何が欲しかったかを今でも思い出せるかい?
頭の中に響く声はいつだって嘲笑っていた。
どれだけここで役目を果たしても、どれだけここで奪い合っても、どれだけここで涙を流しても、変わらない空、変わらない地上。
ゆるり、ゆるりと、神を見失った僕らは、人であることを見失う。
feeling1
scene1
肉を切り裂く感触が腕を満たした。急激に冷めていく熱に身を震わせる。地に倒れ伏した体に歩み寄ると、僅かにそれは痙攣を起こした。
ああ、一撃で斬り損ねてしまったのだ。これはいけない、苦しみを残さないのがただひとかけらの慈悲なのだから。
腕を振り上げて下ろすだけ。
だが不意に、足下の血まみれた手のひらが視界に入り込んだ。この場から逃れようと無意識に動かされたであろうその手のひらに、何故か腕が下りなかった。
このまま逃げても、助からないだろう。
だけどこのまま見逃せたらどれだけいいだろう。
逃げたいのはどっちなんだろう。
その躊躇ったほんの数秒に、腕を振り上げた彼の頬を掠め、一本の薔薇が倒れ伏す体に突き刺さる。さまよう手のひらは動きを止めてしまった。彼はゆっくり腕を引いて、動かなくなった手のひらを見る。
「甘いなシュラ、一撃で決めるのではなかったのか」
振り返ったところには、誰もが見惚れるだろう整った顔。髪の一筋まで美しい『友人』。
しかし友人はその美しい顔で軽蔑の様相を作り上げ、彼を、シュラを見た。
「情でも湧いたか?馬鹿馬鹿しい」
「……」
情。
って何だ?
改めて、自分の手のひらを見つめてみる。他人の血で汚れて、元の色は既に消え失せている。それが手のひらであるという、形だけはくっきりと浮かんでいた。
どちらが人間の手だ?
scene2
「なぁーんで仲良くできないのかねぇ」
任務から帰ってきたシュラとアフロディーテ、二人の友人を出迎えと称して冷やかしにきたデスマスクは、その険悪な空気に思わずそう漏らした。
「ふん。シュラが悪いのだ、この期に及んでサガのことを口にするとは。いいか、過去の出来事に関して誰かに謝罪を求めようと思うな。どうせ何も戻ってはこない」
「口が軽いなアフロディーテ。俺たちしかいないからと安心すんじゃねぇ」
「うるさい。まさかお前まで『この状況』はサガの責任だと言うんじゃないだろうな」
「誰の責任かなんて俺が知るかよ」
「いや、あれは俺が悪かった。だからもうやめよう、この話は終わりにしよう」
誰かがそう言ったらもうそこで話は終わり。これは三人の暗黙の了解だった。
デスマスクはひらりと踵を返して、さっさと血の臭い落としてこいとけらけら笑い、アフロディーテも歩き出す。
「アフロディーテ」
その後に続きながら、シュラは呟くように、尋ねずにはいられなかった。
「戻りたいと思うのは、罪か」
「君ひとりで戻るといい」
答えは無情だった。
「私は、サガが必要としてくれるのなら何処だって」
奪われたのは何だ
奪い取ったのは、
word1
scene3
ある朝、教皇宮から双魚宮に降りてきたデスマスクが、へらへら笑いながら血の塊を吐いた。
それを目の前にしたアフロディーテは怒りを露わにして、思い切りその身を蹴倒した。
「お前は大馬鹿者だ」
任務報告の際に、デスマスクが余計なことを言って教皇の怒りに触れたのだろうことは明らかだった。いつものことである、いつものことなのである。
「ああそうだ、俺は馬鹿だ。だからどうした?今更だろ、何を怖がる必要があんだよ、アフロディーテ、馬鹿なのはお前もだ」
空まで酷い顔をしていた。鬱屈として灰色に染まる。
シュラは後からそのことを聞いた。このとき彼は、相変わらず人を斬っていた。少し前から教皇を疑い、あらぬ噂を流していたとされる集団の一派だった。
feeling2
寝ても覚めても、ここは夢のようだ。
久方振りにアフロディーテは、幼い頃の記憶に潜り込んでみた。以前は執拗に思い出していたせいか、驚くほど鮮明に映し出される光景。
言うまでもない。我々は皆愚かなのだ。始めから何もかも手に入れた気分だったわけではないが、始めから世界は手を汚し合うことを望んできた。気付いていながら、何かの所為にし続けた。
過去と現実と未来の境界線が曖昧になる。我々は今、どこにいきているのだろう。自問せずともアフロディーテは既に答えを持っている。今だ。今以外に、他はない。
懐かしく輝かしい記憶に身を埋めた最中、口元の血を拭ってデスマスクが笑う。へらへらと、アフロディーテを嘲笑うように。
「もう一度蹴られたいかデスマスク」
「冗談、二度と御免だっつの」
シュラは、形しか残らない己の手のひらを眺めながら、本当は泣いているのかも知れない、と考えた。誰が、とは言わない。誰かなどわからない。誰かが泣いていたところなど、シュラは見ていない。
feeling3
悪戯に月日が流れるだけ。
word2
feeling4
何が欲しかったかを今でも思い出せるかい?頭の中で響く声はいつだって必死だった。
知らなかったんだと言って許される時代は過ぎてしまい、知っているんだと開き直れるには少し早い。でも誰も教えてくれなかったと喚き散らすには、手を汚しすぎたようだ。
僕らは今、どこまで人だろう。後ろに伸びた影は、魔物の形をしていないかい?
