※ぷらいべったーに置いてたものまとめ






朝から何か奇妙だった。

いつも通り部屋を出て、いつも通りに階段を下りて、いつも通りに食堂の扉を開ければいつも通りシャロンさんが笑顔でおはようございますリィン様と挨拶してくる。其処までは普通だ。見ると既に食堂にはラウラとガイウスが来ていてシャロンさんを手伝っている。それも普通だ。自分も朝の鍛錬のためにわりと早くに起きているが、このふたりもかなり早い。自分も手伝いに入って、皿を並べたりスプーンやフォークを揃えたりし始めて、ふと気付いた。ひとりぶん足りない。食器だけじゃない、既にテーブルの上に配置されている筈のナプキンもひとつ足りない。あれ、おかしいな、シャロンさんに限ってまさか数を間違えてるなんてことはないだろうし。思ってすぐに口にした。ひとりぶん足りなくないか?近くに居たラウラが直ぐに反応して首を傾げる。そうか?全員分あるだろう?

やがてぱたぱたと音が響いて、他のみんなも食堂へ集まってきた。各々の席に座って朝食を待つ中、部屋を見渡して数を数える。やっぱりひとり足りない。
「なぁ、………」
隣のユーシスに声を掛けようとして、寸で止めた。どうした、何か気になることでもあるのか。朝からミリアムに絡まれて疲れた顔をしたまま、怪訝そうにこちらを見てくる。頷いて、ああひとり、ひとり足りないと思うんだが、其処まで言って、急に自分の言葉に自信を無くした。あれ、あれ、あれ?



誰が足りないんだ?



何かに急かされるように、誰よりも早く教室の扉を開けた。中には勿論、誰もいない。規則正しく並べられた机と椅子は、きっちり長方形になるように並べられている。何時も副委員長のマキアスが、几帳面にも縦横平行になるよう整えているからだ。
でも違和感がある。本当にそうだったっけ?こんなにきれいに、何の綻びもなく、机と椅子はこの小さな教室に収まっていたんだっけ?違う気がする。違う気がするけれども何が違うのかが思い出せない。

後ろの扉からひょいと小さな頭が飛び出した。うっかり考え込んでしまっていたから大袈裟に驚いてしまった。そんなにびっくりされると思わなかったと悪びれもせず言ってきたのはフィーだった。あとからアリサやエリオットも近づいてきて、どうしたの?と少し心配そうに尋ねられた。
「わるい、ちょっと気になることがあって」
気になること?
「その、机と、椅子が……」



ひとつ、足りないような。



授業を終えて、図書館にでも足を伸ばそうかと思ったら、トワ会長とぶつかった。両腕いっぱいに抱えていた書類で前が見えていなかったらしい。床にばらまいてしまったその薄い紙の束を一緒に拾い集めて、そのまま生徒会室まで運んだ。ありがとう、助かっちゃったよリィン君。そうだお礼にこれ、ひとつあげるね。会長がにこにこ笑顔で棚から降ろしてきたのは、一口大より少し大きめのマドレーヌだった。ありがとうございます会長、でもお礼なんていいですよ。いつもお世話になっていますから。会長が困ったように、でも、でも、と繰り返すのを遮って、何かを口にしようとした、が、何も出てこない。おかしいな、俺は今何と言おうとしたんだ?このお菓子、確か、……確か。

「これ、会長のお好きな、やつ、でしたよね?」
歯切れの悪い言葉に、会長が不思議そうに答える。そうだよ、紅茶によく合うんだ。でもリィン君良く知ってたねえ。そう、その話、その話だ。



俺は、誰からその話を聞いたんだっけ?



