※ラダカノ中心にこのサイトにおけるカノン周りの整理です
※まとまってません
※無駄に長いです
※また増えます 多分
※私的な見解なので大目に見てくださると嬉しいです







■聖戦時ラダカノについて

まずラダマンティスからカノンの第一印象は最悪。カノンのことはポセイドンの件で知っていたらしいけど、その時からあんまり良い印象は持ってなくて、というのも、カノンという存在自体がラダマンティスとは真逆の所にある存在で、更に本人達のスタンス的にも多分このふたりは全然違ってて、カノンの態度はラダマンティスにはアウトなんじゃないかな。ラダマン真面目だし。主君(ハーデス様)を裏切るとかそういうのは自分の尊厳を大きく損ねる行為なわけで。カノンのポセイドン拐かしのような、所謂不遜な態度は理解しがたいんじゃないかと。
逆にカノンからラダマンティスへの第一印象は、正しく「冥界三巨頭、なんとかのラダマンティス」って感じ。あの時のカノンは正直後先考えてなかったろうから、あの後まさかラダマンティスがストーカーになるとか想像もつかんかったと思う。骨のありそうな奴。戦ったら無傷ではすまないかな、さてどうやって倒そうか。

第一戦で決着つかんかった後の印象は、多分どっちも「なかなかやりそうだ」。ラダマンティスとかカノンほったらかしにしてきたわけだから、早く倒してしまわねば、あれは危険だってオルフェの演奏時とか考えてたんじゃないかな。カノンはいわずもがな、その間引率の先生してるから逆に本気で戦ったら面倒に思ってそう。

で、第二戦。ラダマン的には早く倒してしまいたかったから、よし来た、だろうけどカノンは「ああ、また来たな」っていう。戦い出す前は此処でばっさり双方とも終わらそうと思ってたのに、思いがけずオルフェの技が効いちゃったラダマンティスを思いがけずあっさりぶちのめしちゃったから、あれぇ?なカノン。骨のありそうな奴だって思ってたんだけどなぁーとか考えつつ、先へ進みたいので倒そうとし…たらアイコ様とミ様登場。
ラダマンティスは、とにかくここでは屈辱。失態。自尊心の高さをその強さと三巨頭としての立場とかと一緒に持ってたラダマンにとって、まずオルフェの技に引っかかったことが屈辱。カノンにぶちのめされたことが屈辱。そんでアイコ様とミ様の手を借りることが屈辱。つまり第二戦のときに悉くラダマンティスは屈辱を味わって、まぁ詰まるところテンパってたんだと思う。
だから私的に、かの有名な「カノンは俺が倒す!」はそのテンパった結果というか。ボロだろうが一度ぶちのめされてようが、とにかくこの屈辱を何とかしなければ自分が自分でいられない。で、カノンをちゃんと自分で倒せば挽回。そんな思考。
一方カノンはそれどころじゃ全くないので(一輝兄さん来ちゃったし)、ここではラダマンティスアウトオブ眼中。アイコ様と一輝兄さんのバトルに乗っかって首尾よく撒いて、とりあえず進まねばというか。
ジェミニが呼応したときぐらいでようやくカノンは、ここで死ぬだろう、と思い始めそう。

ラダマンティスは、気付いたらカノンいなくなっててやばい!っていう。この時ラダマンはまだ地味にテンパり続行中で、テンパった思考で結論した「カノン倒さないと挽回できない」がぐるぐるする。だって危ない奴だあれは!脅威だ!みたいならしくない言い訳して追いかけてってしまうという。
なんかラダマンって、「こいつは値しない」と思ったら自分で捨てる、必要なものは手元に置く、みたいなとこありそうだなと思うんですが。有能は有能で無能は無能、で、自分は強者だから強者の位置にいる。
つまりこの時、ラダマンティスは自分をぶちのめしたカノンという強者に対して「有能」的な、あれはまさしく強者だっていう意識が存在してて、それがいつの間にやら自分が倒す前に(=手元に置く前に)すり抜けてどっかいってしまった!みたいな。その感情ははっきりしないし、何の感情なんだかさっぱりだが。BL的にいえば恋なんだろうけど、恋とかいうにはでたらめで乱暴で歪で優しくないし。私はあんまりそれではないかなと思うのですがまぁこれは置いといて、そのわけのわからんものに突き動かされてしまったわけで。その直前に屈辱を味わいすぎたってのもあると思う。怒涛の展開なわけだから、もう全然ちゃんと考えてる余裕とかないわけで、この時まではちゃんと「冥界三巨頭ワイバーンのラダマンティス」だったのがただのラダマンティスになっちゃったみたいな。(相変わらず語彙が貧困です)

