※ぷらいべったーにおいてたものまとめ




ひっくり返った空と、鈍い衝撃に一度目が眩んだ。一分と欠けた今宵の月が眼前を埋め尽くす。開いた瞼の底からそれを見た。
「あらら、大丈夫かなぁ?」
同時に、頭の方から聞こえる間延びした声が、そのまま月と自分の視線の間に割り込んだ。瞬きを繰り返す。深緑は暗闇だと黒く見えるな、と、思っても口にはしなかった。
「お前が落としたんだろうが」
「うん、ごめんね?」
眉を顰めて困った顔を作ってはいるが、本当にそう思っているのかどうかは判断がつかない。さっきのだって、ちょっと驚かそうとしただけとかのたまうつもりなのだ。思い切り人の背中にぶつかっておいて。実際は、暗くて、よくわからなかった、のかもしれないが。
弾みをつけて起き上がる。明るい夜だった。足下も月の光でよく見える。逆に、星の光はそれにかき消されて、いつも以上に空は、暗かった。

「かえりみち」
「あ?」
「かえりみち、わからなくなったんじゃない?」
指摘されて、辺りを見渡して、足下を見て、目の前の奴を見て、確かに、方向感覚を失ったことを実感した。いや、それもお前の所為だろう、どう考えても。さっきあの木の上から見渡して居たときはちゃんとわかっていたはずだ。
「僕もわからなくなっちゃってね」
「……はぁ?」
「ほら、もともとプリンプの出身じゃないし、実はそんなに土地勘とかもなかったり」
「頻繁に来てる癖によく言うぜ」
「暗いときと、明るいときとで見える景色は違うからね」
「お前が言うと白々しいな」
見えなくても、気配を追うのは簡単だ。人の集う場所を見つけるのは容易い。ただ夜は、もっと別の気配に惑わされて、今のように方向を見失うことが少なくない。それは経験の上でよく理解していることだったし、目の前の男が言うように、いわば迷子になった、というのも、珍しい言い分ではなかった。同時に、自分に男を疑う余地がないことも理解していた。胡散臭くて、どことなく信用もできない奴だが、別にだまし討ちをされたこともないし、幾分も会話は素直だ。しかし何を考えているのかがさっぱり読めないという点で、警戒を解きたくない厄介な相手でもあった。
「こんな夜中に、どこに行くつもりだったんだ」
「普通に、隣町に帰るところだったんだよ。ちょっと長居しすぎちゃったね」
「そうだな。餓鬼はさっさと帰って寝る時間だ」
「餓鬼って……ひどい扱いだなぁ」
「違うのか」
馴れ合いをするような間柄ではないから、遠慮も分別もなく言葉をぶつける。それで傷付いたり、傷つけられたりするならそれはそれでお互い様だろう。何等かの形で折り合いさえつければいい。自分はひとりだった。ひとりだということは、他者とのつながりに何一つ確かな形がないことと同じだ。

それを須らく望んできた。

「どっちへ行くのかな、闇の魔導師さん」
適当な方向へ既に歩き出していた。迷子になってしまったからと言って迷子同士で駄弁っていても仕方がない、自分には目的地があったし、男だって帰るところだったはずなのだ。
「とりあえず森を抜ける」
「道沿いに歩かないのかい?」
「俺は別に町の方へ行きたいわけじゃないんだ」
「じゃあ何処にいくつもりだったのかな、こんな夜中に」
「お前には関係ない」
「……それもそうだね」
斜め後ろを一定の距離感で歩きながら、まるで出過ぎた真似をしましたと詫びんばかりに声音を変える。そういうところが信用できない、と思っても、やはり口にはしない。伝えるのも面倒だし、信用していないのくらいわかっているだろう、奴も。
「何をよそ見していた?」
「さっきぶつかったときのこと?」
「わざとじゃないのは知ってる」
理由は簡単だ、わざとであそこまで唐突に、かつ勢いよく飛び込んでくるわけがないから。実力はある。コントロールを失っていたわけじゃないなら、自分には想像もつかない程奴の意地が悪いということになる。
「気になるものを見つけてよそ見していたのは当たりだよ」
「はん、甘い菓子折りでも見つけたのか?」
「あ、そうだね、じゃあそういうことにしようかな」
「…………」
「あれ、もしかして怒った?」
「…………」
「本当はね、もうすぐ満月だなぁって思っただけなんだけど」
ああそういえば、月は一分と欠けた月だった。このまま満ちていくのだろう、明日か、明後日かには。一際明るい夜が来る。


