※だいたいべったーのまとめ





サタンが花を育てると言い出した。手のひらに幾つかの種を置いて、既に土も鉢も肥料も如雨露も確保した、明日から育てると、しかも自分の手で育てると、そのために世話の仕方も学んできたと、得意げに。
俺には心底どうでもいい話だったが、どうせきっと直ぐに飽きてやめるだろうと思っていた。


どうせアルルから貰った種だったりするんじゃないかと訊けば、意外にも出所はルルーだった。しかし何の変哲もない花の種だ、ルルーがそれをサタンに渡すはずがない。案の定、ルルーがとある方面から余計に貰って持て余していたものを、サタンが嬉々として買い取ったらしかった。珍しいこともあるものだ。確かにあいつは自分を盲目的に敬い慕うルルーのことを蔑ろにはしていないが、特別な扱いをするわけでもない。鉢に盛られた土のなかへと埋められた、そいつに一体サタンはどんな価値を見出したのだろうか。気まぐれには違いないのだろうが、不可解だった。

上機嫌で土に水を被せるサタンは気味が悪かったが、暫くはそれに夢中になっているお蔭で毎日が穏やかだった。読みかけだった魔導書も幾つか読み終わり、次に潜る遺跡の目星もつけた。探索に丸三日はかかる計算だったが、準備もそこそこに、なんとなく、種が植えられた鉢を眺めに行ってみた。その時はまだ芽も出そうになかった。






暫くの後、ルルーに連れられて再び鉢を目にする機会があった。それなりに丁寧に世話されたらしいそいつは、茎も葉も伸ばしてそれなりの大きさになっていた。相変わらず機嫌のよさそうなサタンに、ルルーも機嫌を良くして珍しく今日は特に大きな騒動もなかった。ルルーがサタンと話をしている間、側仕えの奴に最近いやに平和じゃないかと訊けば、城の中はそうでもありませんよと真顔で答えられた。まぁサタンさまが朝早くにお目覚めになられるようになってしまったら、そうなりますよね。成程、そんな弊害があったのかと、当たり前だがはじめて思い至った。

次に見たときは、蕾ができていたのだったろうか。割と背の高くなる花だったらしい。下の鉢が小さく見えるくらいだった。どんな花が咲くのかお前知っているのかとサタンに訊けば、敢えて知らないでいるのだと言われた。種を部下に見せた時に、名前を聞かず手入れの方法だけを細かく聞いたらしい。知ってしまうと面白くないからな、と、その日も欠かさず水を与えていたサタンを見て、案外続いているなと素直に感心した。その忍耐力をどうして普段に生かせないのかは甚だ疑問だったが、もしかしたら未だ見ぬ花に期待を寄せ続けているからかもしれない。なら花が咲いたときにはすっかり解けてしまうのだろう。そしたらまた騒々しい日々がやって来るのか。それはそれで、面倒な話だった。






その花が咲いているところを俺が見ることはなかった。次にサタンの下へ訪れたときには既に花は枯れていて、鉢ごと姿を消していた。もう少し早く来ていれば貴様も見ることができたのになと笑うサタンは、特に普段と変わったところなどひとつもなく、ただ側から消えた道具一式に、もう奴が花を育てることはないのだろうということだけを悟った。

「どんな花が咲いたんだ」
「なんだ、気になるのか?」
「社交辞令だ」
「可愛げのない奴だな。……白い花だったぞ」
「へえ」
「なんだ、せっかく答えてやったのに」
「色なんざ、蕾みてりゃなんとなくわかるだろ」
「それもそうか」
「……で、飽きたのか」
「失敬な。見たいものは見れたのだから、必要がなくなっただけだ」

それを飽きたというのだ。サタンの手のひらには、はじめにそれを見せてきたときよりも増えた花の種がある。それを指先で遊ばせながらひどく満足気にそうのたまう様子を傍目に、俺はその言葉を腹の底で呟いた。

