「見たまえ貴鬼よ」
上りきった階段の先、第四の宮を指差しながら、シャカは隣の貴鬼を見下ろした。
「此処が『巨蟹宮』と書いて『いたりあんれすとらん』と読む、聖域でも屈指の名店だ」
ゴイセンパーティー in 巨蟹宮
「へぇ〜!」
貴鬼は目を輝かせた。宮の主が死人の面や聖衣に逃げられたことなどで有名なデスマスクだ、ということを知らないわけではなかったのだが、既に下ふたつの宮でお菓子を貰ってすっかり上機嫌な貴鬼には大した問題ではないらしい。冗談めかしたシャカの言葉を果たして冗談と受け取ったか真に受けたかはそのきらきらした表情からは窺えないが、急かすように先方へ躍り出た。
「イタリア料理おいしいよね!おいらあんまり食べたことないんだけど」
知識はパスタバジルトマト、あとはオリーブオイルくらいだが、それくらいならギリシャでも使わないことはない。尤も、貴鬼は聖域よりもジャミールや五老峰、もしくは日本などアジア方面に居た時間の方が長いため、ヨーロッパの食べ物はどれも興味深いのだ。
「ふむ、ならば今から好きなだけ食していくがいい」
「わーい!」
跳び跳ねる貴鬼が宮の中へ飛び込んでいく。そのあとをマイペースにゆっくりシャカが続くと、トマトの良いにおいが漂ってきた。
「…と、いうわけだ。さぁ蟹よ、我々に料理を振る舞うがいい」
「何でだよ!!!!!」
デスマスクは全力で突っ込んだ。目の前には既にナイフとフォークを揃えて然も当然という顔しているシャカ、その隣で足をばたつかせる貴鬼。確かに今は昼を少し過ぎたぐらいの時間帯で、デスマスクも昼食を作ろうと準備をしていたところだったのだが。狙ってきたかのように巨蟹宮に現れた二匹の分まで用意などできているわけもなく。
「ないなら作りたまえよ。例え相手が蟹であっても、食事を作る時間を免除してやる慈悲の心ぐらいは私も持ち合わせている」
へぇ、そりゃ初耳です。
…なんて、皮肉をまともに取り合うような連中でもなく。
「てかお前らに飯を振る舞わなきゃならねー理由も義務も俺にはねえ!むしろあってたまるか!」
「何をいうか蟹。此処は巨蟹宮、君の守護宮ではないか。其所を訪れた客人を君がもてなすのは当然ではないかね」
「てめーらは客人じゃねぇ、ただの押し入りだっつの。だいいち十二宮自体が来客を歓迎するようなもんじゃないだろーが。ちっと手荒く冥界送りにすることはあってもよ」
怒ったり呆れたり苛々したり抗議したり、疲れることを繰り返しても、デスマスクはユーモアの心を忘れない。シャカは目こそ開くことはないが、意外にもその事には感心しているらしく、楽しそうに口元に笑みを浮かべている。
「私は歓迎するぞ。魑魅魍魎共を迎えにやらせて処女宮まで案内させよう。天魔降伏を振る舞ったら六道ツアーに招待し、最期は五感をなくす体験をしてもらってもてなし完了だ。どうかね?」
「大歓迎だねシャカ!」
「そうだろう。私のサービス精神にひれ伏したまえよ」
「けっ、随分手間かけていたぶるんだな、おシャカ様よぉ」
「迎えをやらせるときはもちろん、この巨蟹宮を歓迎仕様の花道として使うがな、」
「俺の意思は無視かこの野郎!!!」
「ツッコミが速いぞ蟹。それよりも腹が空いた。ツッコミよりも手の方をはやく動かしたまえ」
先ほど双児宮でプリンを平らげ、更にその前には貴鬼のつくった炒飯を胃に収めたという事実は完全に無視である。それを知る貴鬼も、イタリア料理という言葉に魅せられてすっかりそんなこと忘れているため、此処には指摘できるものもいない。
デスマスクは盛大に溜め息を吐いた。昔から局所的に頑固で意固地なシャカに、好奇心溢れる幼い貴鬼のことだ、てこでもサガでも動くことはあるまい。…まぁ女神ならば、動くことはあるかも知れないが。
大人しく席につき(シャカもきちんと床に足をつけて)待っていると、目の前に次々スプーンやフォーク、グラスが出され、最後に料理の乗った皿が出た。背筋を伸ばして貴鬼が覗き込む。
「これ、茄子?」
「そうだよ。何だ、苦手か?」
「うーんちょっとだけ…」
師であるムウは案外好きであるらしく、食卓にも度々出てくるのだが、貴鬼はどうにもこれが苦手だった。食感がなんともいえないし、味も独特で苦味がある。
「ガキは得意じゃねぇって聞くなァ。盟はよく食ったけど」
まぁ一口いってみろよ、と皿を寄せてやると、一瞬覚悟するようにきっ、と渋い顔をして両手を合わせた。いただきますと元気良く宣言してからフォークですくって口に放り込む。と、放り込んだときにはきつく閉じていた目をぱちりと開いて勢いよくデスマスクを振り返った。
「おいしい!!」
「だろ?」
嬉しそうにまた一口、二口とフォークを動かす貴鬼にデスマスクもにまりと笑って、グラスに水を注いでいく。シャカは既にスプーンを手にとって黙々と食べていた。
「てかお前、下から上がってきたよな?何しにいってたんだ」
自身も席に着いて昼食を口に運びながらシャカに尋ねてみる。が、返事はない。
「おいこら無視か」
「む、今のは私に向かって言っていたのかね」
「こいつが下に居るのは当たり前の事じゃねーか」
もごもごと口の中のものを噛み砕いてごっくんと飲み込み、水をぐびぐびと飲み干してからようやくシャカはデスマスクに向き直った。
「任務だよ。女神直々のね」
「はぁ?任務ゥ?そんなお前が行くような任務なんて……」
ふと何かに思い当たったか、しかめた顔をかためて続く言葉を引っ込めた。納得したようにうんうんと首を縦に振り、
「…そりゃ、ごくろーさん」
苦笑いを浮かべた。
何が何だかわからない貴鬼はフォークを動かす手を止めて、不思議そうにふたりを見る。
「しっかしよく引き受けたなぁ…いやお前が適任だったか」
「ふむ、同じような事をカノンも言っていたな」
案外食べるのが早いシャカが、空になった皿の上にスプーンを置いて不思議そうに首を傾げた。野菜屑ひとつ残さず綺麗になった皿を、自然な形でデスマスクが流しまで運ぶ。
「山羊もそろそろ起きた頃だろうから、教皇宮まで行くんだったらちっとばかしアホ面拝んでいけよ」
そう言ったデスマスクの顔は何処か嬉しそうに、貴鬼には見えた。シャカは何故か眉間に皺を寄せて、拝まれるべきは私であってシュラでは云々とまるきり独り言のようなことをぶつぶつ言っている。いまいち状況もその背景も読み取れない貴鬼は、ひとり置いていかれて瞬きを繰り返した。
「なんのはなし?」
「オトナのハナシだ」
すっかり綺麗になった貴鬼の皿も片付けてデスマスクがからかうように笑う。意味はよくわからなかったが、子供扱いされたことだけは悟ったらしい貴鬼は、少しむくれて椅子から下がる足をじたばたと動かした。
シャカの任務は違う話に詳細を出す予定です。奇しくもでっちゃんの誕生日に書き終えたとかいう。