恋愛とは。




ふと考え出して思考がそちらへ移るときがある。理由、原因は何となくわかるが、答えの出ない疑問に頭が痛い。そもそも縁ないことなのだ。忍者になる為今まで色んなことをしてきたが、色んなことの中にそれは含まれず。さてどうしようか。考えなければいいことなのだが何だか腑に落ちない。















次の休暇の日、父の元を訪れた。
目的は父に家に帰るよう伝えることだが、今日はもうひとつ。
いつも通りの話をしたあとに、さり気なく問いかけてみる。恋愛とは?その心とは?







「それはすればわかることだ」


さり気なくしたはずだが真剣に返された。


「人としては当然のことだが、したことがない間は理解できないのは仕方がない。してみることだ。すれば、何となくでもその心が理解できよう」
明白な答えは、父の中にはないらしい。その通りなのかもしれない。成る程と頷いた。



「どうだ。母さんじゃないが、見合いでもしてみるか?」
「・・・遠慮します」







父はそのまま授業だ、と部屋を出て行った。
その後、父と入れ違いに土井先生が入ってきた。利吉君じゃないか、と嬉しそうに微笑まれた。
父と違う答えが返って来るだろうか。
ふとそう思って、先ほど父にした疑問をぶつけてみた。
勿論、父の答えも含めて。




「そうだなー、わからないなぁーしたことはないからね」
「そうですか」
「うんうん」
うーん、と腕を組んで唸りながら考えてくれているのを見て、少し悪い気がしてきた。
「でもつまりそれは山田先生の言うとおり、してみないとわからないからだと思うな」
「やはり?」
「うん。人を好きになるということは、意識的なものよりも無意識的だろう?彼女のここがいいとか、あそこがいいとか。誰も彼もがそうというわけじゃあないだろうけど、大抵の人は無意識にその人を意識して、目で追いかけたり、無駄に話しかけてみたり、或いは話しかけることも躊躇ったり。一緒にいたくて恋人という枠に嵌めようと告白という形で相手に伝えるその行為も、傍から見ている私達にとっては何のことだと思うけれど、本人は真剣に考えているわけで、外側しか見えない私達には理解し難い。私も、山田先生じゃあないがお見合いしてみるのもひとつの切欠だと思うよ。そのときは何にも相手のことを知らなくても、話せば見えてくるものもあるし、そこからふとしたときにそういう感情が芽生えることもあるかもしれない。やってみなくちゃわからないだろうね」



教師だからか。非常に教師らしい口振りで諭すように語った。
「一度、誰かとお付き合いしてみるのもひとつだと思うよ」
「そうですか」
「うん」










恋愛とは。

人を好きになるということは素晴らしいことだと誰かが言った。
人の一生のうちで、何回でもいい、人を好きになれることは何とも言い難い喜びなのだと。
果たしてそれが正しいかはわからない。
だが多くの人が子孫だの跡継ぎだの以前に人を好きになり共に生きていくのであれば、それはやはりその通りなのだろうか。
大切で重要、必要なのだろうか。
確かな答えは今になっても出はしない。












しかし、もう頭が痛くなることはなさそうだ。
確かな考えは生まれたから。


「土井先生」
「うん?」
















「好きになってもいいですか」










恋愛議論



短いからどうしよう、と思いつつもふっと降ってきたネタは無駄にしません。
正直、利吉君は土井先生が好きになってくれなくても
いい気がしますが、・・・ネタはネタなんです・・・はい・・・・。
こういうの、楽しいですよね。