「何なら、貴様が育ててみるか?」
そして盛大に顔を顰めてみせる。
「なんでだよ」
「たまには何かを愛でる感覚を味わってみるがいい」
「余計なお世話だし、味わいたくもねえ」
「つまらん奴だな」
「お前に面白がられて俺に何の得があるんだ」
それに、鉢を抱えて旅もできまい。不規則で定まらない生活の中に、そいつを連れてはいけないだろう。花を咲かす前に朽ちるだけだ。



結局あの後、増えた花の種がどこへ行ったのかは知らない。代わりに誰かが何処かで育てているのか、しかし咲いた花を見ていない俺にはそれすら知る術はないし、別に知らなくてもいいことだろう。

背の高い、白い花だったということだけは知っている。


白い無知
魔導は植物と縁が深い気がする。とか思ってただけのネタでした。













持ち上げられて、高いところからゆっくりと、ゆっくりと下へ落とされたり、落ちた先で転がって、何かにぶつかったり。嫌にリアルな感触が不快で、落ち着かない頭を巡らせ目を覚ました。仰向けの視界に飛び込んできたのは、天井、であって欲しかったかもしれない。残念ながらその願いは叶わなかったどころか、そもそも願う程の間隙もなかった。

「む?やっと起きたか」
「う、うわっ!?」
寝起きで上ずった声を上げながら、思わず眼前に腕を振りかざす。まずは状況を整理せねばならぬと己の最も冷静な部分が訴えていたが、とりあえず無視をして身を捩った。それがいけなかった。捩った先に身を乗せる面はなかった。急な斜面を転がり落ちるようにして、背中から下方の床へとぶつかる。
「い…ってえええ!!」
「貴様は寝起きでも元気だな」
「うるせえよ!!だいたい何でお前の膝の上に乗ってたんだ俺は!」

それはいわゆる膝枕、とかいう。反芻するだけで寒気がしそうな字面だ。さっさと床から身を起こして頭を左右に振る。眠気などとうに覚めていたが、どうにも頭痛が酷い。そういえば、目を瞑る前には何をしていたのか、鈍った思考がようやく状況を把握することに肯定的になってきたところで、未だソファの上にどっかりと座り込んだままの男が笑った。

「この私が膝を貸してやったというのに、随分な物言いだな」
「誰も貸せなんていってねえよ!」
「そうか?眠いから寝かせろと私の膝を叩いてきたではないか」
「あ?」

そんなこと言ったかな、と冷静になる傍らで、妙な違和感にも気づく。アルコールのにおいがする。いや、する、などと易しいものではない。頭痛に響きそうな程激しく鼻につくレベルだ。見れば近くのローテーブルの上にはいくつもの酒瓶が乗っかっていた。どれも魔力の回復とは無縁な、普通の醸造酒である。あれっ、そういや酒盛りなんてしてたんだったか?記憶が不鮮明だ、この頭痛も二日酔いのものだと思えば確かに説明はつくが、そもそも自分は酒には強い方で、テーブルの上の瓶の数を見てもこの程度で二日酔いになるとは、経験上到底思えなかった。

まぁ、それもこれも一応、目の前の男に聞けば判明することのような気もする。恐る恐る、ローテーブルの上に視線を投げながら口を開いた。
「……これ、俺が飲んだのか?」
「いや?」
「はあ?」
「貴様は飲んでないぞ。その前に寝たからな」
「……はあ?」
「今年も良い酒が手に入ってな。順番に味わっていたのだが一人酒というのも味気なかろう」
「ぜんっぜん訳がわからん」
「本当はアルルと呑みたかったのだがなぁ。もう夜更けだったのでな」
「……ん?はぁ?…………まさか……」
「どうせ魔導書でも読んで夜更かししてそうな貴様ならいいかと思ったのだが」
「おい!」