ふらふらと、おぼつかない足取りで学生会館を出た。図書館に行こうと考えていたことも忘れて、そのまま技術棟の前を横切ろうとする。ジョルジュ先輩と、アンゼリカ先輩が導力バイクの前で何か話し込んでいる。いつもの光景だ。なのにどうしてもそれを見ていられずに、早足で旧校舎の方へ向かった。


旧校舎の前には、委員長が居た。

「リィンさん」
「委員長……?」
なんで此処に、と言おうとして、激しい喉の渇きに気付いた。今まで声がしわがれていなかったのが不思議なくらいだ。思わず右手で口を押える。上目で少し、委員長の様子を窺うと、委員長はいつも通りじゃなかった。いつものような優しげな笑みは浮かべていなかった。

「委員長?」
「リィンさん、ようやく見つけました」
さあ帰りましょう。委員長の繊細で綺麗な指が、こちらに向けて差し出される。意味が分からずそのままじっとそれを見つめるだけの自分に、委員長は静かに告げた。
「かくれんぼは終わりですよ」

かくれんぼ?いいや委員長、俺はかくれんぼなんてしていない。それよりもなあ委員長、隠れたままずっと出てきていない奴がいるはずなんだ。ずっと。皿も机も足りないのはわかってるんだ。でもわからないんだ、なぁ委員長、委員長なら誰が居ないのかわかるんじゃないのか?

「私に訊いても、仕方がないと思います」
どうして?
「だって私はリィンさんじゃありませんから。でもひとつだけ、ヒントは差し上げますね」

近すぎると、物はよく見えなくなるらしいですよ。






「おっ、やぁっと目を覚ましやがったか」
真っ先に飛び込んできたのは、青い空でも白い雲でもなく、白い髪と赤い眼だった。
「いきなりぶっ倒れたから肝冷やしたっつーの。大丈夫か?」
それがあっさりと自分の視界から消えようとしたのに気付いて、反射的に腕を伸ばした。がっしりと掴んだのは、手首だ。振り返ったそれは、驚いた顔のまま少しの間固まる。
「……クロウ」
「うん?」
「クロウ?」
「ああ、うん。俺だけど」



どうやら、ようやく、見つけることができたらしい



かくれんぼ


1時間2000文字。かくれんぼ、でお題頂いたものでした。
リィン君はちょっとクロウが好きすぎると思うんですけど、多分クロウ自身が好きだからとかそういうんじゃないんだろうなと思います。











