※デスマスクの過去を捏造しています。どんなものでも許せる方のみどうぞ















こんな雨の日に自分は生まれた。







思えば散々な話だった。自分は母親に育てられた。いや、実際には『育てられた』わけではなかったか、ともかく自分は聖域に来るまでは母親と暮らしていたのだ。父は一度も見たことがない。だが、自分は父親似だったらしいことは知っていた。

母はどうしようもない女だった。見た目だけはどれだけ誉めちぎっても文句のないくらいであったが、性格がてんで駄目な女だった。そんな母親にそれなりに愛されていたという自覚が自分にはあった。そしてそれは、自分が見たこともない父と顔の造形がそっくりそのままであったことに起因していたのも知っていた。

あの女のヒステリーに巻き込まれたことなら何度もあった。華奢で綺麗な女で大した腕力もなかったが、女は物を使った。その頃はまだ非力な餓鬼だった自分は、ただ殺されないようにするので精一杯だった。そうして疲労と痛みで息も絶え絶えになったぐらいで、女は実に官能に満ちた表情でなめらかな腕を伸ばし、そのやわらかな胸に我が子の顔を埋めさせるのだ。





唯一、あの女がどんな死に方をしたのかを自分は知らない。何処かで身を投げたか何か、とりあえず死んだのだと云うことだけを自分は告げられた。父親の行方は依然と知れず、またあの女の生前の知り合いもよく知れず、自分は路頭に迷うこととなった。

そんな中でたったひとり、母を知っているという人間が居た。医者だった。あの女の腹から自分を取り上げたのだとそいつは言った。その日は酷い雨で、ずぶ濡れになった男が身重の女を守って病院に駆け込んできたのだと語った。

(ああ言われてみれば、君は父親によく似ている)

そいつまで俺の顔を見てそう言った。一体どんな顔をしていたのかと鏡の前に何度も立ってみたが、映るのは自分の顔ばかりだった。




ともかく、自分は雨の日に生まれたのだ。それもかなり土砂降りの。陣痛の波に飲まれ、悲鳴をあげながら自分を生んだ母は。必死で雨の中を駆け抜け、ひたすらに彼女を守った父は。産声をあげた自分をどんな目で見たのだろう。知りたくもなかった。だから医者が話をするのも遮って、ただひとり、誰もが他人の世界に足を踏み出した。

































ああ、朝から雨が降っている。最悪だ、じめじめするし何処にもいけないし。なんで誕生日なのに雨が降るんだ。

「蟹だからじゃないか?」

海っぽい、水っぽいと言いたいのだろう、この男も立派に魚な癖に!悪態を吐いても大したダメージにはならないと、わかっていても言わずにはいられない。いつもより暗い昼の空の中、傘を差して巨蟹宮までやってきたそいつは、誕生日プレゼントだなんていって酒を机に乗せた。
「どーせお前も飲むんだろーに」
それじゃプレゼントにもなりゃしない。いつもの晩酌と何にも変わらないじゃねぇかと、やはり条件反射の如く言い返しても知らんぷりだ。
「不満か?どうせ外には出られないんだ。出てもこれじゃ、どこへ行っても湿気て退屈だろうね」
「お前が退屈なんだろーが」
「失礼な。私はお前がさぞ寂しかろうと思い、双魚宮からわざわざ降りてきてやったんだぞ」
「余計なお世話だっつの」
我が物顔でソファーを陣取る奴の片手には既にグラスが握られている。更に自分の目の前にはふたつ、ひとつは俺の、もうひとつは遅刻中の山羊の分。
「しかも昼間っから飲めって?」
肯定はしなかった。が、奴のもう片方の手は、先ほど奴自身が持ってきた酒瓶を握りしめている。
「ケーキまでの繋ぎだ。いいじゃないか、どうせ外にも出ないんだろ?」

簡素な祝いだ。しかし必要なものは、主賓に来賓に飲み物に、後から来賓の持ってくるケーキにと、大概は揃えてすっかり小さなパーティーである。外はばらばらと煩くてどんよりと暗くても、部屋の明かりは何の憂いもなく眩しくて。