つまり第三戦は、「テンパったラダマンティス」VS「死ぬ気のカノン」。結局まともに戦えるような状態ではなかったわけで。ただ、この時ばかり双方とも所謂『剥き出し』状態で素のまま、肩書きとか、カノンを追撃した時点でラダマンティスはただのラダマンティスだし、聖衣をサガに返して役目を終えた時点でカノンもただのカノンでしかなくて。プライドもラダマンティスは激しい屈辱と共に殆どボロだしカノンはもとよりプライドなんざ持ち合わせてない。そんなんで馬鹿みたいな命の取り合いをして、しかも心中するっていう。

私的に、この剥き出しの死闘(私闘ともいう)において、殴り合ってる瞬間は互いのこと考えるけど(いや考えてないのか?他のものが見えなくなるという意味で)、終わったとき…つまり心中かましたあのあと。カノンが死ぬ前に考えたのはサガのことだったし、ラダマンティスは多分心中かまされてようやく頭が自分のテンパりっぷりを冷静に分析し始めそうだ。

ここで聖戦時は終わり。まだ互いが互いに果たすべき敵以上に認識が追い付かないこのときでも、このふたりの関係が常に「行動ありき、感情後追い」になってるっていう片鱗が見えてます。
で、この聖戦時の内容で詳しく触れなかった部分はあとからあとから絡んでくると。




■聖戦復活後ラダカノ第一段階について

私的に、『冥界執務室〜』の話でかいているように、聖戦後に関係を持とうと試みるのはカノンの方だと思う。しかも聖域とか冥界とかのごたごたが落ち着いてきたあたりで。ラダマンティスは冥界に復帰したらやっぱり「冥界三巨頭ワイバーンry」であって、仕事してるときはカノンのことを思い出したりしないし、カノンも聖域と海界行き来とかでかなり多忙で、多分いまいち考えてる暇がない。
で、段々落ち着いてきて、明日冥界で会談だよ〜とかいうときにようやく「冥界といえば、あの眉毛しつこかったなぁ」って思い出して、多分ちょっと興味がわいてきます。(うん、そうです。遅いんです)あいつ何で追ってきたんだろうなぁー強かったなぁー俺のが強いけど。とかいらんことを考えながら、改めて心中かました相手に興味を持ち始めて。
で、そんな妙な好奇心の出どころは、多分戦ったときの感覚。ぶっちゃけ過去にあった出来事の記憶とか、感覚だけ残って感情は残らなかったりするもんじゃないですか。あんな感じ。戦いの中で考えてたこととか全部忘れたけど戦った感覚だけ覚えてる。それだけを頼りに興味を持つ。

そんな感じでカノンによるラダマンティスと接触作戦が始まるわけなのですが。ラダマンティスもカノンを目の前にしてようやくカノンに対して興味がわくんだけど、ぶっちゃけラダマン的には「どう接したらいいかわからん」という感じ。心中した相手ときさくに話せと?だからといってギスギスするのもなんかおかしい。とか考えてたらカノンの方は凄い軽く話しかけてくるもんで当然、ラダマンビビる。でもカノンも別に何もなかったわけじゃなくて。昔のことをごちゃごちゃ言いたくないってのが半分、「どう接したらいいかわからん」ってので半分、カノンも同じように考えてて。でも考えたところでどうしたらいいかも思い付かなかったから、とりあえずあれじゃね?互いのことを知るべきなんじゃね?という結論に至ります。
だから、喋る。『冥界執務室〜』はラダマンティス視点からしかかいてないけど多分カノンはこんな感じ。喋りながら、はじめてラダマンティスは「カノンってこんな奴だったのか」と思うしカノンも同じようにラダマンティスに思っている。

一回喋った後(『冥界執務室〜1』の後)、相手のことがより一層気になるのはラダマンティスの方。カノンのキャラが結構強いのもあるんだけど、持ち前の妙な直感でカノンの人間性に薄々気付き始めてるんだと思う。逆にカノンはまだよくラダマンティスのことわからんなぁと思ってて、とりあえず一番はじめに取ってしまった『とにかく喋る』という行動を続けようと思うわけで。

