呼び出しのチャイムが鳴った。誰が来るかはわかっていたので確認はせずに玄関の扉を開ける。案の定そこには、前よりほんのり日焼けして身長も伸びたティーダが居た。
「よっ!フリオニール、久しぶりっスね!」
「ああ、久しぶりだなティーダ。ちゃんと授業は受けているのか?」
「会って早々それかよ!心配しなくても、ちゃんと受けてるっスよ」


小脇に抱えた土産(ブリッツボールスタジアム限定なんちゃらとかいうやつだ)を差し出しながら、律儀にお邪魔しまーすと大きな声をあげて部屋にあがる。もう何度も訪れたことがあるので遠慮はしない。すぐにリビングへと駆けていき、椅子を引いて席についた。

「で、でで!フリオの方がどうなんスか!」
「え?」
「しらばっくれるなよ〜!バイトっスよ、バ・イ・ト」





そう、先日の退学の時からもう1ヶ月が経とうとしていた。名残惜しみながらも立ち去った大学の校舎を、フリオニールは今でも忘れたことはない。短い間ではあったが親しい友人もでき、ささやかではあるが幸福なときを過ごしたのだ。
そしてもうおわかりの通り、退学したフリオニールにいきなり就職の話が舞い込むなんて都合の良いことは勿論なく、路頭に迷いかけた彼はあの最後の日、食堂である一枚の紙と運命的な出会いをしたのだった。





「ば、バイトな…はは…」
フリオニールは顔を引き吊らせてティーダから視線を逸らした。不審さ丸出しのその行動に、ティーダは首を傾げる。
「どーしたんスか?」
「い、いや!?なな、ななななんでもないさあははははは」
「…あやしい…」
当然ながらティーダは訝しげにフリオニールをじっと見た。ティーダとて気になっていたのだ、あのバイト募集の紙にはじめ目をつけたのは彼だった。時給2000円。美味しすぎて疑いたくなる数字。あの額の秘密を是非とも知りたいと思ったからこそ彼は、今日フリオニールの家に上がり込んだのだ。
「いや、面白いことは何もないさ。ほんとうだよ」
「じゃあなんでそんなしどろもどろなんスか」
ティーダがクッションでフリオニールを殴り始める。痛いというほどでもないが、側頭部を執拗に殴られてぐらぐらした。やめいやめいとフリオニールもクッションを掴んでそれを盾のように使う。いつの間にやらクッション合戦になっていた。
「お〜し〜え〜ろ〜よ〜!」
「い、いやだ!」
「なんで!」
「説明しづらい!」
「あのバイトしょーかいしたのは俺だぞ!」

そんなことは理由になんねーだろ、と言えるフリオニールでもなく。俺たち友達だろ!とか人情に訴えるような言葉を次々とかけてくるティーダにだんだん手詰まりになると、やがて降参と言ってクッションを手放した。
「わかった、話すよティーダ。ただあんまり吹聴はしないでくれよ」
ティーダもクッションを振るう腕を止め、やったと言わんばかりに目を輝かせて何度も頷いた。







…さて、何から話せばいいものか…。












Welcome to the Restaurant!!














さて前回、完全に流された状態でこのレストラン…『ディヴェルテンテ』の従業員となったフリオニールだったが。

手続きもかなり簡素に済まされ、笑顔のセシルから手渡されたのは、制服だった。シンプルで清潔なデザインだ。広げてみると、セシルが着ているものとは細かい部分が違っている。
「君の為に特注で作ったんだ。替えも三着ほどあるから、これで出勤してきてね」
自分の作戦が成功したからなのか、フリオニールが此処で働くということが決まってからとにかくやたらとセシルは機嫌がいい。中性的な顔立ちのおかげであまり嫌味に見えないのが更に性質がわるい。押されるがままに三着まとめて腕に押し付けられ、フリオニールはまともに相槌すら打てていなかった。


「フリオニール君にはウェイターをやってもらうからね。はい背筋のばして」
「あだっ!」
「言葉遣いと食器の持ち方と配膳の仕方、メニューの尋ね方に…あとはー…」
元々少々猫背気味なフリオニールの背中を片手で叩いて伸ばし、もう片方で指折りながら恐らく覚えてもらうことを数えているらしい。次々に折られて終いに両手指では足りなくなったそれにちょっとフリオニールは冷や汗を掻いた。

見渡せば理解はできる。此処はどう考えても貧乏学生だったフリオニールなんかには全く縁のない、知る人ぞ知る店とかいうやつなのだ。少しこじんまりとはしているが内装は高級感に溢れ、床には塵ひとつ落ちているわけがない。そして先ほど受け取ったこの制服も明らかに上質の布で、フリオニールが今着ているファッションセンターの服よりも遥かに値段が張るものだろう。

