「ロドリオ村に、新しい命が誕生したそうだ」








朝議の最後にサガが告げたそれは、とても穏やかに、そしてあたたかに響いたように、アフロディーテには思われた。喩えるなら陽の光。朝差し込み、夜の終わりを告げると同時に得体の知れない恐怖をも呼び込む、あの光。












「それは素晴らしいことじゃないか!」

アイオロスの目が嬉しそうに大きく開かれる。隣の席のアイオリアも呼応するかのように勢い良く立ち上がり、向かいのミロと目を合わせた。ムウも穏やかに微笑み、アルデバランも満面の笑みでうんうんと頷き、シャカは珍しく興味ありげに口端をあげる。
「聖域もこれを祝福しようと、教皇からの通達なのだが…」
「ああ、ならみんなで会いに行けばいいんじゃないか?」
事も無げに、ぽん、とそう言ったアイオロスに、間髪入れず賛成!と言わんばかりにミロが右手を高くあげた。
「…全員で?屈強な男共が揃って12人も1人の赤ん坊のとこに押し掛けんのか?赤ん坊泣くぞ」
便乗してアイオリアまで手をあげようとする前に、カノンが鋭く突っ込みをいれる。尤もだとサガも首を縦に振るが、アイオロスは体をぐるりと回して皆を見渡し、にっこり笑った。
「大丈夫。毎日2、3人ぐらいで行って言葉をかけてあげればいい。最後の日に教皇が行って完了でどうだ?」
恐らくその場で全て考えた思い付きだろうが、アイオロスは自信満々だ。突っ込みどころは幾らでもあったが、こうなったらどんな屁理屈でもこねるつもりだろうと察したカノンはサガに向けて大袈裟に肩を竦めてみせる。サガは大きく溜め息を吐いた。別に朝から言い争いをしたいわけではない。諦めの意を含めたそれは承諾の証だった。アイオロスはサガに屈託ない笑みを向け、ありがとう、じゃあ決まりだ!とミロやアイオリアと喜び合う。
「…と、いいながら単にお前が見に行きたいだけだろうアイオロス」
「はは、バレたか?」
呆れたようにしかめ面したサガに対し、悪戯を見つかった子供のように頭を掻いて笑ったアイオロスは、すぐに机の上に予定表を広げ始めた。













アフロディーテは出来るだけ聖域の使者らしく見える服を選び、手早く着替えた。『聖衣でいけばいいんじゃないか?』とかミロが言ったりもしていたが、赤ん坊に会いにいくのに何故闘衣で行かなければならないのか。彼はやはり少々常識を欠いているようだ。考えながら、白で全身を纏めて装飾品を数点身につける。

さて、アイオロスは言葉を贈ればいいと言ったが、一体どんな言葉を贈ろうか。決まりきったような祝辞なら、考えずとも嫌ほど持っている。こういったことは聖戦前にも何度かあった。あの頃は自分の番になるたびに同じことを、同じ調子で口にしていたのを思い出す。

「アフロディーテ、準備はできたか?」
ノックもせず無遠慮に部屋へとアイオロスが入ってきた。
「ああ。待たせてすまない」
着替えは完了していたとはいえあたり褒められたことではない行為だ、と咎める視線を一応送ってから返事をしておく。案の定アイオロスはにこにこしていて、そのサインに気付いているのかいないのかの判断はつかなかった。
「しかしお前はシュラかデスマスクと一緒に行くかと思ってたのにな。ちょっと意外だ」
「…あいつらと一緒に行くなんて、こっちから願い下げだよ」
不本意だ、と言いたげにアフロディーテの綺麗な顔が機嫌を損ねる。アイオロスは悪かったと謝りながらも少し笑って、じゃあ行くか、と踵を返した。













面会順を決めるために全員が先一週間程の予定を次々と口にしていく。
アフロディーテは自分の予定を伝え終わった後、集まる皆から外れて窓際にいるデスマスクとシュラの元へ歩み寄った。その表情は微妙に苦い。
「今のところ、私はアイオロスと組まされそうだ」
「へぇ、アイオロスか。そりゃご愁傷様で。…良かったなシュラ、アフロディーテが身代わりになってくれたってよ」
けらけらとからかい口調で言ったデスマスクに、シュラは渋い顔をしたが何も言い返さなかった。恐らく内心では、アイオロスと組まずに済みそうなことに安心しているのだろう。彼にとってアイオロスと赤子を見に行くなど、トラウマを掘り返す行為に他ならない。
「しっかし本当に全員行かす気かねぇ?俺は大いに遠慮したいところなんだが」
「そんなの私だって同じだ」
「…だが全員と言われた手前、俺達だけそこから抜けるわけにはいかんだろう」