ノートを1枚ちぎって作った紙飛行船は、会心の出来だった。
「何をやっているんですか!」
「あ」
「ノートを忘れたというから渡したんですよ!?」
「わりわり、手が滑っちまって」
でも所詮は紙だった。たった一度の突っ込みを食らっただけで拉げた。グッバイ、俺の紙飛行船。生涯できっとお前以上の奴はもう現れないだろう。当たり前だ、もう作らないからだ。そんなに柔で簡単に使えなくなってしまうものなんて俺は要らない。
「どこをどう滑ったらそんなものが作れるんですか」
「お、知りたいか?じゃ、もう1枚くれ、紙」
「駄目に決まってるでしょう」
「よく飛ぶのを作るにもコツがあるんだぜ?知りたくないのか?」
「知りたくありません!」
それに比べてどうだ、この男は。今に至るまでに自分が数えるだけでももう30回以上はこんなやり取りを繰り返しているのだが、疲れた様子は見せても勢いが衰える気配はない。見上げた根性だ。だから何処までもふざけたくなる。俺はふざけた奴なのだと主張していたくなる。
「そもそも」
男がペンを置いてすちゃりとずれた眼鏡を直す。その両脇には参考書、勿論、俺のものじゃない。俺の学生鞄はいつもすかすかだし、そもそも最低限の教科書くらいしか買い揃えていさえしない。でも今日、ノートすら部屋に忘れたのは本当に忘れていたからだ。……放課後に追試があることを。
「留年がどうのとか単位がどうのとかで此処に来たんでしたら、試験は真面目に受けるのが普通でしょう」
「いやぁ、それほどでも」
「今の何処に褒めてる要素があったんですか」
「それが普通だってんなら、俺は普通じゃないっていってるようなもんじゃねーか」
「そ、そうは言ってませんよ!」
「おう知ってる」
そんなつもりで言ったのではないということなど、当然。両腕を頭の後ろで組んだまま、特上のスマイル付でそう言ってやると、大きなため息と共に顔が沈んだ。よし、とうとう疲れ果てたか。どうやらこの駆け引きは俺の勝ちらしい。授業が終わってから約1時間、いやはや本当によく頑張った。この粘り強さは恐らくトワにも匹敵するだろう。思えばトワも相当しつこかったが、2年になってからは生徒会の仕事が忙しくてこんな風に捕まることもなくなったのだった。ゼリカもジョルジュもマイペースな奴らだから、結局真面目に俺を勉強机に向かわせようとしていたのはあいつだけだった。
たった半年で懐かしいもんだ。軽く口笛を吹くと、項垂れていた頭がぴくりと動いてそろそろと持ち上がる。おっと、まだ生きていたとは思わなかった。今度は眼鏡のずれも直さず、眉間に皺を寄せたままこちらを睨むように見上げる。なかなかどうして目つきが悪い。普段情けない顔ばかり見ているからか、ちょっと新鮮な気分になった。思わず感心して瞬きを繰り返した。
「……何時からですか」
「あ?」
「追試は、何時からですか先輩」
妙に低くて重い声が、地獄の底から這いあがってくるかのように耳まで届く。
「お、おう。……あと30分?」
「わかりました。先輩、やりますよ」
「なにを?」
「勉強に決まっているでしょう!!」
一際大きな声と、いっしょに叩き付けられた拳で机は大きく揺れて、参考書が一冊落ちた。どさりという音の後は何もなく、無意味な静寂だけがその場を支配する。
「…………」
「……さぁ、やります、よ」
「おう。あ、」
「ま、未だ何かあるんですか」
「マキアス、ノート」
ページ1枚。
指を一本だけ立ててお願いするのは、何も可愛い女の子だけの特権というわけでもないはずだ。多分。
「……今度は、ちゃんと使ってください」
律儀に何度も折り目をつけて、綺麗に千切り取られた紙片を受け取る。サンクス、と一言、じっと向けられた疑いの目にこの上なく笑みを送ってやった。だいじょうぶ、次の紙飛行船は、きっとうまくやってくれるでしょう。


紙飛行船


1時間1500文字。お勉強でクロウとマキアス、というお題でした。
このふたりすごく好きです。クロウがクラス入りしても先輩扱いしてたマキアスは良い奴です。もっと絡みあったらよかったのに。












「ユーシス様。今日は、この子の、誕生日なんです」
まだ少し肌寒さを感じる風の吹く季節だった。ベンチに座って絵本を読んでいた小さな姉弟は、ユーシスの姿を見つけると直ぐに立ち上がってぺこりと頭を下げた。他愛のない話と一緒に、その言葉はユーシスの目の前に差し出された。
「そうか」
屈みこんで、幾分も低い位置にある頭を軽く撫でる。それだけで嬉しそうに笑う子供の姿が、優しく目を貫いた。彼らの両親は貴族に仕える使用人だ。本当なら、家族で揃って女神の下で祝福を受けるのが相応しいのだろうが、子供の誕生日だというだけで仕事に都合はつけてもらえないだろう。
「でも、今度別の日にお休みを貰って、教会に行くって約束してくれました。だから何にも寂しくないんですよ」
無垢な信頼があった。だから、きっと約束した彼らの両親は彼らを裏切れないだろう。たとえ結果として裏切る形になったとしても。



「そうか、今日ってユーシスの誕生日だったんだな」
間が悪いにも程がある。珍しく朝早くに目覚めたから、身支度をした階下へ降りたら、いつも通り卒のない寮の管理人がにこりと微笑みながらユーシス様おはようございますと挨拶をしてきた。その一分の隙もない動作をいつも通り疑わしげに見ながら一言、ああ、とだけ返事をすれば、深くなった微笑みと共に、そしてお誕生日おめでとうございますと続けられて、思わず表情を硬くさせた。

