ちょっとした長期任務だった。大体一週間ぐらいで、ギリシャを離れて、聖衣纏っていって、まぁぶっちゃけると女神の護衛の任務だった。
前回は確かシュラあたりが行ったんだったか。今回はミロにその順番が回ってきた。勿論ミロは目を輝かせ、ふたつ返事で引き受けた。
一週間という長い期間での護衛の任務だ。当たり前だがついていったのはミロひとりではない。親友のカミュも一緒だった。
女神の護衛はなかなかに楽しい。任務なんだから楽しいとは不純だと言われてしまいそうだが、それでも楽しいものは楽しかった。
一週間、ミロとカミュは女神について、あちこちを回った。いろんなものを見た。いろんなことを聞いた。普段はあまり感情を動かさないカミュが、珍しく驚いたり笑ったり焦ったりしていた。ミロは言わずもがな、である。
ギリシャへ帰る前日の夜。カミュに促されて荷物を粗方まとめていたミロは、ふとギリシャを出発する直前のことを思い出した。
何てことはない、ただカノンと話をしただけの、約三分間ほどの場面である。
護衛の任務は基本的に黄金聖闘士の中でローテーションされているのだが、カノンが空いているときはカノンが行く。女神の護衛といえばカノン、とも言えるぐらい、カノンは女神の護衛を率先して引き受けていた。
しかし今回は、ミロとカミュが行くことになったことからもわかるように、残念ながら予定が合わなかった。カノンは海界の方にも赴くので、実は他の黄金聖闘士よりも多忙だ。今海界は忙しい時期らしく、流石に一週間も空けられない、ということであった。
朝早い出発であったのにわざわざ見送りに来たカノンは少し機嫌が良さそうだった。
「心配せずとも女神は俺とカミュがしっかりお守りするさ」
「別に其処に関しては心配なんぞこれっぽっちもしていない」
「なんだ、なら何が心配だ?」
「お前がカミュと一緒で羽目を外さないかが心配だ」
「なんだそれは!」
朝が早いことを考慮して昨晩は驚くほど早く寝たミロと違い、夜が明けたばかりの時間帯はやはりまだ眠気が覚めないらしく、カノンの声は平時よりも静かで落ち着いていた。しかしミロをからかうような余裕を含んだ物言いは変わらず、むしろ普段よりも楽しそうな印象を受けた。
「だが実際カミュはここ最近ずっとシベリアで、顔を突き合わせるのも久しぶりなんだろう?羽目を外して本分を忘れられたら困るが、存分に楽しんでくるといい」
「…一応、任務なんだがな。女神の護衛という」
「アテナはお優しいからな。そういう名目で俺達を世界中へ連れ回してくださる。だから楽しまんと損だぞ、カミュにもそう言っておけ」
カノンが大きく欠伸をしたのを合図に、ミロは笑って、行ってくる、とカノンに背を向けた。
「ああ、そうだ!」
するとカノンが突然思い出したように大きな声をあげてミロを呼び止める。
「帰ってくるのは一週間後だったな。よし、此処で待っててやろう」
「見送りの次は出迎えか?なんでまた」
「お前もよくやるだろう」
ミロは海界や任務から帰ってきたカノンを、可能な限り双児宮で出迎えてやることにしていた。それは勿論、カノンにだけではなくカミュやサガやアイオロスやアイオリアなど、親しいものたちに対しては必ず行うようにしていたものだ。
「偶には俺がやってやる。土産を忘れるなよ」
「ああ、なら楽しみにしている!」
今度こそ、ミロはカノンに手を振った。
その短いやり取りを思い出したミロは、そういえば一週間後の何時ぐらいに聖域に帰るかを話していなかった、と気付く。大体昼過ぎぐらいになるだろうとはフライトの時間から予想がついたし、カノンも恐らくその辺だと思っているだろうが、詳しいことは前日の今でも全く見当がつかなかった。最近は国際電話もかけられる便利な携帯電話もあるらしいが、生憎ミロの携帯電話は普通の携帯電話である。今更カノンに連絡はとれない。
また、カミュはこのままシベリアの方へ直で帰ってしまうらしい。だから出来れば少しでも長くカミュとの時間が欲しい、とも思う。そう言ってフライトまでの時間が延びるわけでもないのだが、散乱する服や土産物を鞄に詰め込みながら、ほんの少しだけでいいから何とかならないかなぁと考えていた。
いたら。
『ー繰り返しお知らせいたします……ー』
流れる構内放送にミロは目を丸くした。フライト時間が遅れた。昨晩ミロが無意識に、強く強く願っていたことは現実になった。がしかし、ミロは逆に滅茶苦茶焦った。
これでは、聖域に戻ったときにはもうすっかり夜だ!