そしたらまた、自分も奴も迷子になるのかと思うと、ひどく恨めしい。


迷子と迷子

距離をはかりかねてるレムシェ。月の明るい晩は闇も星も居づらいってなんかすごくそれっぽいなあと思ったところから殴り書きした覚えがあります。













見栄を張ったって子供は子供だ。日が沈み、周囲が暗がりに包まれ無数の星が空を覆い尽くした頃には、自然と落ちてくる瞼を擦って必死に眠気と戦いはじめる。頭の中は、まぁそれなりに、成熟したものであるらしい。しかしちいさな身体はもともと規則正しい生活を心掛けるタチであることも手伝って、すっかり夢に向かって舟を漕ぎ出している。
「歩きながら寝るんじゃねえよ」
「ね、寝てない」
「嘘吐け」
光の勇者だったらしい。いや、今でもそうなのだったか。ご立派なことを口にするし、ご立派な恰好もしているが、今はどう見たってそれを模しただけの子供だ。自分の肩よりも低い位置のその身体に、歩調も合わせてやらずさっさと歩けば、必死に早足で追い駆けてくる。小気味よかった。尤も、今は先に宿へ向かった女性陣がその光景を見れば、自分を大人げないと詰るのだろうが。
そろそろ追いついてこなくなった子供を振り返る。
立ったまま目を閉じかけている。
「おいこら」
声をかけても返事がない。仕方なく歩み寄って肩を揺さぶった。本当はさっさと置いていきたい、だがこのまま道端に放置したところで、まず宿に帰って怒鳴られる。街の人間に見つけられたら、昼間自分がこいつと出歩いていたことは知られているはずなのでまず真っ先に自分を探してくるだろう。ああ面倒、実に面倒だ。だから集団行動なんて嫌いだ。連帯責任なんて言葉も嫌いだ。子守なんてもっと嫌だ。そもそも餓鬼が嫌いだ。幾ら頭のなかが大人でも、よく知りもしない他人にとっては見た目が全てだ。今も、きっと傍から見れば自分がこれの保護者のように思われるのだ。ああ面倒だ。
身を屈め、腕を掴んで己の肩にかけ、そのまま背中で押し上げた。想像以上に重たい。鎧と剣なんてひっさげているからだ、畜生。やっぱり荷物のように担いでやれば良かった。一瞬でも寝苦しさなんて考えた自分が恨めしい。

規則正しい寝息が、胸から背中を伝って自分の心臓まで響く。ご立派な勇者で頼りない子供。矛盾だらけで苦い思いをするのは、他人じゃなくて自身であることがわからない程、自分だって子供ではないはずだった。
石畳に踏み出した一歩も重い。もうひとりぶんをそこに乗せながら、月明かりも無い夜道を歩いている。


矛盾

踵よっつではないけど、ちびラグナスとシェゾ。
なんだかんだラグナスほっとけないシェゾ可愛いけど、ラグナスがもとの大きさに戻ると逆にむっちゃ世話焼かれるんでしょうね。