嫌な理由は口にせずとも三人揃って同じもの。あの聖域近くの小さな村では、ほんの片隅のたったひとつの命の誕生であっても尊く、喜ばしく、輝かしい出来事なのだ。
今更どの面下げて、そんな赤子を祝福できようか。聖戦は終結し、女神は罪を犯した者達全てを許したとはいえ、自分達の行いがなかったことには決してならない。生きるためと銘打って、誰かを礎にしてきたこの汚れた手が後ろめたかった。
後悔をしているわけではない。あの時は、何が何でも死ぬわけにはいかなかったのだ。選択を間違えたとは思わなかった。それ以外にどんな方法があったかと問いたい。静かに歪む聖域の中で、守るために手を汚した。守るために、自分達なりの正義を作り出した、その結果だ。




しかし、だから私たちは無実だとは、死んでも思わなかった。




「ま、赤ん坊の顔を見るのは結構癒されるモンらしいぜ?ちょっとした息抜き程度に考えればいいんじゃねぇの」
重く落ちかけた空気をデスマスクが無理矢理押し上げる。
「私は子供があまり好きじゃないんだがな…」
「餓鬼と生まれたての赤ん坊はまた別物だっての」
「泣き喚かれたら苛々しそうだ。喉を捻り上げてしまうかもしれない」
「…やるなよ、アフロディーテ」
「失礼な、誰がやるか。冗談だ冗談」
「お前が言うと冗談に聞こえない…」

段々と軽口がついて出るようになったところで、三人はようやく笑みを浮かべた。



















十二宮を下り、ロドリオ村へ入るとたくさんの村人達が二人を歓迎した。食べ物や飲み物を勧めるだけに止まらず、あっちへこっちへと、お祭り状態の村を廻らせようとしてくる。
しかしここは流石のアイオロス、
「好意は大変ありがたいし皆とこの喜ばしい出来事を祝いたくもあるが、私達はまずこの世に生を受けたばかりの赤子に祝福を贈らねばならない。申し訳ないが、赤子のもとまで通してはくれないだろうか」
と、にこにこしながら曰って、あっさり皆を退けてしまった。その後に続くように歩いていたアフロディーテは、アイオロスがきらきらした目で『はやく赤ん坊がみたい』と心中で訴えているのを見逃さなかった。全く相変わらず狡く、賢い奴である。


赤ん坊の生まれた場所は、村でも本当に端の、小さな小さな民家だった。家主は若い男で、二人が来るなり興奮したように声を高くさせ、中へと招き入れた。中では妻と思しき女が白い布を抱えて待っており、幸せそうな笑顔で深々と頭を下げた。

「アイオロス様、アフロディーテ様。こちらが我らの息子に御座います」
女は顔をあげると、大事そうに抱えていた白い布をそろりとアイオロスに差し出した。アイオロスは丁寧にそれを受け取り、優しく抱えてその顔を覗き込んだ。
アフロディーテもその隣から身を乗り出すように赤ん坊を見る。赤ん坊は眠っていた。小さな寝息をたてて、気持ちよさそうに眠っていた。
「…アイオリアがうまれた時のことを思い出すなぁ…」
砕けた口調でぽつりと感慨深く呟かれたそれは、アイオロスの小さな感想だろう。アフロディーテは、ぷっ、と少し笑った。服装こそ聖域の使者らしく物々しいが、アイオロスは赤子を前にして既にただの青年だった。

「初めまして、新しき命よ。君に今此処でこうして出会えたのも何かの思し召し。これから始まる君の人生が君らしくあらんことを」

彼らしい言葉だ、とアフロディーテは思った。彼は敢えて神という言葉を使わなかった。崇拝する女神を愛するが故に、彼はこの命にただの幸福を望まなかった。

優しげに目を伏せて、アイオロスは赤子をひし、と抱き締めた。耳を近付けるとはっきり聞こえるその呼吸の音に、満足したように微笑んで、はい、とアフロディーテの方へと赤子を近付ける。
アフロディーテは一瞬戸惑ったが、ゆっくりと赤子へと手を伸ばした。アイオロスの腕から赤子を、揺り動かさないように丁寧に丁寧に受け取って、改めてその安らかな顔を見つめた。
「アフロディーテ」
しっかりと腕から移動しきったことを確認して、アイオロスは笑顔のままアフロディーテに祝福を促した。
「……」
さてどんな言葉を贈るべきか?悩むよりも先に決まり文句のような言葉は口から滑り落ちていく。

「小さき命よ、私は君の幸福を心から願おう。君を愛する優しき両親の腕に抱かれ、君が正しく歩まんことを、君の選ぶ道に光あらんことを」



建て前だ、とアフロディーテは思った。何故なら光の当たる場所を歩こうとすることは、つまり誰かを影に追いやることなのだ。
それに人生など結局本意に作り上げられるものでも何でもなく、何かの見えざる力に引き寄せられるようにして動かされ、誰かが落としたように行く道を選ばされる。

本当は、こんな祝福にすら意味はないのだ。此処でこの何も知らない赤子に与えられる言葉は所詮気休めであり、どちらかといえば本人ではなく、その家族の心の安らぎのためにある。だから此処でどれだけ心を尽くして言葉を贈ろうが、全てはこの時だけの幻だ。とうとうと、優しい文句を並べ立てながら、アフロディーテはそう考え続けていた。





