☆矢  続き物系 1



■2010クリスマス

行事ものを書くのはとんでもなく苦手。なんつっても、わたし自身がひどく行事ごとに疎いから。
ただクリスマスだけは、キリストの誕生日、という名目もあって結構複雑な思いがあったりする。
サンタクロースがプレゼントを持ってくるんだという話もいろいろ感慨深い。
そんなわけで、思いたったらやってみるかと超特急で6つも仕上げたのだった。たぶん、2〜3週間ぐらいで。我ながら早かった方だと思うんだが、どうなんだろう。



・革命ワゴン
時間軸的には一番はじめなんだが、書き終えたのは最後から二番目、つまり5番目だった。
実はクリスマスとは全く関係ない話で、車に乗ってハイウェイを旅する年中組とか良いな、視覚的に。とか考えていた。それが何故かクリスマスと結びついて、最後の一言に繋がった。
ちなみにその車の着想は、姉上がYUKIちゃんの「WAGON」という曲を聞いて「これ、年中組っぽいね」といったところから得た。
本当は、走り出したらどこまでも行けるだろうに、ずっと足踏みしてる3人。そこから抜けだすように走り出すことを提供するわりに、3人でいることはやめないアフロディーテ。自分から走り出す勇気はないけど、走り出したい願望だけは持ち続けてるシュラ。2人が走り出す道具になろうとするデスマスク。
…のつもりだったんではないかな。と、今から見て思うんだが。
こうしてちょっとずつでいいから、あったかいところを目指せるといい。



・流星サンタクロース
このクリスマスの話を書こう、と決めたのはこれを思いついたからだった。サンタクロースを待つ年長二人。
だから書き上げたのも一番はじめだった…と思う。ちょっと記憶が曖昧だ。
先の年中組の晴れた日の朝から、晴れた日の夜になった。だからどうした、と言われそうだが、私の文章において天気と時間はかなり大事なのだ。これがないと文章の景色が一気に変わってしまう。
このふたりは、求めているものはいつも同じなのに、それを求める理由や自分にとっての意義がいつも違うから噛み合わないのではないか、と最近思う。趣味とか、感銘を受けるものは大概同じな気がする。もう大人なのにまだまだ可愛らしい子供のように世間知らず。
そしてそれがまさしく、わたしがロスサガを好きでいる理由なのだと思う。
完全無欠であるようで、実のところ二人とも欠陥だらけ。でもその欠陥が朝の光や夜の闇のように美しい。
…なので、実はロスサガを書いてるときが、一番楽しい(笑)



・白色ジグソーパズル
何個書こうか迷っているときに、唐突に思い立って誕生日に姉上から貰ったジグソーパズルをやってみた。遊柳はジグソーパズルがとても好きで、小学生から中学生ぐらいの頃は同じものを何度も何度もやっていた覚えがある。
だがどの一度も、できあがったものを糊で固めたことはない。だって崩せなくなるからだ。また組むことができなくてはつまらない。
そこから不意にこれをクリスマスに持ってきた。シャカにしたのは一番似合うから。相手がリアなのはもちろん、行事ごとに疎そうだからだ。
これは室内なので外の天気はわからない、が、まぁ晴れてるような気がする。このふたりに心底曇り空や雨が似合わないと思うのはわたしだけなのかな。
姉上に読ませると、「シュールな図だ」というコメントが返った。ふむ、確かに…

どうでもいいことだが。遊柳は一人遊びが得意だったりする。すごろくも、人生ゲームも、全部ひとりでやったことがある。
なんだ、さびしいやつだな、と言われそうだが、一度やってみるといい。この時大事なのは、自分に架空の相手をつくることだ。つまりこれは創作なのだ。
その架空の相手はいったいどんな性格をしているのか。それを考えながら動かしていく。こうして想像力を働かせることも時には重要だ。
…だが、ちゃんと相手がいるときは相手がいる環境でやったほうがいい。一人遊びに慣れきると、本当に誰かと趣味を共有できなくなる。
うむ、余談すぎた。