木の陰に隠れてもひたすらに暑い日のことだ。いつの間にか眠っていて、目を開けたら誰かが上から自分の顔を覗き込んでいた。首を傾げながら霞む視界を何度かまばたきで洗い直し、草の青いにおいに紛れて漂う甘い菓子の香りに顔を顰めて、ようやくそれが深緑色の物体だと認めて、誰かを悟った。
お前、と発音しようとしたのに異常な喉の渇きに妨げられて口を噤む。首筋に冷たいものが当たった。ひどく冷えた手拭いだった。驚いて目を閉じた一瞬で、額を更に何かが触れる。今度は少し生温くて、意思を持ったものだった。そこではじめて、いつもより額が心許ないことにも、気付いた。
ゆっくりと開いた目にしっかりと映るよう示されたのは、容器にたっぷりと入った水だった。なんとか動かせる腕を伸ばして無言でそれを受け取り、一気に渇き切った喉へと流し込む。体勢が悪かったのもある。当然のように噎せて口の端から半分ほど零した。先に額を撫でた生温い感触が、同じように柔らかく唇の端を掬うのを感じて、それが奴の指であることもようやく知った。

「無理しちゃ駄目だよ?」
純粋に、心配をした言葉だったのだろうか。それとも釘を刺されたのだろうか。木の枝影と重なって少し暗く見える奴の表情は、きっといつもと同じだろう、同じだろうと思って確認すらしなかったことを、今は少し後悔している。



手拭いを浸した氷水は、アルルが用意したものらしい。どうやら倒れた自分を真っ先に介抱したのはアイツだったようで、対処もそれなりに的確だったから大事には至らなかったのだそうだ。まぁ確かに、何だかんだと冒険慣れしている奴だからそこは納得もするが。それがどうして今はお前なんだと訊けば頼まれてしまったのだと肩を竦められた。
「彼女じゃ君を運べなかったみたいでね」
それも納得ができる。たとえアイツがルルー並みの怪力を持っていたとしても体格差が埋められないし、あの小柄な女に大人しく運ばれてやるほど自分も軽い身体はしていない。でもさすがのお人好しは、そのまま放置するのも気が引けたのか、誰か人を呼んで来ようとしたときに偶然、こいつが通りかかったんだとか。

偶然?

「どうせ空から見えてたとかじゃないのか」
「ひどいなぁ、本当に偶然だよ。今日は一際暑いから、魔導学校と街の間を最短で飛んでただけなんだ」
「で、アルルはどうした」
「お昼御飯を買いにいったよ。僕たちの分も買ってきてくれるって。ついでにあの見習い魔女さんから君用のお薬も貰ってきてくれるそうだよ」
「……飯はともかく、薬は要らん……」
まだ引かない頭痛が思考を著しく鈍らせている。陰に入っているというのに茹だるような暑さが、じっとりと全身に纏わりついていて気分が悪かった。いや、気分が悪かったから倒れたのか、じゃあまだ続いているんだ。はやく戻れよ、俺の身体だろう。何一つ思い通りにならないなんて今更だが。


草の上に身を投げ出したまま起き上がれない自分の隣で、奴は介抱以外には特に何をするでもなく、こちらの様子を窺いつつ座っている。冷えた手拭いに熱がこもれば新しいものに替えて、少しずつ流し込んでいる飲み水がなくなれば注ぎ足して、それだけだ。妙な感じがした。

「なんかお前、楽しんでないか?」
違和感をはっきりと口にしてみる。
「あれ、わかっちゃうのかなぁ?」
「そこは否定しろよ、悪趣味だぞ」
「いやいや違うよ。君の今の状態を楽しんでるわけじゃなくってね」

音もなく伸びてきた腕が、その指先が、手首を掴んで裏返し、人差し指と中指で脈を押えて拍動を確かめている。そういえば体温を下げるためなのか、マントも、手袋も、いろいろ剥がれて頭の近くにまとめられていた。はじめに額に触れてきたときから奴の手も剥き出しだった。布一枚、二枚隔てていないだけで、己の身体がひどく頼りないものに思えてならない。急に居心地の悪さを覚えて目を泳がせた。じっと脈をはかりながら、徐に奴が口を開く。

