「えーと、カノン?サガ?どっちだ?」
真昼の教皇宮。書庫から出たサガはロクに前も見ずに手にした文献をぱらぱらめくりながら歩いていた。勿論、この時間帯は宮中にあまり人がいないことを知っての行為である。
だから、突然背後からかけられた声に、一瞬反応できなかった。
「…サガだ。久しぶりだな星矢」
ゆっくり振り返って微笑みを見せる(こうすれば大抵、カノンとの見分けがつくのだとサガは知っている)。廊下の向こうから走ってくる少年は、それを聞いて久しぶり!と元気に返した。
「やっぱサガだよなーその恰好してたら」
「法衣のことか?…確かにカノンは法衣など滅多に着ないが…」
そもそも今のように『どっち?』とサガが聞かれることが珍しい。存在が明るみになったとはいえカノンの認知度はサガよりも低く、しかもカノンは海界に行ったりして聖域にいないことも多い。特にこの教皇宮で、この顔にあったらそれはサガなのだ、と思われている。
「でもこの間、その恰好だったからサガーって呼んだらカノンだったんだぜ?」
サガは小さく吹き出した。眉間に皺を寄せて見るからに不機嫌になる、同じ顔をした弟が容易に思い浮かべられる。
「それで、今日はどうした?」
「お使いだよ、沙織さんの。近くに寄るついでだ、取りに行けって」
星矢はズボンのポケットから小さなメモ用紙を一枚取り出しサガに手渡した。お使いの内容のようだ。わざわざギリシャ文字でかかれているということは、星矢には説明の難しいことなのだろう。受け取って左から右、上から下までしっかり眺める。内容は思っていたよりも簡単そうだった。
「直ぐに用意しよう。アテナによろしく頼む」
「ありがとな!…全く沙織さんも人使い荒いよなあ」
「財団は世界中を飛び回っていて大変な忙しさなのだろう?なに、私はじめ聖域の者は皆、アテナの為に動けることはこの上ない喜びだ。気にしなくていい」
「サガって真面目だよなぁ、相変わらずさー」
サガは、この十五も年下の少年にいつも驚かされてばかりである。聖域の頂点たる女神、アテナを、堂々と『人使いが荒い』なんて言えるのはこの少年ぐらいのものだろう。女神は愛情深い。例えサガが同じように口にしたとしても笑って流すだろうが、そんなことした日にはサガは自責の念で再び自害するに違いない。
「そういや、カノンいねぇの?」
「カノン?」
突然、星矢の口から出た名前に一瞬思考が停止する。
「…ああ、カノンか。明後日まで海界だ」
「明後日かぁー…じゃあ入れ違いだな。折角買ってきたのに」
買ってきた、という言葉にサガの片眉がぴくりと動いた。
「あの愚弟何か買ってこいといったのか?」
もしそうなら、説教しなければならない。
「いや?この間沙織さんの護衛でカノンが日本に来ただろ。その時さ、日本のお菓子とか一緒に食べたんだけど、滅茶苦茶気に入ってたみたいだから。次ギリシアに行くときは持っていこうと思って」
「そんなことが…」
胸中、少しサガは落胆した。カノンはいつもサガには何も話してくれないのだ。お陰でどうすればカノンが喜ぶのか、この少年ですら特に意識せずにできることが、サガにはどんな任務よりも難しく思える。
「あ、サガも食べる?」
廊下の途中であるということも気にせず、星矢は片手に提げていた紙袋から何かの箱を取り出し蓋を開けてひとつ、サガに差し出した。何やら魚の形をした不思議なものである。
訝しみながらも受け取り、一口噛んでみた。魚の形を作っている生地は柔らかく、口当たりは非常に好みだ。中には黒くて甘い何かが入っている。
「…悪いが星矢、これは何だ?」
「ん?たい焼き」
「たい…?」
「美味いだろ?ぶすーってした顔しながらさ、カノンの奴三つもひとりで食べちゃったんだぜ」
口から離し、改めてこの“たい焼き”とやらを見つめてみた。尻尾の方からかじっていたのだが、無事だったその魚の表情は何だかコミカルで可愛らしい。これを仏頂面で頬張るカノンを想像して、サガの頬が思わず緩んだ。
「そうだ。サガ、海界まで届けといてくれよ」
「…私が?」
「あんまり日持ちしないからさぁ」
名案とばかりにぐいぐいと箱を押し付けられ、思わず受け取ってしまう。届けるといってもどうせ明後日には帰ってくるのだが…と思い顔をしかめるも、すっかりその気になってしまい既に違うことに話題を移した星矢に毒気を抜かれた。たい焼きを少しずつかじりながら、執務室までの道のりでその話に幾度も相槌を打つ。
何故だか完全に、この十五も年下の少年に流されてしまっている自分に苦笑いが出た。本当に、驚かされてばかりである。だが悪い気はしない、寧ろ知ることの多さに、いつもサガは目を細めるのだった。
あおときらめき
ver.星矢
サガと星矢。案外仲が良さそうな気がします。