勢いよく立ち上がって、ソファでふんぞりかえる男の胸倉をつかもうとして、失敗した。何故か手足の先までびりびりと麻痺したように動きが鈍く、それに気付けないまま思い切りバランスを崩して上半身からソファの方へ突っ込んだ。胸倉をつかむ筈の手はソファの背凭れに辛うじて掴まり、膝をついてなんとか勢いを殺すが、眼前には上機嫌な男の顔があった。それこそ目と鼻の先、至近距離、意識した瞬間に背筋が凍りつく。
「本当に元気だな?」
硬直した身体を不埒な指先がなぞった。脇腹から腰の辺りを撫でられて僅かに跳ね上がる。おかしな感触だった。やばい薬でも盛られたのかと果てなく勘繰った。同時に、強烈に漂ってきたにおいで盛大に顔を顰めた。

「やめろ馬鹿!」
「はっはっは」
「笑ってんじゃねえよくそっ!」

片足を軸になんとか身を離し、そのままよろめいて床に尻もちをつく。見上げた男の顔はやはり上機嫌で、明らかに玩具で遊んでいる子供のそれだった。組んだ足の上で頬杖をついて、ひたすらにこにこと、不気味さすら感じる程に笑顔でいる。すん、ともう一度鼻を鳴らして、顰めた顔のままようやく低い声を絞り出した。
「お前、もしかして酔ってるのか?」
「この私が?まさか、そんな訳なかろう」
「酔っ払いはみんなそういうんだ」
「何を根拠に」
「酒くさい」
「はっはっは」

一際大きく笑った後に、しっかりとソファから腰を上げて床を踏みしめた足先が、容赦なく振り上げられたのを見てぎょっとする。咄嗟に身を低くすれば、頭上すれすれのところをそれが翳めたと同時に空気を裂く音がした。
角度からして、蟀谷を狙っていたことは間違いないだろう。当たれば確実に気を失っていた。急激に冷えた肝は、目の前の酔っ払いに対する呆れを打ち壊して、今までで一番の危険信号を己に発している。だいたい魔族の中の魔族だか闇の貴公子だか魔王だか、トンデモ肩書持ってるような野郎が酒ごときにやられてんじゃねえよと叫びたかったが、その叫びを聞いてくれるような相手も今は存在しない。

頭痛のひどくなる予感がした。


酔いどれ注意
確か「酔いどれサタシェ」ってリクが来た。サタンさまは酔うと危ない。















心の沈んだ場所があったのです、誰かがわたくしに言いました。言葉は力を持って、目的を果たすための手段となるでしょう、願わくば居なくなったあの方に、あの方にと、故にずっと願い続けておりますと。わたくしは微笑むしかありませんでしたとも。ええ。



女のひとりごとを聞きながら、魔王は見えないところで欠伸をした。退屈な懺悔の時間だった。如何に恋とは盲目か、如何にそれを我らが理解しえないか、女に説明するのも面倒で、表面上はただ静かに、黙って聞き入っているように見せかけて魔王は嘲ってばかりいた。話はこうだ、自分には恋人が居たが、仲違いをして別れた後そいつは行方不明になった。時を経て別のものと契りを交わし、生まれた娘もまた同じように恋人ができ、仲違いをして別れ……、……。

退屈な言い訳の時間だった。いつの間にかこの世界の住人にも広まった、何でもできる魔王の噂だが、当の魔王自身は特別その力を人前で見せたことはなかった。いや、嵐で壊れた屋根くらいは直してやったかもしれない。しかし些細な出来事だ。現に魔王の記憶から既に薄れて消えかかっている。
ふらふらと、魔王の周囲をまわりにまわる光の玉が、やがてじんわりと輪郭を失ってゆくのを薄目で眺めて、魔王はため息を吐いた。退屈な話は直に終わるが、機嫌は悪化する一方である。どうにも、姑息さや小賢しさの足りない女だった。清らかであると言えば聞こえはいいのだろうし、それは美徳だと言えないでもないのだろうが、退屈な人間だった。それでもひらりと上げた片手を振って、それに別れを告げる。残された娘も時が経てば此処に来るのだろうかと思いつつ、その時にはあの女のことも自分は忘れているであろうことを思いつつ。