「子供の頃のこととか、覚えてる?」
「……べつに、暑さでボケたわけじゃないぞ」
「人にやさしくしてもらったことは?大丈夫だよっていってもらったことは?」
「………わすれた」
「僕はね、そういう事はよーく覚えているんだ」

不意に手首から離れた感触に、思わず目を上げたのがいけなかった。視線の先に、奴の顔がある。確信があったから確認すらしなかったのだ。違和の正体は、其処に全部映し出されていたことなんて、知りたくもなかったのに。
「もう大丈夫だよ、脈も落ち着いてきたから。あと少しだけこうして寝ていようか」
そしたらすっかり元通りだよ。


本当にそうなら良い。今、目を閉じて次に開いたときにはすべてが元通りなら、もう一度、すべて忘れるなんてのは容易いことなのだから。


熱中症

熱中症でお題もらってかいたレムシェでした。
やさしいレムシェだと言われてそういえばそうだなと思いました。別に普段そんなにぎりぎりさせてるつもりはないのですが。














いつも言葉足らずなあの人は、想いの大きさを伝えるだけでも精一杯だ。でも目は口ほどにモノを云うとはよくぞ言ったと、反面豊かなその表情の数々は、足りなかった言葉をうまく継ぎ足して僕に伝えてくれるから、本当のことを言うと困ったことはそんなにない。わからなかったことは一度もない。そのたびに曖昧な笑みを浮かべて応える僕の方が、きっとあの人にとっては不可解な人物なのだろう。

また自分の都合を云うだけ言ってやらかして、何なんだ、何なんだか。異世界から来た少女が呆れたように呟いたその響きを覚えている。付き合いも長く、言動の予測だって幾らもつくのに、未だにボクはあいつのことよくわかんないよと、しかし楽しそうに笑う姿は、何にも縛られず、ひたすらに彼女の身であの人を受け入れていることを教えてくれた。僕も笑った。だからいつまでもいつまでも、その自然体のうつくしさにあの人は焦がれてやまないのだろう。それを一種の、恋情だというのは簡単だった。そう定義して押し付けてしまうのはとても簡単だった。だけど僕はそうする必要を感じていない、あの人がそれをそれだと理解していないのなら、わざわざ名前を与えてやらなくてもいいじゃないか。
言葉などなくても伝わっている。

かの闇の貴公子さんが気まぐれついでに話してくれた、あの人がこの人に向ける生温い感情の数々を、僕はやはり困った顔で聞いていた。嫌悪というものは時に、純粋な好意よりもずっとその意を示す。羨望もあるだろう、嫉妬もあるだろう、しかし拒絶もあるだろう。しかし表面に纏った複雑怪奇な外套を、一枚一枚剥ぎ取ればあらわれる頼りない小さな心は、いつもたったひとつを願っていた。誤解を恐れ、自らを欺き、矛盾した思考を取りまとめようと必死に言葉を選んでいる。滑稽じゃないか、そう言い切れるこの人にとってきっと自己の矛盾なんてものは、どこまでも縁のない話なのだ。本当の意味で理解をすることはできない、なのにそう言って艶やかに嗤った赤い眼は、ゆるやかに細められて目の前の僕を見通していた。
あたたかさを与えはしないのに、この手は、あの手のあたたかさを知っているに違いない。僕も一度だけ触れたことがある。でもなにもかもが心許なくて、体温まで知ることはできなかったから、もう一度だけ機会が欲しいなぁと、泳ぐ光の粒にだけ聞こえるように謳った。
言えばいい、向かえばいい、きみが伸ばした手の分だけ、本当は距離も縮まるのだよ。誰かがそう背中を押すけれど、僕はいかないし、きっとこの先も向かうことはないだろう。憧れに目を潰されたわけじゃない、むしろしっかりと開いた心で、たったひとつも逃さないように拾い集めている。