そんなんでただ出来事を話し合うだけの冥界執務室通いが始まって、端から見てる方にはクエスチョンマークが飛び交う関係がひとまずできあがり。ちなみに本人達もクエスチョンマークだらけ。繰り返すうちに、多分こうしてるのが案外楽しいんじゃないか、とか少々的外れなことを考える。ていうか、基本的に感情が行動を後追いするので、理由とか動機の曖昧なぬるい温度の関係性がうまれてるのかと。
第一段階はこんな感じ。




■サガとカノンについて

サガは恐らく単純にカノンは弟で、たったひとりの血の繋がった家族で、だから大事にしてやるし愛してやりたい、と昔から変わらず思っていて、ただ昔はここに「カノンを知っているのは俺だけだから」とか「ずっと一人だから寂しいに違いない」とか、若干カノンに哀れみを持つ方向性が混じってたんじゃないかな。
だから幼少のカノンは、「サガは俺に気を遣ってるんだ」とかいう勘違いをする。カノンにとって、世界はサガを頂点としてその辺に広がってるものであり、サガは多分最も正しくて最も尊いものであって、そこへの依存や恐怖があるから、サガに心労をかけさせたらいけないんじゃないか、とか、そんなことを考える。
サガからカノンへの感情は肉親への無償の愛に違いないんだけど、カノンからサガへの感情はいろいろ、でも結局根幹はサガへの肉親としての愛情以外には何もなくって、結局サガからの純粋な愛情が欲しくて、またサガに純粋な愛情を捧げたくてたまらんかったんだと思う。でも残念ながらカノンには肉親の愛情すらよくわからんくって、しかもサガはアイオロスのこともあってか殊更カノンを気になんかしてやれなくなったりして。
で、カノンの中で歪んだサガへの感情は反抗心にすり替わって、「どうせ俺なんてどうでもいいんだろ!」とかなって。
このカノンの発言に、サガは答えられなかったんじゃないかな、当時は。そんなことない、と言えば嘘になるんじゃないか、とか考えて。でもそれがますますカノンを卑屈にさせてるわけで。
むしろカノンの中で、例えばカノミロの時に「ミロはカミュが好きだから、自分は一番にはなれない」とかすぐに言い訳みたいに考えるのは、ひとえにサガがそこで答えられなかったことが始まりのような気がする。

聖戦後平和になって、カノンも隠れなくてよくなったら、多分今まですれ違ったぶんを何とかしようと双方考えるんだと思うが。
カノンは、アテナの愛を知ってようやく愛が何なのかを理解したから、ああサガに対するこれは肉親への愛情だったんだなと納得がいって、多分昔みたいに感情があっちこっちはしないんだろう。根幹をやっとこさ掴んだわけだから。

ただ「それは愛情なんだ」とわかればわかるほど、カノンはその愛情をどうしたらいいかわからなくて逆に考えすぎる。普段何気なしに話す言葉のように話せない。大事なことを抜かしたり、いらないことを口にしてしまったり、したくもないことをしてしまったり。
これは、サガに対してが一番ひどい状況ではあるけど、ミロに対してもラダマンティスに対しても、また女神に対してもちょっとまだどこか歪で。所謂コミュニケーション不全に陥っていると。


で、何故ラダカノの話にこれが交じるかというと、サガへの愛情は、カノンにとって世界の頂点がサガであった幼少期のときのように、どんなときでもカノンという人間を形作るひとつの要素なんだと思うからです。



■ミロとカノンについて

カミュミロが成立しているのにカノミロであるという関連の話はぶっちゃけ結構かいたしこれからもぐだぐだ書くと思うのですが。
カノンは、ミロに対してもかなりのコミュニケーション不全で。言いたいことがいえない、言ったけど伝わらない、そうじゃないそうじゃない。それの繰り返しに疲れて、結局ミロが良さそうならそれでいいかという風にコミュニケーションを放棄してしまっている。
別に今更カミュからミロを取りたいとかそんなことは一切思ってなくて、でもミロが、カミュがいない寂しいってカノンに甘えるところに言いようのない感情が存在してる。純粋にミロを「自分を自分と受け入れてくれた奴」として見ていたくて、そういう方向に友愛のようなものがあるのにっていいたい。だから別に甘えられるのは嫌いじゃない、それが嫌なんじゃなくて、ええい面倒!ってな感じ。