其処に朝の鍛錬を済ませたリィンがまるで示し合わせたかのように現れた。

「……どうしてお前はいつも居て欲しくない時に限って居るんだ」
「え?」
「いやなんでもない」
そのまま然も当然のように朝食の準備を手伝い始めたリィンを横目に、何もしないわけにもいかず表情を固めたままユーシスも動く。リィンが棚から降ろした皿を受け取ろうと手を差し出すと、困ったように皿をひっこめられた。
「ユーシスは座っていてくれよ。誕生日なんだから」
「……それは理由になっていないんじゃないのか」
「いつも世話になってるから、俺からも労わせてくれ。おめでとうユーシス」
「……」
耳を貫く優しい声に支配されたように、身体はゆっくりと椅子に収まる。気を利かせた管理人が先に紅茶を淹れてきてくれた。僅かに湯気立つ程よい甘さのそれは、また不可解な程ユーシスの好みに合致したもので、香りが鼻先を擽ると同時に理解もした。……茶葉は故郷のものだろう。しかし屋敷で出されるものとは僅かに違う。決して高価ではないが、香りも味も素朴で温かみがある。ずっと昔に、叔父の店先で飲んだことがあったのを思い出した。

「事前にそうだと知ってれば何か用意したのに」
その日、何かと話しかけてきてはそんなことを口にしていたリィンが、放課後、部活も終わり馬舎に鍵をかけていたところにやってきて、箱を渡してきた。中身は真新しいペンとインクだった。
「半日かけて思いついたのがこんなもので申し訳ないけど」
「……いや、有り難く頂戴しよう」
「うん。改めておめでとう、ユーシス」
結局、彼から噂が広まって級友たちにこぞって祝いの言葉や即席の贈物を貰うはめになった。いや、そもそもはあのよくできすぎた管理人の所為なのだが、そういえば彼女は一体どうやって自分の誕生日など知り得たのだろう。色々な可能性が頭を巡っては、彼女について真剣に考えるのは不毛だと脳の片方が遮断してくる。訊きたいような、聞きたくないような。
「……そういえば、お前はいつなんだ」
「うん?」
「誕生日だ」
「えっ。ああ、えーっと」
頭を掻きながら困ったように笑う。
「本当の誕生日はわからないから、拾われた日がそうなってるんだけど」
まだ幾らか先の話だと言った。正確な日付は何度訊いても答えなかった。諦めて二人、帰路についてからようやく、こいつは祝われる気がないのだということに気付いた。


勝手な奴だと思った。





重たい苦々しさを押し込めて、敬愛する兄の前に立った。お誕生日おめでとうございます兄上。と、発音しようとして開いた唇はしかし息をわずかに漏らすだけだ。柔らかく目を細めて兄が微笑む。
「こんな時だからね、無理をしなくて構わない。今宵私に贈られる生誕の祝福の数は、私が受け取りきれないほどになるだろう。その殆どが世辞や、偽祝であったとしても」
「……いえ、贈らせてください兄上。要らなければ、受け取らないで捨て置いてくだされば、それで構いませんから」
「そなたは相変わらず強情だな」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。他でもない我が弟から贈られる祝福だ。勿論、受け取るとも」
「……お誕生日、おめでとうございます。兄上」
ゆっくりと紡いだ言葉が部屋を漂う。兄が僅かな間、目を閉じてそれを掴みとる。珍しく、声を出して笑われた。
「な、何かおかしかったですか」
「いいや。……そなたから貰った手紙のことを思い出してね」
「手紙?」
「そなたの誕生日に私が寄越した、それの返事のことだ」
言われて、うっすらと記憶が蘇ってきた。あの日、寮に戻ってきたら管理人が大きな箱とそれに添えられた封筒一枚をユーシスに手渡してきたのだ。忙しい兄に、筆まめではない自分が、あの学院生活の中でやり取りしたたった一通の手紙だった。
「いつも本音を出せないそなたにしては素直な手紙だったな」
「……」
贈物に礼を述べて、その日にあったことを並べ立てて、それらをあの日リィンから貰ったペンとインクで書いた。新しいそれは加減がわからず、字が滲んだ。そのことを最後に書き記した。