それを、いつかあの人に返せたら僥倖だ。




ユウメイジンはたいへんだな。
わざわざ足を伸ばしたというのが少し信じられないと思いつつ、僕はやっぱり曖昧な笑みを浮かべて応えた。足下に伏せた雑誌を気もなく拾い上げて、開きっぱなしのページに目を遣って、ふうん、と一言、それ以上は見向きもしないままそれを突き出してくる。僕のじゃないからと受け取りを断れば、どうでもよさそうに近くにあった屑籠に放り込んだ。それはそれでちょっと傷付くかもしれない。
いいときもあるよ。
皮肉がこもっていたことは認めよう、なんだそれ、有り得ないなと返される予測はつけていて、期待をしてもいたのだ。知っている、わかっている、理解している。でもいつの間に僕はそんなに傲慢になっていたのだろう。

彼は徐に口を開いた。
「有意義につかえよ」
何を、と、首を傾げる前に、青い眼が僕を意もなく貫く。
「見るに堪えなくなったら、寝覚めがわるそうだ」

綺麗な青だった。濁っているのに、それが深い海を錯覚させるほどに綺麗な青だった。探して、探して、柔らかい心を必死に守って、鋭く慢心を携えたまま体ばかりが高らかに成長したような貴方が、言葉も足りない想いを尽くしても欲しいものを、僕はきっと持っていない。これからもきっと持つことはない。それが限りなく悲しいと思ってしまうよりも先に、踵を返して遠ざかる足音を耳に残しながら、僕は笑うのだろう、いつものように。



大丈夫、伝わっているんだ。言葉がいくつも足りなくたって、誰に宛てたと言えなくたって、貴方の紡いだ声は僕の柔らかいところに。ぼろぼろになって、貴方がそれを見捨てても、ひとつ残らず僕が拾い集めてその日を待っているから、時々こうして振り返ってもらえれば、いつでも曖昧に笑って見せるから。


宛先のない手紙

なんか、診断メーカーで出したレムシェお題の消化用だったような。なので着地点もネタも微妙なことになりました。うーん。

















響かせているのはわざとなのだろう。石畳の上、狭い路地、建物に跳ね返って大きくなるその踵の音は、発信源を特定させるには至らずともその存在を主張する。女がいる。月明かりに照らされたこの町のどこかに、女がいるのだと。


風の噂だった。闇の貴公子が来たらしい。黒い大きな鷲だったと、何も知らず語る町人の首根っこを掴んでそれの向かった先を訊き出した。信じて足を運んだのは、何も行き先に町があったというだけの理由ではない。この辺りでもとびきり治安のよくない場所だった。自分には馴染のある町だったが、町人の首を放してその日のうちに飛び出した女の方はどうなのかはよくわからない。

恐らくあまり考えて行動はしていないのだと思う。




幾らも姿を変えていたとて、闇の貴公子の魔力は絶大だ。一般人は多少の威圧感としてしか受け取れないのであろうが、魔導師となれば話は別で、通り過ぎたか、もしくは其処に少しでも存在があったか、魔力の残滓を辿ればある程度の予測はつく。女に自分が引き摺り出されたのもその所為だ。そのくらい手前でやれよ、魔導師の端くれだろう。皮肉と共に吐き出した言葉は、その語尾ごと掬い上げられて宙を舞った。強かに石壁へ打ち付けた背中の痛みに顔を顰めながら、全てがひっくり返った世界を見遣って、逆さまの視界に映る女の顔が怒りと屈辱に歪んでいるのを認めた。

己にも覚えがないわけではないのだ。厄介なものだと思う。自分も女も、どこか一歩人間から足を踏み外してしまっているのに、こんな無益な感情ばかりは募って喉に蓋をしている。踏み外した時に一緒に落っことしてしまえていたならきっと楽だった。もっと無邪気になれていた。




