ゴイセンパーティー in 双児宮
そういえば、貴鬼は双児宮にいったことは殆どない。双児宮の主は二人いるが、そのどちらとも大した面識がないのが理由のひとつで、しかもこの二人は聖域において最も忙しいといっても過言ではないぐらいに多忙で、宮に居ること自体が非常に稀なのである。
見えてきた第三の宮に、そんなわけもあって貴鬼はちょっと身構えた。人の気配がするので、今日は珍しく在宅中らしい。しかしそれが宮の主であるふたりのどちらのものであるのかの判断は、貴鬼にはできなかった。
「どっちかな?」
隣のシャカに聞いてみる。
「恐らくカノンだろう」
即答された。
「どうしてわかるの?」
「なに、そんな気がしただけだよ」
そう言うとシャカはずかずかと宮の中に入っていく。貴鬼もぱたぱたと駆けてあとを追った。やっぱりシャカは凄いなぁ、なんて感心していたが、単純にこんな真昼の時間帯にサガが宮に居ることはほとんど無いと知っていただけかもしれない。
双児宮は静かだった。人の気配は感じるのに、人が動いている様子がないとでも言うべきだろうか。歩幅が明らかに違うために遅れた貴鬼は、シャカを追いかけながら宮中をぐるぐると見回す。居住スペースへと無遠慮に足を踏み入れると、シャカが何かの前に立ってその何かを見下ろしていた。急いで貴鬼も隣に駆け寄る。
ソファーがあった。それなりの大きさを持った、柔らかくて立派なソファーだ。その上にクッションへ顔面を伏せた何かが転がっている。貴鬼は目をしばたかせた。
「大丈夫かな?」
隣のシャカの指をちょいちょいと引っ張って尋ねてみる。
「ふむ、少々息苦しい程度で死ぬような男ではないだろうが…」
微動だにしないソファーの上の塊は、シャカが言ったとおりであればカノンだろう。貴鬼も一目見てわかった。貴鬼には双児宮の主ふたりの見分けはほとんどつかないし、面識もそれほどないのだが、少なくとも教皇補佐という役職を胃が痛くなるほど立派に務めているサガが、聖域の雑兵服を着てこんなにもだらしなくしかも来訪者にすら気付かないまま眠っているはずがないことぐらいはわかる。
「起きたまえ、私は任務から帰ったばかりなのだよ」
だからどうしたという感じだが、シャカは徐にカノンの背中をばしばし叩き始めた。叩く場所も力加減も大して考慮しなかったおかげで、突っ伏した顔面から呻き声がした。それに気付かず(或いは気付かない振りをしたのかもしれないが)更に速度を上げたシャカの手が、執拗にカノンの背中を攻撃した。
「さぁ起きたまえカノン。目を開けて私を拝むがいい」
「……っ…」
「む、なかなか強情ではないか」
「…おい…」
そろそろ無視できなくなったか、カノンがほんの少しだけ体を起こそうと腕を腹の下へと移動させる。
「貴鬼」
「なに?」
その間にシャカは傍らの貴鬼を抱き上げた。
「おま、」
「とうっ」
ぐぎ、と妙な音がしてカノンの背中に貴鬼の両足が乗っかる。
「あだだだだだだ!!!おいこらお前ら!!」
「む、やっと起きたか」
「さっきから起きているだろうが!」
貴鬼の足が背中から離れたことがわかると、すぐにカノンは身を起こしてシャカを睨んだ。勿論シャカは(目を閉じているからか)全く堪えた様子もなく、かといって楽しげな様も見せず無表情のままで、貴鬼の体を床に下ろし、睨み付けてきたカノンを見下ろした。
「さぁ、起きたのなら私を労いたまえ」
「はあ?」
「私は任務から帰ってきたばかりなのだよ」
実際には帰ってきてからはもう結構な時間が経っていたが、訂正するのも新しい文句を考えるのも面倒らしい。
「訳がわからん。おい一体何の用なんだ」
カノンはシャカとコミュニケーションを取ることを早々に放棄し、隣の貴鬼の方へと質問を向けた。その判断はある意味正しく、尋ねられた貴鬼は落ち着きなくその場でぴょんと飛び跳ねながら、
「お菓子貰いにきたよ!」
と、シャカの言葉をわかりやすく意訳してくれた。が、カノンはますます顔をしかめることとなった。
「それでどうして俺のところに来るんだ。もっと相応しいヤツがいるだろう、他に」
尤もな話である。なんせカノンはこのふたりとそれ程面識があるわけではない。今も正直、急に押しかけられて菓子を強請られるなど全くもって意味不明だ。
「私は差別などしないのだよ」
そして返ってきたシャカの言葉も意味不明だ。
「はぁ?」