祝辞を素直に喜べない代わりに、他人に祝辞を贈って満足したい心の傲慢さを、自分は今日はっきりと目にしました。私もそのように他人の目に映り、やがて失望されるのでしょうか。形ばかりの自己満足を看過されて、この日を尊ぶことができないことはやはり臆病でしょうか。



「構わないだろう」
静寂と喧騒を繰り返す広い屋敷の中は、その一瞬だけ切り取られたかのように褪せた色に見えた。
「その仮定は無意味なものだよ、ユーシス。だからそなたも、要らなくなったら捨てなさい」
私のように、と、最後に呟くように落とされた言葉は、浮遊する。そうして褪せた視界の隅で、いつか自分もそうやって捨てられる日が来たとしてもきっと自分は兄を責められないことを思った。





ユーシスは、ペンを握りしめた。

宛名は書けど、宛先はわからず。この屋敷から搬出されてどこの検閲にひっかかるかもわからない。出せない手紙でも見られる手紙として、中身を書きつけた。本格的に気温は下がり、山間部では雪のちらつく季節だろう。本当は知らない、何にも知らないこのペンの贈り主に向けて。

せめて世話になった分だけでも労わせて欲しい。誕生日おめでとう。何時かもわからない日のために、無垢な信頼は全て、そこに預けて隠した。


無名の手紙


ふぉろわーさんのお誕生日に捧げたもの。暗くならず、でも明るすぎる話にもならず、いい落としどころを探したんですがちょっと曖昧になってしまった感あります。

















秋晴れの空だ。
少し前まではまだ夏の空気が漂って、生温い風が肌に纏わりついていた。ベンチに背を預けて目を閉じても、茹だる暑さに気分を損ねることもない。代わりに、剥き出しの耳が冷たくなる。

まだ震える程のものでもない。

「クロウ君?」
口を開けて大きな欠伸をしていると、右隣から声が掛かる。緩慢に目だけを動かして現れた人影を確かめた。小さな身体で大きな箱を抱えている。その恰好のままこちらを見ている。
「どーした、トワ。また何か手伝ってほしいのか?」
「う、ううん、今日は大丈夫。事務作業ばっかりだし」
「そうか、確かにそれじゃ俺様の出番はなさそうだな」
「そうじゃなくて、今日も一緒に練習してるのかと思ってたから……」
「ん?ああ」

此処、トールズ士官学院はあと2週間程で学院祭の日を迎える。故に、2年生の一部を除きほぼ全ての学院生が今、その日に向けて準備や練習に励んでいるところだった。クロウが先々月から参加している1年のクラス、Z組も例外ではない。むしろ他より準備開始が遅れたこともあり、最早一刻の猶予もないと言わんばかりの打込みぶりを見せている。昼食の時間までも音や振付の合わせ、譜面の暗記にイメージの共有を図っているのを見ると、何だかんだと真面目な奴らだなぁと思ってしまう。
勿論、自分も今はZ組の一員だ。協力するところは全面的に協力している。従って、今も別に練習をさぼっているわけではない。

「……あ、もしかして」
トワが箱を抱えたままベンチの近くまで歩み寄ってきた。
「単位取得に関わる追試験?」
「……げっ」
やはり気付いた、流石は首席生徒会長様。いや、それは関係ないか。彼女は情報処理の能力に異様なまでに長けているだけだ。記憶力も凄まじい。自分が落とした単位と受けなければならない再試や追試の種類くらいなら、一度聞いただけで殆ど把握してしまっているだろう。
「もう、クロウ君!それならこんなところでさぼってちゃダメじゃない!」
地面に箱を置き、空いた両手で腕を引っ張ってくる。小さな手に見合う弱い力だった。けれども素直にベンチから身体を起こして緩慢に首を回す。
「Z組のみんなにもちゃんと受けてくるように言われたんでしょ?」
「……合格するまで練習に来るなとも言われたかねえ」
「だったら尚更だよ。ほら、立って立って」
引っ張られて促されて、ようやく両足を地面に着けた。反射的に出た欠伸で、軽く頭を叩かれる。痛くも痒くもないが一応反応だけはしてみせると、続けて小さな手は両側から頬を挟み込み、ぺちぺちと軽い音を立てさせて眠気を払おうとしてきた。
「っとと、おいおいやめろやめろ」
「だってそのままにしておいたら、またそのまま眠っちゃうよね?」
「だーいじょうぶだっての。……たぶん」
「心配だなぁ。ちゃんと勉強はした?」
「マキアスにしごかれた」
「だったらやっぱり、ちゃんと受けにいかなきゃ」

