時刻は既に夜を指していた。満天の星空が窓の外には広がっていて、もう何十分とアイオロスはそれを眺めている。昼間から続けているにも関わらず、一向に片付かない執務に飽きがきたのだろう。時折思い出したように鼻歌を歌ったり、流れ星に小さな声をあげたり。



「アイオロス、そろそろ窓を閉めろ」



執務机に向かったまま、目もくれずにサガは言い放った。星の綺麗な夜は空気が冷たい。先程からゆらりと漂ってくるそれは、折角暖まっていた部屋の温度をすっかり下げてしまっていた。まぁ、本音はどちらかというと、集中力を著しく損ねるアイオロスの下手な鼻歌にあったのだが。

「サガ、星が綺麗だぞ」
アイオロスはほとんど窓から身を乗り出して、サガもおいでよ、なんてあっけらかんと返してきた。
「あはは、怒るなって。いま閉めるから」
明らかに不機嫌な気配を醸し始めたサガに大袈裟に肩を竦める。窓はぎぃぎぃ嫌な音をあげながらも、案外あっさりばたんと閉まりきった。














アイオロスはようやく自分の席に戻り、溜められた書類の山に手を伸ばした。しかし、それでもやはり閉めた窓の方へ度々首を向けている。
「…何がそんなに気になるというのだ」
サガは訝しげに尋ねた。その間も、書類を捌く手は全く淀みない。



「サガ、今夜のサンタクロースはきっとあの辺りから来ると俺は思うんだ」
「…なんだと?」
「サンタクロースだよ」

赤い服を着て、白い髭を携えた優しい老人のことなら、当然サガだって知っている。クリスマスの日、トナカイが引く橇に乗って、プレゼントを詰め込んだ袋を担ぎ、子供たちにそれを配り歩く、伝説の老人だ。

「アイオロス、サンタクロースは努ある子供の元にしか来ないのだぞ」
至極まじめに、サガはそう返した。
「それは残念だ。結局一度も俺のところには来てくれなかったなぁ」
アイオロスはにこにことしていた。
「何か欲しいものでもあったのか?」
「サガは、何も欲しいものがないのか?」
「そうではないが…」
「ならサンタクロースが来てくれることを期待するだけなら自由だろう」


サガはようやく机から顔をあげた。苦々しく眉間に皺を寄せてアイオロスを睨んでいる。
「きっとあの星と星の間あたりから、今年は来ると思うんだよなぁ」
そんな事に怯むことなどなく、そういってアイオロスは窓の外を指差した。









子供のようなことを、と呆れると同時に、分別ある大人のようなことをいうと、その無邪気さをサガは恨んだ。望んだら、期待したらサンタクロースが来てくれるというのだろうか。サガの元にだって、結局一度もサンタクロースは来なかった。


柔らかに眠る幼子たちへ、私の代わりに贈り物を。


たったそれだけの願いですら、あの星と星の間には届きはしないのだ。誰かに寄せる期待ほど虚しいものはない。自分で勝手に寄せていただけのくせに、満たされなかったときの失望は、時に生きていくための足を折る。








「小さいなアイオロス」
「うん?」
「もう誰かにものを強請るような年齢でもないだろう。この期に及んでお前は一体何を赤の他人に願うというのだ」

アイオロスは顎に手を当てて、うーん、と呟く。今考えているのかとますます呆れてサガは溜め息を吐いた。そうだ、どうせいつも口から出任せなのだ、この男。

「いいじゃないか、何だって。だって毎日毎日欲しいものなんてすぐに変わってさ、何が本当に欲しいものなのか、そう簡単にわかるわけじゃないだろ」
「そんなことでは来ないだろうな、サンタクロースは」
「まだわからないぞ」
「今までだって来なかったではないか」
「まだ27年の間の話だろう?あ、13年いなかったが」


何故だかサガはひどく意地になった。くだらない張り合いだとは頭でも心でもよくわかっていたのに、ますます険しい表情をしてアイオロスに食い下がった。
「くだらん。27年も来なかったものに今更どんな期待を寄せろというのだ。いいかアイオロス、サンタクロースなどというものは所詮、何もできない大人たちが子供に語る慰めでしかない。それでも来てくれることを願うのはお前の勝手だがな、私は信じんぞ。もう欲しいものの前で後込みするような弱い生き物ではないのだ、私は」














アイオロスは何も返事をしなかった。いつの間にか席を立って、仮眠用ソファーの上から何かを手に取っていた。サガは訝しげにそれを見る。

すぅっと、冷たい空気がその場を通り過ぎたと感じた直後、サガの頭上に毛布が降ってきた。
「!?」
あっという間にサガは毛布の下に収まってしまう。驚いて反射的に、顔の前で庇うように両腕をクロスさせた。

アイオロスの仕業だということはよく考えなくてもわかる。暗くなった視界の中、サガははっきり怒りを持って、
「何の真似だ!」
と叫んだ。




「サガ、大丈夫だ。サンタクロースは来るぞ、必ずな」

毛布が少し捲り上げられた。そこからアイオロスが顔を出す。静かにというように指を立て、もう片方の手でサガの肩を掴み、毛布を被ったまましゃがみこむよう促した。

「何なら今日は此処で、俺とこっそり待てばいい」
「…どうしてお前と待つのだ」
「そりゃあ、俺がサンタクロースに会いたいからさ」
「そんな、」
「子供みたいなことを、か?確かにそうだな、でも欲しいものはなかなか尽きないだろう」
アイオロスはちょっと笑った。それは綺麗な笑顔だった。その笑顔の前にサガは表情を固め、そろりと口を開く。
「…来なかったらどうする」
「また来年も此処で待とう」
「来年も来なかったら?」
「また再来年待つ」
「27年も来なかったではないか」








ぽつぽつと呟きながら、サガはどうしようもなく死にたくなった。来ないだとか慰めだとか、散々高説しながら来ないことを一番失望しているのは自分なのだ。しかもそれは子供の頃より、純粋に願えていた頃よりも、ずっとずっと強くて。



…サンタクロースに来て欲しいのは、いつだって、子供じゃなくて大人の方だろう。
努ある子供にプレゼントを与えたいのは、サンタクロースじゃなくて、何もできない大人たちだろう。
























窓の外、冷え切った空気、真夜中でも空は数え切れない星で明るい。
サガは毛布の中にうずくまった。今年もどうせ来ないのだろう、来ても欲しいものなどくれはしないのだろう。そうしてまた今年も来なくて、明日の朝に心の中でそれを嘆いてを繰り返す。



けれどもその重たい毛布の下で、サガは28度目の期待を星に寄せた。何故なら今日はひとりではない。失望するときは、傍らでわくわくして落ち着かないこの男も一緒だろうから。

「なぁサガ、先が長いことも、まだまだ捨てたもんじゃないぞ」

アイオロスが小さな声でそう言ったのが聞こえた。捲り上がった毛布の隙間から窓の外に視線を送っている。改めて見た星空は思っていたより美しかった。






きっとあの星と星の間から来るに違いない。











流星サンタクロース






ロスサガとクリスマス。
一番はじめに思いついたのがこれでした。おかげでとても感慨深いです。
ロスサガ二人は根が純粋だと思う。