・時間旅行プレゼント
今から見ても、この題名はねえな、と思うもののひとつ。思いつかなかったのが丸見えである。

羊一家ブームだったこともあり、どうしても羊さんをどこかに出したかった。そして貴鬼はわたしの中でわかりやすく幼子なので。クリスマスにはうってつけ。
なまじっか中途半端にLCを読んでいるのもあり、シオン様を出すとどうにも二百年前と絡めたくなってしまう。
先代アテナ、つまりサーシャがこっそりクリスマスを祝おうとしていたらいいなぁとか。あの子ならやりかねんでしょう。貧民街育ちで逞しいから、沙織さんとは別の意味で貫き通しそうだよ。大好き。

そして、ずっと前にテレビで見たアメリカでクリスマスにお金を配っていたサンタクロースを思い出して。
蹴落とす足があるなら、差し出す手があるんだって。
誰もが幸せになれる日に、誰かがしてくれるだけでこの日はとても素晴らしいものだって信じていたい。



・夜行性電飾ツリー
もうカミュミロを書かんわけにはいかんだろう!だってクリスマスだ!!…と、わたしの偏った愛だけで書き上げられた話。
夜、きらきらの電飾。このふたりのカラーは原作カラーっぽいな。電飾と夜に似合うように考えると。
ミロは、カミュが必ず行くっていうから待てるし、カミュがいつまでも待つっていうから行くことができる。それが悲しいこととか寂しいこととか全部飛び越えて、ふたりが親友だって言える要因になっていたらいいのに。って思ったんだった。
愛してるっていう響きが、気味の悪いものにならないカミュミロは素敵だ。きらきら輝いてるからいい。なのに触れ合った手の感触とか、肉を繋げる感覚はずっと生々しくてリアルなのが、とてつもなく良い。それを全部含めて人肌を滑る、カミュミロがとても。
…うん、どうやらわたし、相当カミュミロが好きっぽいな。



・終日サイレントナイト
…なんか、ラダカノ書かんかったらわたしじゃない気がしている。このサイトもそうだが、ラダカノが無かったらもうちょっと違う色や形をしているのではないかなと思う。バサラをやっているとき、サスダテがなかったらもうちょっと違ったのに、って思ったのと同じように。
しかしネタが二転三転した。結局こんなぬるい形で終わったわけだが、柔らかい感情を知っていくカノンは、ラダマンティスというよりわたしが思い切り抱きしめてやりたいところである。
そういえば、これに限らずラダカノの話にやたらとカイーナ組や聖域の話が出てくるのは、あまりこのふたりだけの陶酔感がほしくないからである。どこかで冷めたものを持っていてほしいからである。
それがなくなる瞬間ってのは、それこそ互いが互いのためだけにわが身を投げ出すときでなければ。どうでもいいこだわりだな。口から出まかせなのであまり気にしなくて大丈夫だ問題ない。

機嫌がいいときは、抱きしめられるより抱きしめたい。いいこいいこしたり、喜びを分かち合いたい。
ってのは、案外あると思う。大会で賞をもらったときとか、どうだろう。何故か無条件にみんなで抱き合って涙を流したりするじゃないか。
そういうときは、自分からくるのを待ったりしないだろう。向かっていくだろう。そういうことを、ほんとは無意識にできるはずなのに、よく忘れるカノンである。



実はこのクリスマス話、いつも天邪鬼精神で文章を書き殴っているわたしが、クリスマスだから、というのを理由にしてたまには捻くれた精神をひそめて書こうというのが目標だった。
うまくいったかどうかはいまいちよくわからない。
もし今回も天邪鬼精神を発揮させていたなら、カミュミロとかロスサガとか、ましてやラダカノが最後にいちゃついているなどあり得ない。
何故ならクリスマスと言われて恋人たちのクリスマスを思い浮かべるひとが大半なのだから。
だがそれをあえて避けずに「まぁクリスマスだしな」という気持ちで書こうかと。イヴも含めて二日間、たまには無条件に幸せな日があってもいいじゃないかと。

そんなわけで、2010年のクリスマスなのでした。
どうだろう、今年はやらない気もするけど。なんか思いついたらまた。
でもこの6作並べるやつはやっちゃったのでもうやらない気がするなぁ。

                                         20110429