頬を挟んでいた手が両腕にかかる。せーの、という意味のない掛け声と共にベンチから立ち上がり、もう一度箱を抱え直したトワと共に校舎の方へと歩き出した。トワはこのまま教官室へ行くつもりだったらしい。
「それ、持ってやろうか?」
トワはふるふると首を横に振った。見た目より重くないからいいよと拒否してくるあたりは、やっぱり詰めの甘い生徒会長様だなと思いつつも別段逃げ出そうとはしなかった。おとなしく隣を歩く。
教官室でトワが大きな箱を教頭に渡すのを隣でぼんやり眺めた後、部屋を立ち去ろうとするその背中を呼びとめて、軽く手を振った。

「あんま無理すんなよ、トワ」
不思議そうに首を傾げる彼女に、小さな声で告げる。
「……たまにゃ、自分から息抜きしろって」


働き詰めで生徒会室に籠りっきりの生徒会長様を、デートだのなんだのと歯の浮くような台詞で強引に連れ回していた人物は、つい先日この学院を去って行った。
本人も望まぬ結果ではあったが、容易に予想もできる当然の結果でもあった。導力バイクを駆り、ルーレにやってきたその時から覚悟もしていたことだったのだろう。だから何も言わない、言えない、言ってはならない。自分はその結果に対して、絶対に口出しをしてはならない。





もう半年も前のことだ。目の前に差し出された一輪の可憐な花が、自分に向けられていると結び付けられなくて怪訝な顔をしたら、不服だと笑われた。
「君にあげると言っているのさ」
「そりゃなんでまた」
「可愛い子猫ちゃん達に渡す分が余ったからに決まっているだろう」
「俺はオマケかよ」




此処までしかかけてなかった。未完の先輩組話。単純にアンクロかきたかっただけなんですけどもうどういうネタだったかが思い出せないのでこのまま供養します。












反響する音で、そう遠く離れたわけではないことはマキアスにもわかっていた。しかし随分な高さから転がり落ちたものだ、高めの柵でもつけておいてほしかった……そんな意味のない嘆きを思い浮かべながら急いで体を起こす。落ちた衝撃で眼鏡が外れてしまったらしく、きょろきょろと辺りを見回していると、すい、と手を差し出された。その上に探し物はあった。
「大丈夫か、マキアス」
あの時、敵の攻撃を受けて吹っ飛んできたのは、マキアスだけではなかったらしい。
「ああ、すまない。助かったよガイウス」
否、きっと彼は自分を庇って一緒に落ちたのだ。眼鏡を受け取り、改めてマキアスは自身の状態を確認していたが、特に目立った怪我はしていない。体が床に叩き付けられる前にガイウスが発動させた物理緩和のアーツのお蔭だろう、そうでなければ、首を大きく傾けなければ見上げることも困難なあの高さから、受け身も取らずに落ちて此処まで無事な筈がない。
自身を確認すると同時に、目の前のガイウスの方も見た。彼も見たところ、特に落下が原因の怪我はないようだ。
「問題ないみたいだな」
「俺は大丈夫だ」
「よし、急いでフィーたちのところまで戻ろう」
そう、まだ戦闘の最中だった。フィーとユーシスのことだから特に心配は要らない気もするが、たとえ戦闘が恙なく終わっていたとしてあの二人のことだ、勝手に先に進んでしまう可能性がある。幸い、先も確認をしたように、そこまで離れているわけではないから、急げば数分もかからず元の場所まで戻れるだろう。マキアスの言葉に、ガイウスも迷う事なく頷き、こっちだ、と指で道を示して走り出した。その後ろをマキアスが追う。