だから多分、ミロといるとちょっと疲れるんじゃないかな。体がとかいうより、精神が。どうしようもならないことしか考えることがなくってスパイラル発生。

サガも憂鬱の原因だけど、サガ相手にはまだコミュニケーション諦めてないカノンがいると思います。だから、この先の第一段階ラダカノの後で、カノンがラダマンティスに対して考えることの直接的原因は主にミロとのふわふわした関係性かと。




■聖戦復活後ラダカノ第二段階について

サガとかミロとかの一方で、ラダカノはまだ非常に健全にただ話をするだけをたびたび繰り返してます。
ラダマンティスは話を通じて、カノンという人間の核を掴もうとするというか、最初の興味から大きく反れない形でカノンを理解しようとしていて、その過程ですぐに「ああ、こいつはサガが好きなんだ」と冷静に気付く。同時に、ミロを大事にしたいと思ってることも大体理解する。カノンがコミュニケーション不全なことにも、薄々感づいてくるんじゃないだろうか。
一方カノンは、サガやミロのこととラダマンティスへの好奇心は完全に別物で、冥界にいるときはその辺の思考とかをなるだけ追い出して会話がしたい、とか考えてて。ただ無意識に聖域からの逃げ場みたいに段々している。ラダマンが気にしないからそのままずるずる引き摺る。

繰り返す間に、多分色んな感情が後から後からついてくるんだと思います。別にカノンが特別気分を落として会いに来たことはないだろうが、何かあったな、というときとか。急に手を握ったり頭撫でたり。「なにしてんの?」ってきいても「しなければと思った」みたいに曖昧な動機しかないんだけど。
そういう風に他意のない接触が生まれると、ラダマンはそれの意味について思考する。何で手を握ってやりたくなったり頭を撫でてやりたくなったりするのか、ってことを。で、出した結論は、カノンがサガやミロ相手にコミュニケーション不全おこしてるのが気になるんじゃないか、という。ラダマンティスは人間ができてる奴だと思うので、奇妙な関係ではあるけど敢えて名前をつけてカノンが『友人』なんだったら、困ってる『友人』を助けてやるべきなのでは、と考える。うん、これで意味はできた。

こんな感じで『身勝手な不自由』の話の前身がうまれるわけです。
あれは所謂ラダマンティスが、カノンとサガが何とかならないか、と思っての行動で。「手放しで愛してやりたい」と言うのは、「手放しで愛してやってくれ」という意味合い。
でもサガはそれを聞いたら、凄い腹が立つんだ。だってそれじゃまるでラダマンティスがカノンの肉親みたいになってるわけで。

一方カノンはラダマンティスが手を握ってきたり頭撫でてきたりという行動に特に理由が見つけられないんだけど、多分悪い気は大してしていない。これは情がわいたのかもなぁとぼんやり思い始めるんだけど、思い始めると首を擡げるコミュニケーション不全。
ただ、ラダカノにおいてこのカノンのコミュニケーション不全が大した問題にならないのは、ラダマンティスがその傾向についてしっかり理解してるからなんだと思う。カノンがうまく喋れなくても、ラダマンティスは「ああちゃんと喋れなかっただけだな」とわかってやれる。大事なことが抜けてても、多分大丈夫。
これが第二段階。まだ健全。第二段階までは何となく、聖戦後の感情だけを引っ張ってる感じ。




■聖戦復活後ラダカノ第三段階について
※微妙に吉について書いてるので注意

第二と第三何があるかというと、これはまた書こうと思ってるんだけど、珍しく何のやり取りもしない時期が長く続きます。1ヶ月そこら。単純に双方忙しくてそれどころじゃなかっただけなんだけど、この1ヶ月を過ごして急にラダマンは色々よくわからない焦燥感に苛まれる。
もしかして気に障ることをしたかもしれない、あれは離れていくときは何も言わずに離れていくから云々。カノンについてあることないこと考えて落ち着かなくなる。
このときにあの、聖戦時以来の「テンパったラダマンティス」が出現します。勿論今回は屈辱を味わったわけでもなんでもないのだけど。でも「すり抜けていった」感覚だけはそっくり。いつの間にか視界にいないのはそっくり。しかもサガ云々をどうにかしてやりたいとかちょっと思ってた所為で、あれを何とかしなければ、とらしくない言い訳をするところまでそっくり。

