☆矢 単発もの 1



■核心回避/黙秘症状

サイトのアップ順では一番上に置いてあるが、いくつか話を書きなぐったあとに書いたのでちょっとハメを外してしまったらしい。なんてこった。
カノンが偏頭痛設定が実は結構好き。健康体カノンが健康体じゃない瞬間にひどいもえを感じている。時点でわたしはちょっとカノンに謝った方がいい。
嘔吐ネタを昔からよく使うんだけど別にすきなわけでは…だってしんどいじゃないか。想像するだけでおえってくる。
頭痛いと本気でしんどい。吐き気がするとさらにやばい。しかもそういうのって、切羽詰まれば切羽詰まるほど人には言いにくい。
ちょうど、カノミロ熱がふつふつしてきていたのでカノミロが先にできた。しかもちょっとズルいカノンさんもえだった。そして違和感を感じつつも好きだって言われたら手も足もでないミロもえだった。今でも大してそれは変わっていない。
ただこれをするたんびにカノンは後悔していそうである。ミロがいいやつすぎて自分がズルいのが辛い。
そんでもってラダカノ。第一段階も第二段階もなーんにも考えてなかったときに書いてるから、ラダマンティスが案外初期設定な感じがする。
でもこの初期設定なラダマンティスに、わたしは存外好感がもててすきである。
てかミロと同じで、いいやつなんだと思うんだ。だからまたカノンがいろいろ後悔するわけだが、ラダカノは結局それがどうでもよくなるくらいにはラダマンティスが執念深いのだろうな。

そういえば、☆矢をコンテンツに追加してはじめてコメントをもらったのはこの話だった。
いやはや実に、とんでもなく嬉しかったのを覚えている。何故ならバサラでやってたころは迷走しすぎてコメントなんてロクにもらえたことがなかったから。仕方ないっちゃあ仕方ないんだが。
そういう意味でもちょっと感慨深い。

20110429


■身勝手な不自由

うちのサガ兄ちゃんはとてつもなくラダマンティスが嫌いな設定。は、姉上と話してるときに固まった。
冥闘士嫌いなのはなんとなくアリかな、というより、慟哭組はあんまり冥界にいい印象もってなさそうだなと思う。
プラス、何故嫌いなのかをいろいろ考えてみたところ、こんな話ができあがってしまったらしい。
なんかあるよね、自分の兄弟を誰かに語られたときの苛立ちとか。そのときに自分に叩き付けられる矛盾とか。

カノンはサガの話ばかりする、というのもわたしの兄弟観に基づくところから、カノンの性質を考えた結果。
うん、わたしもそう。わたしのことを話そうとすると必ず姉上のことを何度も引き合いに出してしまう。
それはすきだ、とかそういうこと以上に、自分の人格形成にそのひとが大きく関わっていることが原因なんじゃなかろうか。
例えば、わたしアイオリアはそんなにロス兄さんのことを引き合いには出してこないと思う。それはアイオリアの完全な人格形成にその後の状況からすると深く入り込まなかったから。
逆にカノンは根っこのところまで、サガを見て育った、ということがしっかりあるんじゃないかな。だからサガから独立したいとも願うし精神形成の問題で依存もする。

その双子の様子を主にカノンから観察しているラダマンティスの図を、「黙秘症状」もそうだがなんかぽつぽつと書いてしまうようだ…
この「愛してやりたい」、というラダマンティスの発言は、恋愛色を全く含めなかったからこそ言わせたところがある。そうでなければ、サガは鼻を鳴らすだけで一蹴したに違いない。それができなくて止まるからこその、「愛してやりたい」である。
結果ますますラダマンティスが嫌いになるサガは、いっちゃなんだがとてつもなく可愛いなぁと思うのは、たぶんわたしだけじゃないと…信じたい。

20110429


■青い箱にて、逢瀬。

これを書き始める直前に、姉上が水族館や海遊館に行って写真をわたしに送ってきてくれた。
ここしばらく水族館など行っていなかったわたしは、その写真を見て改めて「水族館おもれぇな」とぼんやり考え、そして何故だかわからないがこの話ができていた。
青と白とエメラルドグリーン。最近全くと言っていいほど水族館に行っていないわたしの8割方想像と記憶でできているのだが、実際どうなのだろうか…書き終わってからが妙に不安だった。
そして同時に、明確なテーマを書かないスタイルの模索作でもあった。できるだけ内面に寄り添わずに視覚的な面が強くなるようにしたかった。見事に玉砕している。
一番気をつかったのは、何故か会話である。いやこの話に限らずウチのやつらは会話にもんのすんごく神経を使うのだが、書き終わった後までやたらと響くぐらいに気を張っていた。わたしは女なので知ったかしたように男同士の会話を語ることはできないが、あれやこれまで話す必要はないだろう、という事で。必要最低限に会話を絞ってある。

ちなみに、最後ラダマンティスが手を握りやがったのは、わたしの所為じゃない。やつが勝手にしていたのだ。そういってキャラに動かされてやらかしてしまう事態はこのあとも頻繁に起こっている。
さらに余談になるが、『箱』という表現をわたしはよく使う。一番はじめに使ったのはBASARAで病院のはなしを書いたときだった。それがいったいどういう意味をもっていたのかは、読んだひとにある程度お任せにしておく。まぁおそらく、思い描いていただけたもので相違はないと思う。