旧校舎での戦闘訓練は、主にリィンの指揮の下で何人かのグループに分かれて行われていた。特別実習でよく同じになる組み合わせは勿論、あまり同じにならない人同士も戦術リンクを結び、相手と呼吸を合わせる練習をする。この旧校舎の中では、どういう原理かは不明だが戦術リンクの効果も高く出るらしく、特に訓練にはもってこいなのだとか。そんな事情で、今日はこの面子……マキアスにガイウス、そしてフィーとユーシスという4人で、既に探索の終わっている階層へと足を踏み入れているわけなのだが。

「!」
突如、先を走っていたガイウスが立ち止まり、腕で後ろのマキアスを制した。それに気付いてマキアスも慌てて足を止める。視界には何もない……はずだが。急にぞわり、と背筋を悪寒が走ったかと思うと、異様な気配が膨れ上がり、彼らの前へと姿を現した。魔物だ。一体どこに潜んでいたのだか見当もつかないが、この旧校舎の妙な空気の中を何度も探索してきたのだ、もう驚いたり取り乱したりなんてことはしない。慌てず、しかし素早くマキアスはショットガンを構えた。ガイウスは既に、槍を持って魔物へと向かっていた。



そういえば、と。ガイウスと戦術リンクを結びながら、マキアスは思い出す。ガイウスとふたりで組んで戦ったことはあまりない、特別実習の班は、……思い出したくもない四月の実習以来彼と同じになったことはなかったし、戦術の関係でも、先陣を切るフィーやリィン、もしくはアーツを主力とするエマやエリオット……不本意ながらユーシスなどの補助に回されることが多いマキアスは、なかなかガイウスと共に戦闘をする機会というものに恵まれなかった。
「ガイウス!!」
迫りくる二体の奇怪な魔物、その間を咄嗟にすり抜けて、ガイウスが一旦距離を置く。そのタイミングを見計らい、マキアスは装填した石化弾を撃ち放した。一瞬、視界が若干のスモッグに覆われる。続いてマキアスはもう一発、次に装填していた普通の弾を、壁に向かって二発撃つ。石の壁にめり込む弾が、今度は小さな煙を上げた。

ガイウスはその音を合図に、視界の悪いスモッグの方へ、槍を使って大きく足下を蹴り高らかに跳躍した。やがて晴れた視界のその中心に固まった二体に向け、全体重を乗せた槍の一撃を食らわせる。強い衝撃が辺りに走り、魔物は僅かに痙攣したかと思うと、そのまま体をばらばらと崩壊させ、やがて紫色の鈍い光と共に消滅した。

「マキアス、無事か?」
終わって直ぐに、マキアスの方を振り返り、その言葉を口にする。
「勿論無事だ。君こそ大丈夫か?巻き込まれていたりしないよな?」
「ああ。きちんと知らせてくれたからな」
「よかった、ちゃんと伝わっているかちょっと自信がなかったんだ」
僅かに安堵の息を吐きながら、マキアスは苦笑う。幾ら戦術リンクを繋いでいるとはいえ、何も以心伝心が可能だというわけではない。結んでいる相手の動きは把握できても、それがどの行動に結びつくのかが理解できなくては、食い違いが発生し、最悪の場合切れてしまうこともある。

「いつも、そうやって知らせているだろう」
「うん?」
「壁に二発、あの攻撃を行った後は必ずしている」

だから、間違えなかった。ガイウスはいつものように穏やかに笑んで、さあ急ぐぞと言わんばかりに道を指し示した。一瞬呆気にとられたマキアスも直ぐに首を縦に振り、出来る限り自然に笑み返す。だがしかし、ああそうか、まだまだだったなぁ。マキアスは走りながら内心では首を横に振り続けていた。ガイウスは、きちんと見ていたのだ。自分はまだ何も見えていなかったというのに。それが申し訳ないと同時に、何とも悔しい気分でも、あった。


隣人


お題頂いてかいたもの。マキアスとガイウスだったかな。
わりと良い友人関係築いてそうでいいと思います。いろんな意味で信頼があるというか。