腰まで垂らした青い髪を持ち上げて、白い布でひとつにまとめる。晒された耳から首元にかけての生身の肌は、健康的で美しい色をしていた。太腿から足首にかけてまで、大きくスリットの入った衣装を身に纏っているのは常の事だが、今は動きやすさを重視したそれではなく、上等な生地に装飾も華美な、所謂宴会用、とかいうものだろう。全く無謀な奴だと思う。たったひとり、恋焦がれて止まないあの化け物の情報を手に入れるためだけに、自らを使って見せるのか。そこに臆した様子がひとかけらも見当たらない辺りに、限りない自信と盲信を見てため息を吐く。女は何度も鏡と向き合い自身の姿を確認をして、ようやく思い出したように背後を振り返り、あんたはついてこなくていいわよと一言告げた。
「言われなくてもついていかねえよ」
「あら珍しく物分りがいいのね」
女の機嫌はよさそうだった。町についたばかりのときに行った魔力の探知の結果が狂っていなければ、まだこの町にあれは居るはずだ。何を求めてやってきたのかは知らないが、流石に角も翼も晒して堂々と闊歩していることはないだろうから、探すなら少々無茶な手を使った方が早い。

魔族であるあれに人間としての倫理観は皆無に等しいが、美しいものを愛でる心には十分な異常さを孕んでいる。ましてや女は、一応あれに認識されている程度には見た目も実力も申し分ないのだ。魔導師としての器がないだけで。





進行方向、退路。一本道の路地を阻むように複数人の男たちが姿を現しても、女は特に動じる様子は見せなかった。ただ眉を顰めてあからさまに嫌そうな表情を作ってみせただけだった。不躾に近づいてきたひとりの男の腕を引っ掴んで路地の壁に叩き付けたと同時に、石畳の上を幾つもの影が通う。

問題はない、と思っていた。しかしやはりいつも通りに行かなかったのは、恰好の所為か、それとも違うことに気を取られていたからか。高くて細い靴の踵を、石畳の隙間にとられて体勢を崩した。その隙を逃さなかった男のナイフが女の腕を掠める。瞬間、剣の柄に手を遣り足を踏み出そうとして、しかしとどまった。女は咄嗟に自らの靴を脱ぎ取ったかと思うとすぐさまそれを男の顔に投げつけた。そしてそのまま自分も男の懐に飛び込んで、腹に掌底波を打ち込み路地の奥へと吹き飛ばす。


数分後、転がる無数の肢体の中で意識のあるものを選び、やはりその胸倉をつかみあげて女は尋ねた。
「ねえ貴方、賭博場は御存知?」
妖艶に笑む女の顔を見て恐怖に引き攣った男の首は、取れんばかりに大きく横に何度も振られた。震える小さな声が告げたその言葉を耳にして、サービスのつもりなのだろう、満面の笑みと共に拳を男に贈って女は立ち上がる。自分で脱ぎ捨てた靴を拾い上げて辺りを見渡した。
「ちょっと、変態ストーカー魔導師。居るんでしょ、見てないで降りてきなさいよ」
探す素振りをした癖に、屋根の上だということはしっかりわかっていたらしい。仕方なく手頃な場所まで降り立つ。うっかり右足の先が転がっていた誰かの腕に当たって鈍い音がしたが、そんなことはどうでもよかった。
「ほらさっさと次に行くわよ。サタンさまのことだから、きっとまたあっさり用事なんて済ませて何処かへ行ってしまわれるのよ。その前に追いつかなきゃ」
「追い付いて、どうするんだよ」
「決まってるでしょう」
何かなされているのなら、使って頂いて役に立つの。