「お願いごと、叶えないんですか?」
星明りに照らされた夜だった。きらきらと輝く未来への希望の如き身を翻しながら、しかし怪しく明滅する力を引き摺り、その男が魔王の前に現れたのは。指先で幾つもの退屈な話をもてあそびながら、魔王は胡乱げにそれを認めた。何か用か彗星の魔導師よ。私は今頗る機嫌がよくないのだ。魔導師はわざとらしく肩を竦めて、いいえ、いいえ、夜空を散歩していたら見かけたものでと、偶然を装った。
「私は便利屋ではないのでな、貴様と違って」
「僕だって別に、便利屋さんしているわけじゃあ、ありませんよ?」
「どうだかな。貴様がそう思っていなくとも、他人はわからんぞ」
「思われていても、みんなのお役に立てるなら」
「ふん、つまらんやつだな」
へりくだってはいるが、特に敬意を払う様子もないらしい。当然と言えば当然なのだが、勘に障るやつだと魔王は思った。もてあそんでいた光が声を潜ませ、滲んでゆく。それを見て魔導師は、首を傾げながら尋ねてきた。

「で、叶えないんですか?」
うっすらと聞こえる潜んだ話声は、ただひたすら同じことを繰り返している。会いたい戻りたい愛している。恋とは如何に盲目で、理解しえないものか。この声に説明するのもやはり面倒だった。
「だったら貴様が叶えてやったらどうだ」
「うーん」
「得意分野なのだろう?」
「そんな、誰かと間違えてるんじゃないですか?」


過ぎ去るものの傍らに沈んでいるのは己の心か、時の女神の支配する流れのなかにも呑まれず、我ら異端の怠けた生を謳歌する。永遠とは、この世で最も退屈な物語に違いはなかった。それを魔王は、知っていたからこそ、女を、声を、魔導師を嘲っていたのである。


夜長の三日月湖

お題「ずっと貴方の傍で」「純粋」「三日月湖」でかいたもの。
レムレス先輩とサタンさまの組み合わせに無限大な夢を見ている。
















いわゆる、魔の力が強くなる日、という奴だ。この日は特に、魔族たちの活動も活発になり、人界に影響が及ぶことも少なくない。故に古くからこの辺りの地域には、魔除け(正確には魔族除け)の術が伝わっていた。眉唾ものではないが、効能自体は本当にただの魔除けだ。大規模に結界を敷いたりできない人家などで主に用いられるもので、やり方も実に簡単……何か楕円の形をした入れ物(籠や、木の実をくり抜いたものなど。とりあえず器であれば問題はない)に、大量の菓子を詰めて、家の窓や玄関などの侵入経路に置いておくだけである。


「お前何してんだ?」
精巧に編まれた木籠に布を敷き、その上から飴やらチョコレートやらプレッツェルやらをぽいと放り込んでいるのは、つい先日異世界から再びこの世界にやってきた光の勇者サマだった。ちょっと其処まで出かけてくると言わんばかりの軽さで世界線を飛び越える規格外生物だが、本人の性格自体はわりと普通で、その肩書と力さえ無ければそこらにいる一般人となんら変わり無く思える程に平平凡凡だ、と、少なくとも自分はそう思っている。肩書と力と言えば、俺も闇の魔導師なんて生き物だ、だがそれを失くせば自分も平平凡凡かと訊かれたら、それはあまり答えたくもない。
そもそも奴のそれも自分のこれも、失くそうと思ってなくせるものではないので、この仮定は無意味だろう。

……話が逸れた。

「ああ、うんちょっと」
「何がちょっとだ、何が」
声を掛ければ少し顔を上げて此方を認めはするが、直ぐに手元へと目を落としてしまった。来客を想定していない小さなダイニングテーブルの上には3つ、同じ木籠が並んでいて、同じように布を敷かれ其処に幾つもの菓子が乗せられている。椅子に座ってその作業を行っている勇者サマの傍らにはもう一つ椅子が引き寄せられ、其処にはありったけの菓子が詰まった袋が置いてあった。それは確か、先日奴がこの家を訪れた際には既に所持していたはずのものだ、菓子が詰めてあるとは知らなかったが。普通に道具袋だと思っていた。