で、らしくなく追い掛けるようにして、聖域に来ちゃったりする。
来てから「あれ、何してるんだ」って気付くけど今更帰る気もせずにカノンに会いに行って滅茶苦茶びっくりされるんだと思う。「どうしたんだ!?」っていう。でもラダマンティスも「いや、わからない。いかなければと思った」としか返せない。来る前にはあれこれあることないこと考えてたけどそんなこと全部忘れてるし、多分大した問題でもなかった。

ちなみに、この時に初めて聖域組は「あれ、この二人ってそんなに仲良かったの?」とラダカノについて考え始めるんじゃないかな。(サガは知ってるけど、まさかいきなり来るとは思ってなかった)端から見てる人達にしてみれば何だか唐突な話。気が合うのか、という部分さえ謎。

このちっちゃい事件を経て、ラダマンティスはもう一度冷静にカノンに対する感情について思考する。でも考えれば考えるほど奇妙で、「離れたくない」と思うよりも先に掴んでたり、「慰めてやらねば」と思うよりも先に頭を撫でたり抱き締めたり、何かこう、一言いうならやはり、奇妙。

色々考えてもよくわからなくてテンパったラダマンが出した答えは、「おれはカノンがすきだ、多分」。感情がいまいち追い付かないので実のところどうかは謎だけどもうそれ以外に思い付かない。で、カノンにそのことを面と向かって言ってみたら、カノンは「そうなの?まぁ俺もすきだけど、多分」。
カノンは第二段階時点でラダマンティス相手に情があるのを自覚しているので驚きません。むしろミロ相手みたいに、独りよがりにならずに済むことに安心してそう。
でも「すきだ」って何だ?どうすきなんだ?ってことになって。そしたらカノンが「じゃあ一回やってみるか?」とか言い出す。カノンは基本ノンケですが(ミロという例があるように)男同士に大して忌避感はないので、すごい軽く言うんだけどラダマンティスは滅茶苦茶びっくりする。ラダマンティスは言わずもがなノンケなので「その発想はなかった」と。それ聞いてカノンは口にしたことちょっと後悔するんだけど、まぁ色々曖昧なまんま一回やっちゃうんだと思う。
やってる時はあれこれ考えてる間なんてないけど、やった後に「もしかしてこれは果たし合いと大して変わらないんじゃないか」ってことに双方気付きます。そうしたらこれは、よくよく考えなくても今までの曖昧なものよりも非常にわかりやすい自分達の関係なんじゃないかという。だってそこから入ったから。
カノンは「自分もミロと同じようなことしてる気がする」っていう嫌悪感が抜けない面もありそうだが。そんなことラダマンティスは気にしたこともないからまぁやっぱり大した問題じゃない。

しかし『友人』とか気軽にいえない感じの関係ができても、態度は変わらず妙な空気のまま。ちょっとラダマンティスが接触過多になるぐらい。相変わらずカノンはコミュニケーション不全なんだけど、逆にそれが愛情錯覚みたいなのを引き起こしていそう。つまり、すきだというのはこういうことなんじゃないか?みたいな。常に疑問形ではあるけど。

第三段階で一応完成形です、ラダカノについては。最初からここに辿り着くまで色々あるわけだけど、とりあえず以上を踏まえて総論。




■ラダカノ総論

基本はずっと言い続けたように、「行動が先走って感情が後追いする」。あとウチではカミュミロが前提のカノミロが存在するので、必然的にそんなカノミロが前提のラダカノになる。

私は何となくラダカノ二人はノンケだろうと思うので、カミュミロのような甘ったるさとか(性格的にも)ないし、かといってカノミロには存在するハートフル感もないし、ロスサガのようなプラトニックさもない。そういうところにいない。
これの主な原因は、一番はじめに互いをよく知る前からいきなり殴り合いをしてしまったことに尽きる。だってこれが最初のコミュニケーション。此処で『敵』として成立したコミュニケーション手段をずっと今も使用してる節がある。
聖戦時の話の中でかいたように『剥き出し』で殴り合いをしたわけですから。肩書きもプライドも(カノンに至っては聖衣も)全部アウトした状態でそれ以上捨てるものとか無くすものとかない!という状態。
正直そこには感情が全然伴ってないんだけど、そういうことをしたという事実のおかげで、ラダマンティスもカノンも互いに興味を持つ、甘やかす、信頼するなどなどの『親しみ』を軸とする行為も平気でするし逆に、突き放す、殴る蹴る、踏み入るなどなどの若干荒々しい行為も平気で混ぜる。