20110511


■帰宅旅行

もうわかっていただけると思うが、カミュミロが前提にあるカノミロが好きである。これは精神的萌えだ。カノンが手を出すことに罪悪感のあるカノミロが好きなのだ。そこ、趣味悪いとか言わないんだぜ。
気分が晴れやかだったんだかなんだか、爽やかに書きたくなったらしい。いや実は遊柳の中でのカノミロのイメージは、どれだけ浮気とか何とかが背景にあっても常に爽やかである。下手に後ろ向きでもなくて、ねちっこくなくて、例え肉体関係があっても爽やかである。爽やか且つ、後ろめたい。
ミロ視点の話って捻らないでいいから筆が進む。感情の起伏が激しくて、考えることは常に素直だ。だからわたしはミロが好きだ。たぶん、だからカノンもミロが好きだ(カノミロってこんな感じ)
文章自体はなんという劣悪さ。しかしひとつひとつの場面は案外気に入っている。のも、絵のイメージがはじめから鮮明だったからだろう。これも青いイメージ。晴れた日の青い空と夜明け近くの薄暗い青。
そして姉上から「ハートフルストーリー」とか変な評価をもらった。別にいいじゃん。あったかいのが好きである。

20110511


■ギルド

思い入れがあったのか、今でもちゃんと読み返す年中組話。最後に至るまで大きな誤差もなく書けた点では満足な話。
何故こんな構成にしたのかというと、話を組み立てていたら場面があっちいったりこっちいったり、果ては視点があっちいったりこっちいったりとあまりにも忙しなかったから。
細切れにシーンを置いて、カメラをいろいろ動かしてるような映像。無駄に余白を作ってみると、映像の空虚さが浮き立つので結構わざとやることもあるんだけど、こいつはただの偶然です。
サガは全然出てないんだがサガの存在なくして教皇サガ時代の年中組は語れない。戻れない要因を生み出して足踏みするのをサガの所為だとしてみたり、或いはサガの為だとしてみたり。だのにこの三人は最初は偶然なれど結局最後の最後までサガを通して繋がっていたような気がしてならない。
生きることに貪欲であるのは、プライド云々というより、単純に力への恐怖だったのではないかと思っている。その辺の話…というか、年中組が聖域に来る原因になった捏造話とか、サガに頭を下げるようになった過程の話とか、実はもんのすんごい細かいとこまで練ってたりするのだが、いかんせん長すぎて書けない。
書くならサイトより本にしたい。漫画で描かないとわかりにくい場面があるし、文章もあんまり横書きのイメージではないし…まあただのぼやきである。

BGMは有名なBUMP OF CHICKENの「ギルド」。知ってる方も多いと思う。実は遊柳がバンプの中で一番好きな曲であったりする。
言うことは常に厳しい。厳しいが、それは相手を打ちのめしたいからではないのだ。この厳しさが人を生かす。余談だがこのギルドが入っているユグドラシルがバンプで一番好きなアルバム。

20110515


■ディアー・チルドレン

これを書いたのは、超短文に収録している「あいについて」をもそもそ書いたあとだった。そっちはカノンの話だったから、直接的には関係ないんだが。
遊柳は、夢とか希望とかだいっきらいである。んなもんクソくらえ!!と本気で言いたいほどには捻くれている。自分がある意味、夢とか希望とかに負けた人間だから、きっと妬んでいるだけなんだとは思う。けれどもやはり嫌いなものは嫌いだ。
けれども同時に、それは自分の問題であって他人に向けられるものではないとも思っている。特に未来のある身には。夢や希望はそれでもやはり、人を生かす力なのだと。

そういえば、アフロディーテが赤ん坊に話しかける(ほとんどひとりごと)のあの場面は、昔読んだ読み切りの漫画をぼんやり思い出しながら書いた。天使が生まれたばかりの子供を祝福するという話だ。あるとき祝福した子供が、大きくなって犯罪を犯した。それ以来その天使は祝福に明るい意味を持てなくなったという話だった。
しかし最後は生まれてきた新しい命に祝福を授け、授けたあとに口悪く「祝福してやったんだからちゃんと生きてよね」的なことを告げて終わり、みたいな話だった。
かなり昔に読んだのに未だ頭の隅に残っていたそれを思い出して、それのパロディ的な感覚で構成した。案外すっきりした文章になってそれなりに満足はしている。
しかし毎度こういうカプもない、ギャグでもない話を書くと需要があるのかと不安になる。それでも書かずにはいられないのだから、わたしは本物の愚か者だ。ふっははは

20110609


■愛と幸福のワンダーフォーゲル

実は遊柳、カミュミロをはじめ書く気は毛頭なかった。姉上が好きだったのもあってカミュミロ自体は結構好きだったのだが、どっちかというとミロカミュのノリが好きだったからだ。そしてそれはどこまでも健全さに付随するものだった。
しかしそれを見事にひっくり返したのがこの話だった。思いついたときの衝撃は凄かった。
確かこれを書く前に、ごった煮の方で「爽やかな全て」「向こう側の幸福について」というカミュミロの話を書いていた。その時に、理屈も何もなくカミュを信じるというミロと信じていてくれと言えるカミュの図にひどい熱を貰ったのだ。
その熱を後に引いたまま、とんでもないスピードでこれを仕上げた。しつこいぐらい愛と言った。愛がなんなのかわからなくなるまで言い続けた。それでもそれを忘れることのないふたりがどうしようもなく愛おしくなった。
個人的に、カミュは本当にミロが好きであればいいと思うし、ミロも本気でカミュを好きであればいいと思うのだ。そんなカミュミロが好きだ。そしてそれを書くことにわたしは喜びを見出している。
生ぬるい幸せなんていらないって、思えるくらいパワーがあればいい。普段はそんなこと微塵も思わないわたしですらそう思わせてしまうとは、カミュミロ、恐るべしである。

かなり余談になるが、これを書いたあとにBUMP OF CHICKENがアルバムを出した。その中に入っていた「セントエルモの火」という曲をご存じだろうか。是非聞きながらこの話を思い出してくれると嬉しい。だが言っておくがあの曲を聞く前にこれを書いたのであって、決してあそこから着想を得たわけではない。

20111129