祝福自体は終了した。しかし家主がゆっくりしていってくださいと茶や菓子を次々と出してきたので、断りきれずに席につく。アイオロスは何やら家主とその妻と穏やかに話している。その一方で、アフロディーテは寝台に寝かされた赤子をじっと見つめた。





「一言いっておく」
徐に、アフロディーテは口を開いた。その声は小さく、話が弾んでいるらしい三人には恐らく聞こえていないだろう。



「私はな、あまり綺麗事が好きではないのだ。
先程は貴様に光だの幸福だのを調子良く説いたがな。

いいか、よく聞け。
お前の人生は、決して幸せなことばかりではない。光があるかどうかなど私にはわからん。苦難は幾らでもお前に牙を剥くだろう。時に、お前は大切なものを失うことだってあるかもしれん。

だとしても、人は生きるものだ。皆同じようにして生きている。だから、貴様も精一杯生き抜くがいい。
できれば、清く正しく美しく、な。

私が贈ったのは祝福ではないぞ。人生の先輩からの激励だ。だから、決して途中退場なんざしてくれるなよ。
あとこの後二人、どうしようもないのが来ると思うが、私と同じように大人しく迎えてやってくれ。

じゃあな」




一頻り喋り終えたとき、アフロディーテは笑いを堪え切れなかった。何を赤子相手にべらべらと。言葉なんか通じるはずもないのに。おかしくて仕方なかったが、アフロディーテの気分は晴れ晴れとしていた。


喩えるなら陽の光。朝差し込み、夜の終わりを告げると同時に得体の知れない恐怖をも呼び込む、あの光。あれが今、此処に差している。決して優しくはない始まり。時には絶望の影すら映し出す。

だがそれが夜明けというものだろう。夜を迎えるまで、どれだけのことができるだろうか。それはあの赤子だけでなく、アフロディーテも、またはあの二人も、聖域の皆も、世界中の者達も。

汚してしまったものはもう致し方なく、どう足掻いてもどう滑り落ちても過去はこびりついているもので。だから今更、汚れた身を云々いうのはやめにしよう。
だけどまだ白い手には、正しく希望を夢を、つまらない話を握らせたっていいじゃあないか。
もしかしたらいつかは同じ手になってしまうのだとしても。























「明日はミロとアイオリアとカノンがいくらしいぞ」
帰り道、赤子の両親と村の人たちに手を振り、十二宮の階段をあがりながら、アイオロスが教えてくれた。こんなことが大体一週間ほど続くんだから、あの家主たちも大変だろうに。軽い気持ちではそう思い、アフロディーテは長い髪を鬱陶しそうにかきあげ笑う。
「それはまた、面倒な組み合わせだ」
まずミロとアイオリアというのがいけない。よくあのサガが許したものだ。幾らカノンが付いているとはいえ、カノンも局所的に常識に欠けたところがあるので安心とは言い難いのに。
「みんなは何と言って迎え入れるのかなぁ」
「…そういえば、」
アフロディーテはふと思い立った。
「アイオロスは、アイオリアが生まれたときには、何と?」

弟ができたと喜ぶアイオロスの様子なら、サガからよく聞かせられたものだった。しかもその弟は教皇の星見によると獅子座の宿星でもあったのだ。それはもう、ギリシャの太陽のようにきらきらと嬉しそうに笑うものだから、誰もなんとも言えず。既に黄金聖闘士としての風格を顕しつつあったアイオロスも、弟の前ではただの幼い兄だった。

「うーん…覚えてない。だって二十年も前のことだからなぁ。でも特に訳もなく嬉しかったことだけは覚えてる」
「そうか」
「そうだアフロディーテ。聞いたことあるかい?」
腕組みをしたアイオロスが、階段を上る足を止めて振り返る。
「赤ん坊はな、確かに言葉はわからんし自我も大してできあがってないから何を言われても理解はできないが、案外ちゃんときいているらしいぞ」
何を思ってそんな話をし出したのか、アフロディーテには判断しかねた。だがアイオロスは、力強く頷いて、大丈夫、とアフロディーテに笑いかけた。
「きっといい子になるさ」











つられたように彼も綺麗に微笑み返す。

「当たり前だ。だって私が祝福してやったのだから」

そしてそう尊大に言い切ったのだった。









ディアー・チルドレン



子供の話がかきたいなぁーと思い、年中組にしたいなぁーと思い、でもあの三人じゃあ話が進まんと思い…ここは推進力のアフロディーテにしようかと。
…実際はそこまでちゃんと考えてません。ふと頭に浮かんだ映像の中にいたのがこの二人だっただけです。

BGMはsilent frogとか?(聞くな)。
歌詞云々より雰囲気が。
ていうか、やっぱり私『光』が好きらしいです