で、結局何なんだよそこにあるのは!っていわれたら、執着心以外にいいようがないかなぁ。
要するに、『そうなるもんだった』っていうか。うまく言えないんだが、条件が揃いすぎた感じがするわけです。聖戦時の流れから聖戦後まで。
ある子供が偶然同じ幼稚園にいた子供と偶然ペアとかなって拙い会話で喧嘩して双方とも大泣きして、大きくなっても親友だった、みたいな。あるよね?ないか(笑)
でもそういうのって、何でか信頼してて「別の人と仲良くしてても大丈夫」で、「接触行為がナチュラル」で、喧嘩(ラダカノはちょっとした暴力)もすれば長らく会ってないと急に会いたくなったりするもんじゃないかなと。

ただやっぱり、「こういう形!」っていうのはわかってても、それを何というのかが未だに私もわかりません。感覚で掴んでるけど頭が追い付きません。正直二人と全く同じ状況なんだろう。わからないけど、私はラダカノが見たくて書きたくてしゃーないことだけはわかるよ!…っていう。ね。

単純に「それは愛だよ!(byアイオロス)」といえなくもないが、何かしっくり来ないよね、不思議なことに。愛情錯覚は起こしてそうだが、愛というにはウチのラダカノには前提にあるものが多すぎる。カノミロ然り、双子然り。




■アイコ様とミ様のぼやき

ふたりは例の「カノンは俺がry」を生で聞いてるので、ラダカノについては聖域組よりも早く気付いてると思う。
アイコ様はそうなの?へぇ、ぐらいに思ってそうだが、ミ様は個人的趣味で色々分析してそう。一番よくわかっていそうだ。
サガがラダカノを理解できないのはひとえにラダマンティスのことがよくわからんからである気がする。その点ミ様は多分、ラダマンティスの理解がある分結構的を得ていそうだ、ということで。




■ラダカノの不透明さのぼやき

カミュミロが完全に周知のことであるのに反して、全然外から全容を掴めないラダカノ。別に本人達は隠してるつもりはないんだろうが。やましいことしてないし、はじめは普通に友人だと双方とも思ってたわけだし。
でもふとした時に『親しみ』の面が見えたり、逆に『荒々しさ』の方が見えたりするときはありそうだ。しかし本人達の感情がぶれまくってるので「結局お前ら何なの?」と周りから認識されざるを得なかったり。




■カノンのあれこれぼやき

カノンはTPOに合わせて態度も一人称も、ひどいときは人格すら変える奴なので、聖域でも女神の前はこれ、サガの前はこれ、ミロやアイオリアにはこれ、また海界ではこれでって使い分けてそうですが。
これ、例えば海界の皆+サガとか組み合わされると若干テンパりそう。どっちのスイッチオンにしたらいいの?っていう。まぁ何となくこの組み合わせならサガ態度が優先されそうではありますが。
そんなカノンにとってラダマンティス相手はもんのすごく落ち着くんだと思う。言うなれば『楽』。そういう態度。
しかし例えばサガ+ラダマンみたいな状況になったら滅茶苦茶困りそうです。…ていうか、これはサガが原因なのでは…

あと、ラダマンティス相手には嘘が通じなさそうです。すぐバレる。
ミロとかリアとか、カノンが嘘吐いてもよっぽどのことがない限り気付けないと思うんだが。サガはどうなんだろう。気付いたところで喧嘩になってしまうのかもしれない。




■カノミロのぼやき

ラダカノが成立しても相変わらずカノミロの関係性はふわふわしてるんだと思う。相変わらずカノンはもやもやしてるんだと思う。
でもひとつ何が違うかと言われると、カノンの逃げる場所が確立されてるところにあるのかなと。カノミロがあるからといって、もしくはカノンにとって全ての要因はサガにあるからといって、カノンはラダマンティスを蔑ろにしたり突き放したりはできないと思うのでそこんところが凄く微妙な気はするけど。でもそれはミロも一緒、カミュが好きすぎるだけでカノンを蔑ろにしてるわけではないし。

