センスがないなんて、百も千も承知だ。それでも毎年忙しない時間の合間に何かしら見繕うのは、それが当然の礼儀だと教わってきたからに過ぎなかった。包みを丁寧に広げて取り出した、軍馬をモチーフとする黄金の文鎮を見て大笑いし、流石は我が親友期待を裏切らないねなどとのたまうこんな男でも、エレボニアの皇族、アルノール家に名を連ねる一人で、何より、自分が仕え守るべき対象であるのだから。
臣下が主君の生誕の日も祝えないでどうする。その次の年は、高級だが特に意匠も持たない筆記具を選んで渡した。今度は、何の変哲もなくて流石はミュラー君だね、などと生温い目で微笑まれた。
その繰り返しの中で、自分は未だに奴から及第点を貰った覚えがない。
滅多に戻らない自室の片隅には、小さな棚が置いてある。それぞれの段に統一感のない様々な物が置いてある。明らかにエレボニアのものではない異国の土産品とか、とある時期十代の平民女子に人気が出た小説の一篇とか、やたらと豪奢な懐中時計とか。当たり前だが、どれも自分で見繕ったものではない。自分が男に物を贈るように、自分も男から物を貰った。同じように、生誕の日に託けて毎年何かしらを用意している。ロクなものだったためしがない、というよりは、自分にはどう考えても使い道のないものばかりだったという方が正しいだろう。かといって主君から頂いたものを放り出すわけにもいかず、文句を言うにも微妙な線だ。結局、毎年その小さな棚にひとつずつ置いて行くことに決めた。
ずらりとかなりの数が並ぶようになってようやく、あの男のセンスも大概だということに気が付いた。奴のことだから、わざとそんなものばかり選んできている可能性も考えたが、どちらにしても性質の悪いことには変わりない。顔を顰める。
己が何一つ貰えたものを使えないのに反して、主君は堂々となんでも私生活に取り込んで見せた。勉強机の上には、彼が大笑いした馬の文鎮が置かれ、何の飾り気もない筆記具が転がっていた。少し変わった色と紋様をした布地の、薄手の毛布は布団の下に埋まり、魔除けの効果があると軍の装備にも揃えられるペンダントは服の下で揺れている。本人の趣味やセンスとは裏腹で、時折ちぐはぐにも思えるような使い方をしていても、奴は笑って、使うのをやめようとはしなかった。
「ミュラー君はまじめだねぇ」
奴が堂々と使ってみせることに、一定の恥辱を味わったのはこちらの方だ。とは言っても毎年、やはり笑われるようなものばかりを見繕ってくることに違いはなく、主の生誕の日だと言うのに毎度眉間に皺を寄せてばかりの自分が其処には居る。
「別にものをくれなくっても、僕は君が一緒に居てくれるだけで十分だよ」
この上なく殴りたくなるほどの笑顔で両腕を広げて見せる男の胸に向かって、渾身の呆れと怒りと共に思わず箱を押し付けた。一緒に居てくれる云々はともかく、本当はこの主君を前にして体裁を整える必要などないことを、自分も相手も理解しているのだ。皇帝の第一子。聞こえはいいが、庶子の皇子の知名度は恐ろしく低い。父君たる皇帝は勿論、彼の弟にあたる皇太子殿下、妹にあたる皇女殿下共にその生誕の日には国中から祝辞が贈られるのに対して、彼には祝いの席もない。皇帝陛下からは、殆ど身内だけでもささやかな宴の場をと御声を頂いているにも関わらず、彼が全く受け取ろうとしないことも原因のひとつではあるが、それはともかく、故に自分のあんまりな贈物だって公になることは殆ど無いに等しいのだ。
それでも礼儀だと言い張り続けて、頑なに主君を祝う臣下の形にこだわるのは、己が真面目だからなんて理由では決してない。
いつだって、最後という言葉を使うのは男の方だった。リベール行きを決めた年の生誕の日がそうだった。離宮の前庭に足を踏み入れた瞬間、そのよく響く声が上から降ってきて、振り向くと窓から身を乗り出した奴が満面の笑みで此方を見下ろしていた。
「やあ親友、今年はどんなものがそこから飛び出してくるのかな?」
「嫌味か」
「まさか。楽しみにしているんだよ、毎年」
渡した箱の中には、導力銃の駆動機関部のオプションパーツを突っ込んでいた。
「高威力用のカートリッジかい?」
「そうだ。お前のその銃でも撃てるようになる」
「ほう、旅行前に気の利いたものを持ってきてくれたじゃないか」
「俺の目が届かないところで勝手に野垂れ死なれても困る」
「それはごもっとも。まぁ、でも大丈夫さ。君は心配性だねぇ」
「誰の所為だと」
「ふふふ、勿論わかっているよ。それが君の僕への愛のカタチだものね」
「何が愛だ、なにが」