scene4
明くる日、教皇からお達しがあった。前々から潰し続けていた一団の拠点がわかったから、迅速に且つ極秘に制裁を、とのことである。
三人で。
feeling5
人を殺すのなんて、反吐が出るほど簡単だった。どこもかしこも急所だらけ、体を覆う固い鱗があるわけでもなく、神経は痛みですぐに使いものにならなくなる。
どれだけ肉体を鍛え上げても、人間は人間だ。反吐が出るほど容易く死ぬ。
scene5
シュラがひとり斬り伏せた。喉。即死だ、あれは。何かが狂ってあの手刀が自分の首に当たれば、綺麗に跳ねられて死ぬだろう。
アフロディーテがひとり心臓に薔薇を突き立てた。あれがもし、…いや、もう考えるのはよそう。
feeling6
つまりは綱渡りをしている。ほんの少しでもバランスを崩せば、左右どちらかに真っ逆様だろう。落ちた下は、固い地面のようだ。
だがその綱を渡ったの先に、欲しいものが見えるだろうか?
…いや。
デスマスクは知っている。欲しいものなど始めから存在しなかった。ただ何も持っていなかったから、何かが欲しかっただけなのだ。だから虚ろだ。眩しい光の下にも、暗い闇の底にも、始めから欲しいものなどない。
腹が空いた。飯が欲しい。喉が渇いた。水が欲しい。寒くなった。暖かくなるものが欲しい。眠くなった。寝床が欲しい。なぁもうそれだけで充分じゃないか。他に何が必要だと言うんだ。わかっているのに誰もそれで満足なんて言わないんだ。
人は、容易く死ぬけれど。
scene6
最後の一人は、デスマスクが止めを刺した。貫いた体から流れる血は驚くほど赤い。腕を埋めた人の体は、血と混じり合いながら、酷く、生暖かい。
guild
思えば、いつも後ろには転がしてきた身体がある。誰かを引きずり落とし続けてきた。
泣いていたのかも知れない。再びシュラはそう思った。今足下を転がる身体を、次の瞬間には後ろに置き去りにしていく身体を。
足が、竦んだ。
「どうしたシュラ、早くしろ。事後処理までしなければ任務完了にはならないぞ」
アフロディーテの美しい顔に、少しだけ飛んだ鮮血が見える。
動けなくなった。
「死体は全部裏に纏めろ。風向き確認しろよ、全部燃やす」
なぁ、どうしてこうなったんだ。俺たちのしていることと言えば、教皇に跪いて、目障りになるものを次々と葬って、人々を騙して、それで。
「…デスマスク、アフロディーテ」
「もう、止めよう」
feeling7
何が欲しかったかを今でも思い出せるかい?
手のひらは既に血まみれた。過去も現在も未来も同じ色に染まっている。後ろに伸びる影が人の形をしなくなり、口を開けて生理的欲求だけを呟く。
それでもたったひとり、頂点にひとり、可哀想なひとりを見捨てられずにここまで来た。
scene7
「いいぜ、止めても」
死体を放り投げながら、デスマスクは静かな声で言った。
「でも俺は止めねえ、最期までついていく」
「…何故だ」
苛立たしげなシュラに薄笑いを浮かべ、デスマスクは勢い良くシュラの右腕を掴みあげた。
そしてその先端を自身の首に当てる。
「このまま力が入れば俺は死ぬ」
アフロディーテは、黙ってその光景を見ている。
「止めたところでどうだ?何があるんだそこには」
「だが続けたところでその先にも何があるというんだ」
「先にはねぇな」
「なら…」
「でも過程はあるさ」
最後に続けたのは、ずっと黙っていたアフロディーテだった。
「本当は君もわかっている筈だ。私たちが今までどうやって生きてきたのか…私たちが、どうしてこの道を選んだのか」
ああ。
わかっていたとも。
feeling8
何が欲しかったかを今でも思い出せるかい?頭の中に響く声はいつだって嘲笑っていた。どれだけここで役目を果たしても、どれだけここで奪い合っても、どれだけここで涙を流しても、変わらない空、変わらない地上。
世界はいつでも僕らに手を汚すよう、廻ってきたではないか。でも手を血まみれにすることを選ぶのは、いつでも僕らではないか。沢山理由をつけたって覆らない僕らの短い道のりは、確かにこの世界の内で、確かに僕らが歩いた。
scene8
燃え盛る炎を見つめる。肉の焼けるにおいが僅かに届く。シュラは目を閉じた。薪を中へ投げ入れる『友人』達を近くに感じながら、シュラは目を閉じた。
この先もまた、同じように日を続けるだろう。そしてまた、見失った自分に惑って逃げようとするだろう。だが結局戻ってくる場所は此処なのだ。
燃え尽きた全てを片付けて、誰にも見られぬようにその場を去る。
生きている限り。
生きていく限り。
神を見失ってもなお、僕らは人であることを見失ってはいない。
ギルド
(仕事ではない、わかっていた)
例のギルドという曲に合わせて書いてみましたがどうも座りの悪い文章です。てか何だこの構成の仕方は。入り乱れてカオスなことになってますね…
年中組の色々は、多分一番素直に書きやすいです。
でも暗いのはやっぱりしんどいよね。聖戦後は是非、ゆるりと、だらっと暮らしていただきたいものです。