だがこのチャンスを逃せば自分に明日はない…!そう自分を奮い立たせてフリオニールはセシルの前でひたすら耐えていた。やがて把握しきれなくなったか、セシルは腕をおろし首を振り、フリオニールに向かってにこりと微笑んだ。
「まぁ細かい仕事上のことはウォルから聴いてね。彼が今のところうちで唯一のウェイターだから」
「え、」
思わずフリオニールは驚いた顔をした。
「彼だけなんですか?」
「うん。僕は会計だし、店長は厨房だし…ああ、あとふたり従業員がいるんだけど片方は店長と同じで厨房だし、片方は今怪我で出勤できなくて…更に今大事な出張でいない人もいるからー…」
だから人手不足、と言ったのか。確かに、あまり大きな店ではないと言えど、ひとりで給仕を担うのは大変だろう。フリオニールが増えてもまだふたりだ。これは頑張らねば…。
「今は特待のお客さんもないから、気楽にやっていこうか」






それから一週間ほど、フリオニールは研修という形で仕事を学んだ。

「フリオニール、料理を出すとき客の前を通してはいけない。必ず回り込め」
「は、はい。すみません」
「運ぶときの歩き方にも注意しろ。皿が水平に保てていないぞ」

程度がどうであれ、失態をするとウォルから指摘が入る。これがまたやたらと目敏く、フリオニールは少し驚いた。ウォルは常に冷静で、滅多なことでは表情ひとつ変えない。接客のときもそれは同じなのだが、これが不思議と嫌味ではないのだ。指摘は厳しく、特に元が少々猫背気味なフリオニールの姿勢は何度も何度も直された。おかげで一週間も経てばフリオニールの背筋も綺麗に伸びて、歩き方も変わった。



仕事自体は、多忙ではあったが実に楽しかった。どうやらこの店はこのこじんまりとした立地や内装通り、かなり昔から此処に存在しているらしく馴染みの客も多い。少々値段が張るのでそれなりに生活の余裕ある人や観光客しか来ないが、それでも毎日誰かが来て夜にはそれなりに席の埋まる時間ができる。

特に、常連客は新しく従業員となったフリオニールに興味津々だった。会計係だから表に出てくる理由もないセシルが、自分の立案さたバイト募集作戦(作戦と言っても、単に大学の食堂にビラを持って行ったというだけのものだが)で雇ったのだと言いたいが為に出てきて面白おかしく話されたり。フリオニールが失態…詳しくは、敬語が使えなかったりまたは注文ミスや配膳ミス…をしたときも、馴染みの客は笑って許した。否、もしかしたらはじめからウォルが、許してくれるような客相手になるようにしていたのかもしれない。





ウェイターはフリオニールとウォルしかいなかったが、セシルの言っていた通り、厨房には他にも従業員は居た。

「君が新入り?」
フリオニールの胸下辺りまでしかない身長の少年。まだ高校にも入っていない年齢だという。しかし見事な包丁捌きに手際の良さは立派な料理人だ。
「全く、セシルがバイトを募集するなんて言い出したときはどうなるかと思ったけど。まともそうで安心したよ」
実際の目線はずっと下にあるのに何故か上から見下ろされている気分だ。フリオニールは苦笑した。
「僕はレムだよ、よろしく」




怪我をして出勤できないと聞いていた人物とも話した。カインという、セシルの幼なじみであるらしい。足が少々不自由なだけ、と店の様子を見に来た彼は言ったが、仕事がスムーズにできそうな状態には到底見えなかった。
「バイトというより、すっかり正社員だな」
カインはそう言って少し笑った。それは確かに、フリオニールも思っていたところだ。大学も辞めてしまってほとんど毎日此処に来ている状態だし、ぶっちゃけ扱いも正規従業員と何ら変わりない。
「頑張ってくれ。俺も足が治ればすぐに戻るさ」
「そちらもお大事に」



聞いたところによると、カインは前任の会計だったらしい。つまりセシルはもともと店のウェイターで入ったらしいのだ。
「経営の事務も取り仕切るからね。机に張り付け仕事って訳でもないから代わったんだ。そうそう満席になるような店でもないからウェイターもふたり居れば事足りると思って」

残りの出張ふたりもウェイターではないとセシルは言った。何だかよくわからない編成だなぁ、とフリオニールはぼんやり考えながら、その出張ふたりとは一体どんな人たちなのかが気になった。










「良い職場じゃないッスか」
全ての話が終わらないうちに、ティーダが口に菓子を放り込みつつそう言った。
「まぁ、そうだな…仕事は結構きついがみんな親切だし」
「じゃあ何でそんな喋るの渋ってたんだよ」
普通、楽しいことなら人にも話したくなるものだろうと、そう言いたいのだろうが。フリオニールは思案顔になった。腕まで組んで何やら悩んでいる。
「どーした?」
「いや…まぁいろいろあってな…」
まだ1ヶ月程しか経ってないのに、いろいろあったのだ。その経緯をティーダにどうやって伝えてやればいいのか。あまり突っ込んだ話をする気にはなれないが、中途半端な話し方をすると訳がわからないかもしれない。
「…ええっとな、店のある地域がな、南地区なんだがな」
「は?南地区?」
急にそれがどうした、と言わんばかりにきょとんとした反応をティーダは返す。
南地区と言えば、一番賑やかな中心街から大きく外れていて、治安も良くないことで有名だ。そんな高級そうな店が南地区にあるとは、確かにティーダもちょっと驚きだったが、それが何だと言うのだろう。
「…吹聴はするなよ。確かあれは、俺の研修期間が終わって直ぐの月曜日だった…」


to be continued…