ぞっとする言葉だ。きっと一生かかっても自分には理解できないものに違いない。女はこちらを振り返りもせずに歩き出して、月明かりに照らされた大通りを目指した。その後ろを一定の距離を開けたまま追う。女のため息が耳に届いた。
「ああ、とんだ無駄足だったわ。あんたももっと正確に場所くらい割り出しなさいよ」
無茶をいうな。ただでさえ人の多い町なのだ。方角と地域が確定できただけでもかなりの幸運だった。あとはこういう場所で頭を張っているような連中に接触できればほぼ王手を取ったも同然だ。しかし女はぶつくさと文句ばかりを言っている。



厄介な感情だった。
ひっくり返っても性質は同じ。過ぎた執着も冷めた心も敵わないのに、多大な期待を裏切られてなおまだ諦めはつかないらしい。
厄介な人種たちだった。


ピンヒールの恋心

逆立ち、期待外れ、靴音、ピンヒールでお題頂いたもの。何故か一瞬で浮かんだのがシェルルだったのでシェルルにしてみた。実は結構好きですシェルル。















徐に布を袋から抜き出して、思い切りそれを引き千切る。腕を一回りして縛るのに丁度
いい長さになった辺り、恐らく慣れているのだ、戦闘終わりに魔導力が切れて、回復が追いつかない、なんて状況には。
右腕からだらだらと流れて続けている血は、決して致死量というわけではないが、見過ごすには多すぎる。動くのに支障が出る足、脇腹は、微弱なヒーリングで既に傷も塞がっているが、お粗末な治療だった。痕もくっきりと残ることだろう。それでも顔色ひとつ変えない目の前の男に、すいと手を差し出す。男は怪訝そうにそれを見た。
「何だ」
「ヒーリングだったら俺も使えるから、ほら」
布を巻き付けた腕に翳そうとした手を勢いよく叩かれる。
「いてっ」
「要らねえよ、余計なお世話だ」
「余計なお世話って、お前なぁ」
まだ街までは遠い。自分の魔導力の残りも危ないので、幾らか此処で休憩は挟むにしろ、この先で魔物に遭う可能性は多分にある。別に、こんな道中でくたばる程男が軟だとは思っていないが、それでもぼろぼろの相手に背中を預け切れる程己の器量もできていないし、何よりまず、目の前の怪我人、それも同行者を放っておくというのは、人道に悖るだろう。あまりに当然で、当然な帰結だった筈なのに、男はまるで嘲るように鼻で笑った。
「手負いの獣を見て哀れんでるのと同じだろ?」
「なんだよそれ」
「違うか?親切心なんて言葉を着せた同情じゃねえか。そんなもんに貴重な一回使うくらいなら手前の怪我でも治したらどうだ」
「……俺は大体大丈夫だよ。それに、今は一応お前と目的地が一緒だし」
「成程、俺が居た方が敵の攻撃も分散して楽だもんな」
「だからさぁ」
「まだ動ける」
「…………」
「まだ動けるんだよ、俺は」
血の足りない体が、足下を覚束なくさせている。それでも意識ははっきりしているようだった。立ちくらみに一瞬頭を抱えながら、真っ直ぐ前方を見据えた目の色も褪せた様子はなく、ただの虚勢にも意地張りにもやせ我慢にも役不足な、不器用に捻れた意志がその奥で揺れている。そのまま歩き出そうとするのを、慌てて肩を掴むことで引き留めた。痛みで体が強張ったのを見逃さずに、僅かな詠唱を経て腕を治す。傷が塞がっていくのをまじまじと見つめながら、男は自然な動作で掴まれた肩を軽く振り払い、そのまま大仰にそれを竦めて見せた。
「勇者サマは優しいこった」
なんとでもいえよ、と、口では返しながらも、肯定してしまう形になったことを後悔する。きっとこの屈辱を男は待っていた。いや、どう答えても男はそうやって笑うつもりだったのだろう。ぼろぼろの体で、からっぽな中身を指して、どこまでも澄んだ瞳を細めて。

改めて哀れだと思った。


擦り切れた膝

かわいげのないシェゾ、とリク頂いたもの。
当社比で三割増しくらいかわいげなくかいたつもり。