ぐううううう


口を一文字に引き結んで睨むような目つきで見上げても、盛大に鳴り響いた音は誤魔化せまい。膝に置いたままの両手がぎゅっと握りしめられたことを、サタンの目は見逃さなかった。意地の悪い笑みで迎える。

「どうした、食べないのか?」
「ぐっ……」

白いクロスのかかったテーブルの上には、豪華という一言で片づけるのももったいないほどの食事が、白磁の皿に盛りつけられて並んでいる。それらを挟んで窓側と扉側に、それぞれサタンが、シェゾが、向かい合って座っていた。既にサタンは銀に光るナイフとフォークを手にして、一番手近にあった子羊のリブを裂いている。肉汁が真白の皿に広がった。もう一度、盛大にぐううう、と鈍く重い音が部屋に轟く。

「はしたないぞ」
「これは、……カーバンクルの鳴き声、だっ」
「馬鹿にするな、カーバンクルちゃんはもっと愛らしい声をしている」

フォークで突き刺した肉片を口元まで運ぶ一連の動作はあくまで優雅だ。そうしているのを見ると、こいつちゃんと闇の貴公子だか魔界のプリンスなんだなと納得もする。蠢く腹の虫を抑えるように手を当てた。そんなことをしても極限まで達した空腹は収まらない。もう三日ほどまともな食事をしていないのだから当然だろう。



だがこいつの出した食事を、何の警戒もせずに口にするのは危険極まりない。それは己の鋭い勘が告げていることでもあるし、今までの経験から導き出される論理的な結論でもあった。そもそもいつもなら己が空腹で野垂れていたとてすっかり無視していくはずなのに、むしろ嫌味のひとつふたつ投げてその姿を大いに嘲るはずなのに。一連のその行動は考えるだけで腹が立つ。しかし、空腹の絶頂だった己を荷物のように抱えあげて、何故か此処に座らせて、部下に食事を出すよう指示するなどと。経験にないことすぎて判断がつかない。ただの善意では決してないはずだ、こいつに限って。疑心は募るばかりである。

「別に毒など盛っていないぞ。貴様を殺すのにそんな回りくどい手を私が使うと思うか?」
「思わん。思わんが、恩を売って何かロクでもねえことを要求してくる気がする」
「ほう。流石、察しだけはいいな」
ほらやっぱり、善意なわけがない。
「何が目的だ」
「別に何も。丁度食事の時間だっただけだ。闇の魔導師が餓死なんて、貴様にとっては笑えない冗談だろうと思ってな」
「余計なお世話だ」
「声に覇気がないぞ。さっさと胃に収めろ。……自分からは頑なに口にはしないというなら、無理やり突っ込んでやってもいいが」
「…………」



無言でフォークを右手でとった。悪戯がうまくいったとばかりににやりと笑うサタンを視界に捉えて、シェゾは思わず舌打ちをする。苛立ちまぎれに、目の前の肉切れへフォークを突き刺した。ナイフで片側を押さえて引き千切る。そのまま勢いよく口のなかへと放り込んだ。

「美味いか?」
「…………」

おそろしいほどに上等だった。舌の上でとろける肉なんて、シェゾは今まで口にしたことなどない。旨みを殺さない程度に味付られたソースがまた絶品だ。シンプルなシーザーサラダも、粉チーズとオリーブオイルをひっかけるだけで濃厚な味わいを引き立てる。しかし本来の瑞々しさは決して損なわれていない。未だ湯気立つクリームスープが身体の芯まで温めた。



一度手をつけだしたらとどめることもできず、次々に皿が空になっていく。空になると、気の済むまでどうぞと言わんばかりに給仕が新たな料理を並べていく。気付けばどの皿も少なくとも5回は入れ替わったというところで、ようやくシェゾの手が止まった。ナプキンを引っ掴んで乱暴に口元を拭い、グラスの水を飲み干す。顔をあげると、優雅にワイングラスを傾けて愉快そうに笑んでいるサタンと目が合った。

「いい食べっぷりだが、些か品位には欠けるな」
「うるさい。好きで相席してるんじゃねえんだ、文句なんざ言われて聞くかよ」
「勿体ない」
「何がだ」

食べ方は綺麗ではなかったが料理はひと欠片も残していない。黙々と重ねて下げられていく皿と、また入れ替わるようにして現れたのは、恐らく食後の甘味、いわゆるデザートというやつだろう。シンプルなショコラケーキだった。小さなフォークも新たにつけられて目の前にすいと置かれる。同じものがサタンの前にもある。



「……地下の国ではな」
「あ?」
「その食事を口にすると、地上には戻れないという規則があるらしい」
「……は?」
「地上の娘を見初めた地下の王は、さらってきたその娘に食事を与えたそうだ」

確かザクロの実だったかなぁと、気のない風に話すサタンがデザートフォークを持ち上げた。そのまま何事もなかったかのようにケーキを切り分ける。反してシェゾは、フォークを持とうとした手をそのままに、瞬きだけを繰り返して全身の動きを止めた。そしてぎこちなく視線を動かし、今一度目の前に差し出された麗しい濃茶のケーキを見つめる。

「どうした、食べないのか?それも美味いぞ」
「……貴様、よくその話をした後でこの俺に食事を勧められたもんだな……!」
「何の話だ?」


フォークは握りしめた。しかし麗しいケーキを突き刺すには至らなかった。サタンが己の左手を持ち上げる。はっとしたようにシェゾが顔を上げた瞬間、フォークを握りしめた彼の右腕がひとりでに動いて皿へと向かう。シェゾは顔を顰めてフォークを手放した。フォークはその場で宙に浮いたまま静止した。

「やはり察しだけはいいようだな」
「……帰る!」
「そうか。気を付けてな」

嫌味か、嫌味なんだな、それは。乱暴に席を立って早足に部屋を出た。全く悪趣味な城の廊下を、先の給仕や執事たちに見送られながら、シェゾは盛大に心中で声を荒げる。


貴様以上に気を付けなければならないヤツが他に居るか!





柘榴



一番はじめに書いたサタシェ。
サタンさまは遠回しな嫌がらせも直接的な嫌がらせも魔王レベルだと俺が楽しい。