「いや、君が疑いたくなる理由はわかるとも。人間は生きている限り偏見から逃れられることはできない。かく言う私もそんな人間のひとりだ」
「いや、ちょっと待て」
「幾ら視界を閉ざしたとて、私にも偏見のフィルターは存在する。しかし少なくとも私には、それを出来うる限り排して皆を平等に扱おうとする意志がある」
無表情で語り出したシャカにカノンは殆ど為す術なく呆れるだけだった。いやいやそういう話じゃないだろう!と突っ込めるほどカノンは元気な人間ではない。そして回りくどく人間云々語りだしたシャカの意図は、カノンにも馴染みある言葉で表すと、要するに『何か寄越せ』である。
観念してカノンは冷蔵庫を開いた。天蠍宮ほどではないがそれなりにすかすかの中身だ。その奥へと手を伸ばして、ふたつの小さなカップを引き出す。
「あ、プリンだ」
確か、星矢が美味い美味いとがっついていたのを貴鬼は以前見たことがあった。
「ほれ」
丁寧に小さいスプーンまでつけて手渡してくれる。ふたりはそれをしっかり受け取り、互いに顔を見合わせた。腕にはアルデバランがくれた巾着袋がさがっている。
「これ、入れても大丈夫かな?」
貴鬼がシャカの巾着袋を示して尋ねた。
「ふむ、薄っぺらいが蓋はついているしな。中身が飛び出すことはないだろう」
代わりにその薄っぺらい蓋にべっとりプリンがつくだろうがな、と、盛大に溜め息を吐きながらカノンは考える。
「…そんなもん持ち歩くな。此処で食っていけ」
何だかんだでカノンは面倒見がいい。まずシャカが立ったままプリンの蓋を開いた為に座って食えと注意を促し、そしたらシャカが椅子の上で座禅を組みだしたのできちんと足を下ろして座らせて、終いにはシャカがスプーンを渡したにも関わらず手掴みで食べようとしだすのを慌てて阻止し、疲れたように右側頭部を押さえていた。勿論はじめから椅子に座り足をだらんと垂らしスプーンを使って食べていた貴鬼が、大丈夫?と声を掛けてくるのも妙に惨めな気分である。そんなカノンなど全く気にした様子もなくプリンを平らげたシャカは、口元に笑みを浮かべて満足そうにしていた。
「ああ、あの任務な…お前がいったのか」
「女神直々にご指名が下ったのでな。これはもう引き受けるしかあるまい」
「じゃあこれから報告か?」
「簡易にではあるが報告自体は済んでいる。だから今からするのは念押しのようなものだな」
あれだけ壮絶なやり取りを繰り広げていたというのに、食べ始めると二人は案外まともに会話を交わした。カノンも自分の分のプリンを持ち出し気分はすっかり『三時のおやつタイム』だが、話の内容は正直貴鬼にはよくわからない、シャカの任務のことであるらしい。
「…まぁ、でもお前が適任だったかもな…」
「そうだろう。私を指名したアテナに感謝したまえよ」
言葉は偉そうだがシャカは別段得意気なこともなく、さも当然というような様子だ。そしてどうやらこの、カラメルのない口どけなめらかなプリンが大層気に入ったらしく、カップに残った僅かな分までもスプーンでかきだし食べている。みるとカノンも同じことをしていたため、貴鬼も同じようにしてみた。結果、綺麗にすっからかんになったカップがみっつ、そこに並ぶ。
ごちそうさまでした、と丁寧に貴鬼が礼を言うと、シャカも満足げな顔をカノンに向けた。はいはいどーもと溜め息気味にカノンは返したが、満更でもないらしい。
「じゃあさっさと念押しにいけよ。俺はもっかい寝るから」
席を立つと、カノンは再びソファーに転がった。その様子をふたりで観察する。クッションに頭を乗せて仰向けになり、瞼を下ろしたカノンはものの三秒で寝息をたてはじめた。
凄い寝付きの良さだ。貴鬼でも此処まで良くはない。
「寝ちゃったね」
「まぁ無理矢理起こしたからな」
どうやらシャカにも、『無理矢理』という自覚はあったらしい。
「目的は果たしたのだし、あとはゆっくり寝かしてやってもよかろう。昼間に睡眠を取るのはあまり感心しないが」
「シャカは昼寝とかしないの?」
「明るい時間帯が好きなのだ。眠るなどもったいない。そんなものは夜すればいい」
言って、シャカは双児宮の出口へと向かう。へぇ、と声をあげながら貴鬼はそのあとを追った。大概処女宮にこもりっぱなしのシャカに明るい暗いが関係あるのかという疑問は、カノンならまだしも貴鬼にわいてくる筈もなく、ふたりはマイペースに次の宮を目指し始めた。
サガは教皇宮編に出てきますー。プリンはウチでよく食べるなめらかプリン。