別に飛行機が遅れたのはミロの所為ではないが、ミロは激しく後悔した。カミュと少しでも長く一緒にいたいのは本心で、それが叶ったことは嬉しいことに違いない。だがそれ以上に、俺はなんてやつだ!という自分に対する羞恥心がこみ上げてきた。罪悪感まで感じ始めた。
それでも一度遅れたものがどうにかなるわけではなく。結局予想通り、聖域に帰り着いたとき既に周囲は暗く、夜空に星が瞬いていた。
ミロは途中まで走って帰った。しかし、その途中のところで思い立って走るのを止めた。ここまで遅くなったのにカノンが待っているわけがない。只でさえカノンは忙しいのだ。明日に仕事が入っているようなことでもあれば、さっさと寝るのが正しい判断だろう。そしてミロはそうであることを願っていた。
だがミロの予想を遥かに裏切って、真っ暗な十二宮の入り口、白羊宮の前に人影があった。一週間前、此処で手を振った相手に違いなかった。暗くてもすぐにわかる。人影はミロの姿を確認すると、近くに置いていたランプの灯りを点けた。
ミロは泣きそうになった。
「おかえり。遅かったな」
灯りに照らされたカノンの表情は出発前と同じく機嫌が良さそうで、しかし眠たそうに目を細めていた。
「お、おう。ただいま」
おかえり、と言われたら、ただいま、だ。言いたいことは沢山あったが、まずはそれを返しておく。
言い訳が頭の中を駆け巡った。何時ぐらいになるって言ってなかったな、今度携帯買い換えるときは国際電話ができるやつにしなければな、飛行機が遅れたんだ云々…
だがどれも言い訳に過ぎないなら、どれを口にしてもこの羞恥心も罪悪感も晴れることはないだろう。ミロは改めてカノンの顔を見た。
「どうだ、楽しかったか」
カノンは変わらず、笑っている。
「…ああ!勿論だ!」
そうだ、カノンは何も知らないではないか。帰る時刻を伝え忘れたことも、携帯電話が国際電話可能なら連絡できたことも、飛行機の時間が遅れたことも。だから、笑っているのだ。ミロはやはり羞恥心と罪悪感でいっぱいになった。このまま何も伝えなければ、全てなかったことにできるだろう。それもまた、ひとつの手段ではある。
「土産、買ってきたぞちゃんと」
「ああ、明日にでも受け取ろう。それよりもカミュとはちゃんと過ごせたか?」
「さっき楽しかったと言ったろう。…勿論だ」
飛行機の時間が遅れたから、その分カミュと余計に話もした。楽しくなかったわけがない。
「はは、じゃあ楽しすぎて遅くなったか。お前らしいな」
「……」
カノンが欠伸をする。
「その楽しかった話とやらをしたいかもしれんが、明日土産と一緒に受け取ってやるからもう寝ろ。お前も今日は疲れてるだろう」
疲れているのはお前の方だろう、という言葉は直前でうまく飲み込んだ。ミロは飛行機で爆睡したから、実はあまり眠たくなかった。
「眠いなら、待ってないで寝たらよかったのに」
代わりに口からするりと落ちた言葉は、本音か建前かの区別もつかない。複雑な気分だった。
「…待ってるって言った」
「それでもこんなに遅いとは思わなかったろう!」
それはミロだ、こんなに遅くなるとは思っていなかったのだ。ましてや、カノンが待ってるとも思っていなかったのだ。だって普通なら待たない、ミロなら、ひとりこんな夜中まで待つなんて真似はできそうもない。
「…気にすんな、俺がしたくてしたんだから。それに待つのは慣れてる」
それが最後の砦を壊した。
ミロは泣いた。泣き喚いた。カノンのひどく驚いた顔が視界に映った。それでも泣いた。困らせたかったわけではない。どうしようもなくて、泣いた。
カノンがどうしたらいいかわからず視線を泳がせている。甘やかすのは得意な癖に、慰めるのは死ぬほど苦手なのだ。ミロは構わず衝動に任せてカノンに飛び付いた。当たり前のように後ろにひっくり返ったカノンは、強かに背中を石の床にぶつけた。変な悲鳴があがった。
「いきなり何するんだお前は」
てっきり怒鳴るかと思った声は、意外にも穏やかだった。その時カノンは、ちょっと前に似たようなことをサガがやってきたことを思い出していた。
「うるさい!もう次は絶対遅くなったりせんから安心しろ!」
「そう言ってお前が早く来たことなどなかった気がするが…」
上から覆い被さったまま泣き止まないミロの背中に、カノンはゆっくり腕を回した。子供をあやすようにぽんぽんと軽く叩いて、重い、と笑いながら呟いた。
カノンは、別に待たされてもいい、と思う。何故なら多分、散々待たせた後でミロはこうしてまた泣いて、そして笑うのだ。もし帰ってこなくても、あの頃とは全てが違う、必ずしも待つ必要はない。迎えに『行く』選択肢だって取れる。
選択肢というのは可能性の数だ。たったふたつでも可能性がここにあるなら、ひとつしかなかったときよりもずっと楽観的に考えられるに違いない。そうやって今日も自分を騙して生きていく。いつかそれが本物になるまで続けていく。
泣き止んだミロを天蠍宮まで送り、双児宮まで帰る中、カノンは、明日ミロの口から一週間の旅の話が弾丸のように繰り出されるのを楽しみに思った。自宮に戻ったミロは、明日カノンに一週間で見聞きしたこと全てを矢継ぎ早に喋って伝えるのを楽しみに思った。やってきた眠気に負けるまで、その期待を握り締めていた。
帰宅旅行
前々から考えてたんですが、いきなりカノミロ熱が半端なくあがったので…一晩で書き上げたとかいう代物です。
ミロからカノンの気持ちってなんだろうとかうだうだいいながら、結局のところまあいいやで済ませてしまいました。
恋愛より友愛なカノミロがいいです。構え構えと煩いくせに、我が師がいたら我が師の方にぴゅーっていっちゃうミロが好きです。ミロが我が師の方にいってしまっても、ミロが良ければいいやってなっちゃうカノンが好きです。
そしてやっぱりカノンを甘やかしたい衝動が…なんだろう、これは…
あとこれを読んだ姉上に「何というハートフルストーリーww」と言われました。ハートフルで何が悪い!