「……もしかして魔除けの籠作ってんのか?」
「あ、やっぱりお前も知ってたのか。いや俺も前に来たときにアルルから教えてもらったんだけどさ」
「知ってたのかも何も、この辺りで活動している魔導師なら知ってて当然の知識だ。だいたいお前、それはどこから持ってきやがったんだよ」
「此処に来る前に報酬っていうか……まぁ、そんな感じで貰ったんだよ」
「……ああ、なるほど」

若干言葉を濁す奴を細めた目で睨み、心得て少し口角を吊り上げた。
「勇者への供物か」
「お前なぁ、せっかく人が考えないようにしてたことを」
「知るかよ、ばーか」
わざと子供じみた声音で言い放ち、思い切り鼻で笑ってやる。素直に苛立った表情を向けてくるのが小気味良い。そういう時の奴はお利口さんの勇者ではなく、それなりに世間で悩んで傷付いているひとりの小僧になるからだ。

どうやら籠の中身が均一になるようにしているらしかった。袋の中を頻りに覗いて、どの種類の菓子がどれだけあるかを確認して、それを三等分する作業を繰り返している。数の足りないものは別の同じくらいのもので代用して数を合わせ、その上で見目もそれなりのものを狙っているようだ。しかし、普段はそもそも行事ごとに興味もなく、頼まれて準備を手伝う程度、こういったちまちまとした作業も苦手な筈なのに、何でまた急にやる気になったのかがよくわからない。内心で首を傾げながら向かい側の席に着いた。

「……もしかして、テーブルの上じゃまだった?」
3つの籠は、恐らく今の時期なら街の何処ででも手に入る一般的なものではあったが、大きさだけは、よく使用されるものよりも一回り大きかった。奴が異世界から持ち帰った菓子の山の量を見ればなるほどこれが3つで丁度いいかもなと思わなくもないが、小さなテーブルの上に並べられれば他に物を置く隙間もない。
「当たり前だろ」
「ごめん」
「謝るんなら最初から床でやれ、床で」
「……あともうちょっとで終わるからそれまでは……」

もたくたと、籠の持ち手に何かを括り付け始める。護符だということは一目で分かったが、それも街で出回っている簡易なものなのだろう、本業魔導師の此方から見れば、その素材も表面に記されている呪印もかなりお粗末だ。……よくよく考えれば、今この家に居候している形のこいつが此処でこれを作っているということは、此処の玄関先に置くつもりなのか。そう思うと無性に、そのお粗末な護符が憎たらしく見えてきた。

徐に席を立って、奥の部屋へ向かう。無造作に物を放っていた場所から、諸々材料や道具を引っ張り出し再び戻ってくると、突然の行動を不審がっていたのか、丁度此方へ視線をやっていた奴と目が合った。そしてそのまま、抱えていた道具やらの方を見て呆気にとられた顔をした。
「えっ、何?」
「何って、作るんだよ。それ、魔除けの護符」
「作れるのか?」
「少なくとも、その如何にもな素人モノよりマシだ」
元々旅暮らしで拠点を持つことが少ないから、材料があるか少々不安だったが、1週間前に試したい呪印があって作っていた残りがあった。魔力をよく通す布と糸と、魔導書に使う紙とインクと、……諸々を並べる場所がなくて、盛大に顔を顰める。

「…………」
「……って、ああっ!やめろ、やめろって!無言で下ろそうとするなって!ああ、えっと、あーー……せめて何か台の上、台の上!」

3つの籠は、結局そのまま勇者サマ手ずから台所に陳列された。すっかり綺麗なテーブルの上を、今度は布やらなんやらで埋め尽くし、さっさと作業を開始する。3つ作るだけなら大した時間もかからなかった。魔導研究で使うときなどは一晩で数十個を用意するのが普通だ。慣れた作業だから特にミスもなく、むしろ3つ殆ど同じ寸法で作り上げて流石は俺だと若干の自画自賛も交えつつ、出来上がった護符をそのまま台所で籠の飾り付けをしていた奴の方へ投げて寄越した。慌ててキャッチした手の中のそれを見て、おお、と僅かな感嘆の声を洩らしたのを確認する。良い気分だった。