頭を拳で押さえつけながら使い方を説明する。最中もあれこれ話を逸らしてどうでもいいやり取りをしたがるのは、いつもの事だが、その日は特にひどかったから少し苛立った顔を見せると、男は両手を上げて悪びれもせずに笑った。誕生日だから許してくれたまえよミュラー。ああ、そうかそうだった。そういえばそのために見繕ったものだったのに、すっかり忘れていた。仕方がないから飽きるまで相手をしてやろうか、と思ったが直ぐに挫折する。この男は調子に乗ると加減を知らない。そして自分も、もう奴を相手に加減をする事を知らない。
奴が手ずから淹れた紅茶は美味かった。たまには君も淹れてみたらどうだいと渡されたポットとカップは、逡巡した後に押し返す。お前、俺にセンスがないということをわかって言っているだろう。それはもちろん。
「でもほら、今日と言う日の記念にね。最初で最後の君の御茶になるかもしれないよ?」
あくまでいたずらを仕掛ける子供のような態度をやめない、男の手からそれを奪ってさっさと片付けた。たまには親友の御茶が飲んでみたいじゃないかと背後でうるさい声に適当な相手をして、僅かに眉を顰めた。
最初が無ければ最後も来ない。男の言う最後を己は肯定しない。そればかりが誰に誓うわけでもなく足下を這いずり回っている。
「どうしたんだいミュラー、随分険しい顔をして」
「……別段何もない」
「暗い顔はいけないな、気がかりが在るのは仕方がないが、僕の部屋に居る間くらいは笑顔でいてくれたまえよ。ほーら」
「おいこら」
「まずは頬の筋肉を大きく動かすことからあいたっ」
「たわけ、片付け終わるまで大人しくしてられんのか」
「うん」
「……」
「あだっ、ちょ、ミュラー君無言で叩くのはやめてくれないかなぁ!」
愛、愛がないよと騒ぐそれを傍らに、さっさと棚に食器を収めて男に向き直る。大袈裟に額を押さえるその隙間へと手を伸ばし、撫でるようにして頭部に触れた。大の大人が大の大人にすることではない上に、臣下が主君にすることでも当然、なかったが。
「……君はマジメだねぇ」
守るべきと頼まれた主君は、相変わらず締まりのない顔をしながらひとりリベールへと発って行った。
終わりの鐘はその瞬間、鳴り響いて落ちた。
朝から忙しない。方々から届く贈物の数々は、皇居に設けられた執務室の中へと運び込まれた。その山に埋もれながら、男の声が響く。
「生誕式は何時からだったかな?」
ひょっこりと机と本棚の間から頭が覗いた。
「10:00だ。ヘイムダル大聖堂まではリムジンが出る。交通規制については鉄道憲兵隊が担うと連絡があった」
「うーん大袈裟だねえ。式は初めてだからちょっと楽しみだけど」
ようやく立ち上がった男の両腕には大きな花束が乗せられていた。銘入りだから、何処から贈られてきたものかは直ぐにわかるが、検閲の手が僅かに入ったらしいそれは少し形を崩している。
「花瓶は残っていなかったかなミュラー」
「後で給仕に頼んでおくから早く準備をしろ。間に合わんぞ」
困ったように肩を竦めて見せた。了承をしていない顔だ。それでも応と言うわけにはいかなかった。昔とは違う、今から行う生誕式も、その後の会合も夜に開かれる宴も、もう拒否して自由を謳歌することはできない。それを選んだのは間違いなく奴だ、だから絶対に甘やかさない。奴も、そんなことは望んでいないはずだ。
「ケチ」
口を尖らせながら花を机に寝かせて渋々と男は部屋を出た。自室に戻り、改めて衣服を整え、髪を一度解いたところで、オリビエ、と。彼を愛称の方で呼んだ。くるりと鏡からこちらに向き直った男が、微笑みを保ったままなんだいと首を傾ける。
無言で差し出したのは、濃い赤の真新しい髪留めだ。意外だったらしいのか、男は何度かぱちりと瞬きをする。
「もう其処しか思いつかなかった。この色なら服にも合うだろう」
「……」
手に取ってまじまじとそれを見つめる目は、珍しく子供のものではなかった。感情は窺えず、己も引き黙って言葉を待つ。
「……」
「………」
「……ぶふっ」
「……おい」
「ふふ、ふ、ふ、あっはははははは!」
「…………」
「ああ、いやすまない、まさか君からこんな気の利いたものが貰える日が来るなんて思ってもいなくてね!」
言うなり、直ぐに髪をまとめて、それを宛がった。奴が身に着けている上等な布で縫われた衣服や皇族の衣装として相応しい装飾の数々に比べれば、大したことのない一品だったが、自分の目から見ても違和感なく溶け込んだ。はじめて自画自賛ができた。男は笑っていた。
「今日も忙しくなりそうだが、よろしく頼むよミュラー」
主君が告げる。臣下として応える。その形にこだわり続けてきた結果は、今になって意味を成し始めた。扉を開く。
ようやく貰った及第点は、恐らく最初で最後のものになるだろう。そうして息絶えたひとつひとつを積み残しても、まだ自分は終わりを見ない。何度も礼儀を盾に繰り返して、まだ自分は、最後を、望まない。
生誕の鐘
2014年度オリビエ誕生日おめめたぁ記念。