについて詳しくなってしまった。
『クソ真面目』で潔癖症、完璧主義で情緒不安定。仕事が恋人(これはおれも人のことが言えん)。すぐに手が出る。気分の落差による態度の変化が激しすぎて面倒。風呂が長い。偏食の気があり、料理のにおいや見た目に煩い。しかし甘党だ、などなど。
そういった感じでおれは、カノンを取り巻く人物について数々の情報を得ていたのだが(勿論、再び聖戦なんぞが起きたときに不利になるような話はしていない)、何か変だ、とその時唐突に気が付いた。
おれはサガが風呂好きだとか甘味を好むだとかは別に興味もないのによく知るハメになったが、カノンの趣味や好物についてはまるで知らなかったのだ。
それだけではない、カノンは聖域で行われた催しなどについて事細かに説明したが、おれはその催しの最中、よく連んでいるとかいう蠍座と獅子座の奴が何をしたとか、そんなことしか知らないのである。
初めは単におれが忘れているだけだろうかと思ったのだが、次に会ったときに確信した。
カノンは自分を除外して話題を展開させる癖がある。上った話題について、その場に居て行動をしていたとしても、それを第三者に伝える際に排除するのだ。
そしてこれが正しくカノンという人物の会話の特徴ふたつめ…と、大袈裟にいったがこれはただの癖である。
だがおれとしては奇妙な話だった。おれはずっとカノンと話してきた筈なのに、カノンのことはわからないというおかしなことになっているのだ。
成る程、カノンの他人観察能力はかなりのものであった。人の性質をしっかり見極める確かな目を持っていた。恐らくおれも、奴の目を通して把握された姿を聖域に晒しているのだろうと思うが、それにしても釈然としない話である。
うだうだと考え事をするのは嫌いだ。おれはカノンに対しては遠慮は不要だと考えている(むしろ命の奪い合いまでしたのに、今更遠慮が云々言う方がおかしい)。釈然としないのであれば正面から思い切り伝えてやればいいではないか。おれはそう思い、早速実行した。
この時の会話はそれなりに覚えている。
「カノン、つい先日気付いたんだが」
「なんだいきなり」
おれがそう切り出すと、カノンは珍しそうにおれの顔を見た。カノンが話をしているときにおれが口を挟むことは滅多にないからだ。
「…お前、自分の話はしないのか」
「は?」
いや、『は?』ではない。こっちは結構真剣なのだ。
「これだけ話しているのに、おれはお前については何も知らないと思ってな」
「……はぁ?」
「おれは、サガの話よりもお前の話が聞きたい」
「……いや、言われなくとも此処でお前と話してる奴は俺であってサガではないが……」
「そ、そういう意味じゃない!」
何故かきちんと伝わらず、おれは不覚にも思いっ切り狼狽えた。
「あー…なんだ?つまりお前は俺個人についていろいろ知りたいと?」
「その言い方だと誤解がありそうだが…そういうことだ」
よくよく考えたら、おれは別にカノンのことをもっと知りたいと思っていたわけではないのだが、だったらどうして釈然としなかったのかという質問に納得のいく答えが出せなかった。この状況におれは最も釈然としない。
そもそも何故カノンにそんな癖があるのか、おれはそれを尋ねた。返ってきた答えは簡単だった。
「二十八年間、話すと色々都合が悪かったから」
…成る程。
「というより、よく考えてみろラダマンティス。お前はわざわざ相手に伝えるほどの事を自分がしていると思っているのか?もしくは相手に伝えられるほど、自分の行動に興味があるのか?」
「…ないな」
「だったら何も不思議なことではあるまい」
確かに。それにはおれも納得がいった。しかしまだ何処か腑に落ちないおれは、カノンの呆れた顔を真正面から見据えた。
「…なんだよ」
この時おれは、よし、とよくわからない決意をしていた。元々仕切り直しとなったカノンとの関係は『よくわからない』ものであったのだ。ならばそれを明確にするという口実でも十分だ。
「だからなんだよ!」
「自分のことを話すのが嫌だという訳ではないんだな」
「サガ程自己愛が強いとは思わんが、俺はこれでも結構俺のことがかわいいんでな」
「そうか」
決めた。カノンがカノン自身のことを、カノン自身から話すようになるのを待とう。勿論此処でおれから『好物は?』などと聞いて答えさせることは可能だが、それでは意味がない。“カノンから話す”ことに意味があるのだ。
この日からおれは、カノンとの取り留めの無さ過ぎる会話に、一方的な目的を持って挑むこととなった(それはもう、おれにとっては果たし合いも同然である)。しかし、おれとしてはこの『よくわからなかった』関係を、この時ある程度打開したと思っていたのだが、それが『もっとよくわからないこじれた』物に変わるまでそう時間はかからなかったのは、まぁ、また別の話だ。
冥界執務室便り そのに
ラダマンティスは素で恥ずかしいことを言うと思っている。本人に全く他意はない。