「シェゾって意外に器用だよなぁ」
「……意外には余計だ」
「ごめんごめん。普通に器用だったな、うん」

その言い方も妙に気に障る。人がせっかく良い気分で居たというのに本当に空気の読めない奴だ……いや、空気が読めないわけではないが、相手の心情に寄り添うことができないのだろう。随分前に、一輪の花を携えて奴に会いにやってきた名も知らない女が居たが、異世界の勇者なのだとか、ずっと一所に居られるわけではないのだとか、いろいろ説明をしてみてもそれでも貴方様をお慕いしておりますの一点張りで折れなかった女を、それでも俺は貴方には応えられないの一言でぼっきりと手折ったときの事を思い出す。聞けば、街の住民の中では特に懇意にしていて、実に仲睦まじく見えたと誰もが口を揃える程だったというのに、当の本人は申し訳なさそうにしながら、それでいて何処となく哀れむような目で去り行く女を見て、難しいな、と、俺にだけ聞こえるようぽつりと呟いたのだった。



「よし」
渡された護符を括り付け、ようやく完成した魔除けの籠を前に勇者サマは、得意げな顔をするでも喜んだ声を上げるでもなく、妙に真剣な顔で四方八方から確認し、徐にひとつめの籠を抱え上げた。
そのままひとつ、玄関から外に出てすぐ、扉の隣に下ろす。
「……何処に置こうかなぁ……」
家主の意見は無視らしい。いやまあ、この家もどうせ借り物だから俺のものというわけではないが。部屋をうろうろしながら悩み、結局ふたつめは一番大きな窓の前に置かれた。最後のひとつは、奥の部屋の窓の側だ。寝台の隣と言った方が近いかもしれない。

「お前、置くなら外置けよ、外」
「何でだ?」
「何でって……お前本当に魔除けの意味しか知らないのか?そいつは外に置いて、降魔の日のあとに街の餓鬼どもが貰っていくんだよ。そういう行事なんだ」
実際はそれにもさまざまな意味はあるが、皆まで説明をするのは面倒だった。それにこれで、こいつも行事自体に興味があったわけではなかったのが明白になったわけで、詳細は欲するところではないだろう。

「2つは外に置いたからいいだろ。これは……そうだな、過ぎたらお前が食べればいいよ」
「はぁ?」
「俺、明日からまたちょっと留守にするからな」
「…………はぁ?」
「持っていくのも何だし、小腹が空いたときにでも摘んでくれ」

あっけらかんと、実に安易に告げられた言葉があまり耳を通らず、ひたすら眉を顰めて訝しむしかなかった。その日にやってきて、その日のうちに何処かへ行くことも珍しくないから、驚いたわけではないのだ。そう、決して驚いたわけではなかった。

菓子は、もともとこの光の勇者に捧げられた供物だ。……神に始まる信仰対象に捧げるそれらは、作る過程も供儀になっており、供儀を経て作られた供物には魔力が籠められる。それを丸々、籠ひとつぶん、くれてやるとこいつは言っている。

「……どういう風の吹き回しだ?」
「別に?何時も通り魔力が少なくなったときの回復用に使ってくれたって構わないしさ」
「言われなくても存分に使ってやる。お前の分は残してやらん」
「それでもいいよ。だから、聞き知った声が窓叩いても、気軽に開いたりだけはしないようにな」

するか馬鹿、と返そうとして、少し首を捻った。その言い分だと以前にも俺が気軽に誰かを招き入れたみたいじゃねえか。その発想に行き着いて目の前の平平凡凡の男を睨みつけたが、悪戯の成功した子供のような笑い声をあげられただけだった。思わず近くにあった枕をぶん投げた。それでも楽しそうな声がやむことはなかった。


お菓子勇者

ハロウィンにラグシェを!とリク頂いて書いたもの。精一杯ラグシェにしてみた。