まだコルク栓は開けられていない。山羊が来るまで待つよと奴は笑う。そう言ってまともな祝福の言葉ひとつすら、未だ全くかけられていない。祝いに来たんじゃねーのかよと苛々を隠さずに言い放てば、そうだ、祝いに来たんだよと、ごくあたりまえに返事がとんだ。
「喜びなよ。こんな自分でも、祝ってくれる人間はふたりも居るんだってね」
「野郎ふたりに祝われて何を喜びゃいいのかねぇ…」
「それでもこんな酷い雨の日に、ひとりじゃないのはそこそこ嬉しいものだろう?」


雨粒が窓にぶつかり揺らいで落ちる。その音が不快にもならない。ひとりじゃない、ふたりもの声のバックグラウンドミュージックとして働いている。軽くアルコールのにおいが鼻について、何かをずっと待っている。




















こんな雨の日に自分は生まれた。
























彼らから貰った名前すら捨てて、あの頃の非力な自分は既に死んだが。どんなに頑張っても思い出せない、非力な自分が生まれたその日を、今も特別なもののようにまたひとつ年を重ねる証にして。

どんな顔をされていたって、どんな想いを持たれていたって、どんな事情があったって構わなかった。生まれてくる時も人も場所も、どうせ自分には選べない。あの土砂降りの雨は、思い出せなくても変わらない。



母につけられた傷の殆どは、今はもう残っていない。ただひとつ、腕に入った火傷の痕を除いては。可哀想な女だった。来る日も来る日も帰ってくるかもしれない帰ってくるかもしれないと、毎晩のように玄関先でそわそわしては、朝方にいつも発狂した。子供のような女だった。

苦渋に満ちていた。生まれたのに生きていけるかどうかも怪しい世界に放り込まれて、恨みがないと言えばそれは嘘かもしれない。けれどもそんな風に歩いた軌跡も、今に続く線なのだとすれば、思うのだ、こんな雨の日に生まれた、非力な自分を抱えあげたであろう彼らに。































「 」
「あ?」
「シュラだ」

奴が宮の入口を指差す。のんびりと階段を上がってくるのは、紛れもなく山羊だった。片手の先にケーキの箱をぶら下げている図はお世辞にも揶揄するにも似合ってるとは言えない。
「おせーよ、遅刻だぜ」
やはり降り続く雨の中、黒く大きな傘を差していた山羊がふいと顔をあげて仏頂面を晒す。
「買うのに少々手間取っただけだ」
「何か手間取る要素あったかよ」
「名前を入れるのに…」
「なまえぇぇ?」
見ると、奴が後方で腹を抱えて笑っていた。てめぇの差し金か!と振り向いて叫ぶ。山羊は傘を畳んで屋根の下に入る。
「祝ってやると言ったじゃないか」
さぁケーキも来賓も揃ったことだし、はじめようか、ちょっと湿気の多い誕生パーティーだ。



「ハッピーバースデー、我らが同志よ。君に幾千もの幸福を私は願おう。また明くる年も、こうしてこの日を迎えんことを」



唐突に仰々しくそんな風に言い出した奴に、自分は盛大に顔をしかめた。
「…それ、サガの真似か?」
「そうだが」
「にてねぇぇぇ…ぐぇっ」
間髪入れずに振り回された足が腹を打つ。山羊がこっそり隣で吹き出した。











ああ、こんな雨の日に。

いつか殺した非力な自分。毎年巡り巡ってくるこのいとおしい日に。



どれだけ殺しても忘れられない幼き自分よ、足跡辿って此処までおいで。こんな雨の日にひとりじゃ、涙も声も出せないまま、体ばかり大人になっていくだろうから。



今こそ、此処に黄泉がえれ。









再生を臨む空の下



でっちゃんお誕生日おめでとう!
・・・というわけで、蟹誕に合わせて書いたものでした。思いついたのが当日だったので実質一日くらいでばばばっと仕上げたもの。なのでちょっと荒いね…ごめんね・・・!

年中組の過去は勝手にいろいろ捏造してるので、どこかに出し切れたらいいなあ。