そしてこのカノミロのどうしようもなさは、双子の関係がどうにかなったら一気に解決するんだと、思います。
てかミロはカミュが好きなんだってわかってるのにミロの一番云々でカノンが悩むのは、サガに対する肉親の愛情をちゃんとわかってもらえないから外に色々向いてるんじゃないかなぁ。だから何らかの形で双子が和解できたらカノンは綺麗にミロとの関係を割り切れる気がする。カミュがいない間の餌やりだ、って。結局最後は全部サガなカノン。でもそれって仕方ないよなぁと思うのは私が下の子だからだろうか…。




■サガのぼやき

サガはラダカノを一生かけても認めなさそうな気がする。ウチのサガはかなりの冥闘士嫌いであるのは勿論、まずラダマンティスという人間のスタンスがサガと似て非なるというか、真面目でワーカホリックなのは同じだけど(慕われるのも一緒だな)、サガって絶対ラダマンより心狭(ry)

もともとサガはサガなりに今までカノンを大事にしてきたつもりなので、「一体カノンは何が不満なのか」って苛々してそう。落ち込んだりするんじゃなくて、苛々する。サガにとってカノンを大事にすることは兄弟なんだから理由とかなくて普通のことで、その普通のことに対してカノンが逃げを打とうとしたり拒絶したりするのが多分理解できない。自分に何か不満があるとしか思えない。

だからその傍らで、カノミロはいいんだ、ミロを大事にしてるんだなってことはサガにだってすぐにわかることなんだろう(やってることとか知らないし)、しかしラダカノは「何なんだ!」というか。サガがしんどくなって逃げる場所は身内(=カノン)のところなのに、カノンが逃げる場所はラダマンティスのとこって何かおかしい、何であの眉毛なんだ!と苛々して突っぱねてる感じがします。
要するにサガはカノンのコミュニケーション不全を理解できてないんだと思うのだけど、理解できてる人間なんて多分ラダマンとあとでっちゃんとかムウ様とかぐらいだと思う。




■はしたない話のぼやき
※つまり吉話なので注意

カノンは基本攻め気質だと思ってるので、カノミロにおいて一時的でもミロの下になるのは耐えられないと思う。これはかなり私的だが、ミロは(まぁなることはないけど)上になったら凄いドSなことをしたがりそうで、正直性行為についてさっぱりした感情を持ってるカノンにしたら果てしなく拷問に近い時間を過ごすわけで。あれだ、趣向を凝らすとかして行為を楽しむみたいな発想がないというか。だからミロが上になりたがっても「嫌だ」の一言でずばっと切り捨てそう。なのでカノミロは主にカノンの所為でひっくり返らない。

ラダカノは、カノン的には若干ミロと同じことしてるんじゃないかという微妙な後ろめたさがあるので、どっちが上でも下でもいいと思ってるけど(それでも下は嫌いだが)、ラダマン的には上がいいんだと思う。
そもそもラダマンには愛されたい願望がない気がする。カノンの感情が例えばミロにいこうがサガにいこうが、自分がカノンを抱え込んでたら特に気にしないというか…(あっさり書いたがこれ、相手がカノンじゃなかったら絶対嫌がられるよな…カノン以外にラダマンがそんなこと考えることはないと思うが)。

で、カノミロは身ひとつ勝負つか…やりたいときにやって飽きたらやめる、みたいな。やり始めるのに場所も場の雰囲気も何か特別なものも必要ない、なんというか年中盛ってるみたいな(笑)ノリを感じるんだが(なのにカノンが不本意って変な話だ。確かにこれではミロが気付くはずがない)。
ラダカノはどっちから始めようが何だろうが、乱暴。カミュミロが『愛する』ようにするなら、カノミロが正しく性行為をするためにやるなら、こいつらは諍いの続きをするようにやるというか。だから果たし合いと性行為が同一のものっぽいというか。つまりやったあと凄く鉄くさそうだね(笑)と思います。
あとラダマンはカノンとやるようになったらカノン以外とは絶対にやろうとしないんじゃないかな。特に理由はないが、ラダマンはそういう奴な気がする。



やはりまとまらなかった(笑)。また付け足します。多分。





そしてひとつ。
ラダカノは執着さえ外さなければ、あとの解釈は周りとの関係性によって大きく変わるのかなと。つまり、ウチはカノミロがあるからこんなんなだけで、ラダカノしかなかったら絶対カノンは襲い受の傾向があると思います。ていうかそっちが主流だと思います。ラダマンティスの方が受けくさいっていう。そういうの。余談でした。