※ツイッターでリクエストを募って、それぞれ、何時間以内に何文字くらい、と設定してかいたもの









思ったより時間が過ぎるのは早い。館内の時計を見て軽くため息を吐いた。どれだけ速読の要領を得ていたってやはり分量の多い本を読みこむには時間がかかる。かといって時間が空くと内容が半日以上飛ぶことになる。荷物が重たくなるが仕方がないと、貸出の手続きをしてそれを鞄に詰め込んだ。案の定、ずっしりと腕にかかる程重たくなったそれに顔をしかめつつ、片腕で抱えて館外に出た。


既に日も落ちかけている頃で、辺りはぼんやりと薄暗い。導力灯の明りがぽつぽつと点き始めている。ラインフォルトの使用人が寮の管理人になってから、特に用事がない限り夕食は皆で同じ時間に取るようにと決められており、少し早足になった。その時本校舎の方から人影が目に入った。暗くてもよく目立つ赤い制服だ、と己もそれに袖を通しているということを棚に上げて思う。ついでに、これだけの長身を持っているのはひとりしかいない。その影は声を掛ける前にこちらに気付き、いつものように穏やかに微笑んでみせた。

「ユーシス、帰りか?」
「…ああ」

見ると、肩から下げている通学鞄の他に大きなカンバスと、ついでに画材の入った鞄を抱えている。重くなった自分の薄い鞄なんて比較対象にもならなかった。僅かに目を細める。憮然とした内情は暗闇にひた隠して、その大荷物なクラスメイトに歩み寄った。自分よりすこし高いところにある視線が不思議そうに注がれる。徐に通学用の鞄へ向けて手を伸ばして、貸せ、と一言告げた。

「うん、見た目以上に重くはないから大丈夫だぞ」
「どうせ寮まで帰るついでだ。いいから貸せ」
フェアじゃない、という言葉は流石に呑み込んだ。何が対等であるのかそうではないのかの判断くらいは付く筈なのに、そんなことにこだわっている自分が妙に恨めしい。それともそれを口実にしているだけなのか。
「すまないな」
受け取った鞄は見た目以上に重たい。思わず自分のものと左右の手でそれぞれ持ってみて、一体何を入れたらこんなに重くなるんだと心中だけで悪態を吐いてから、その重量の感覚からきっと入っているものは同じだということに気付いて、更に心中に爪を立てた。



「そういえば、前もそいつを持っていったり帰ったりしていなかったか」
「ああ、なかなか完成しなくてな。そういう時は長い目で見て辛抱強く作品と向き合うことが必要なんだそうだ。部長が言っていた」
「よくわからんが、そういうものなのか」
「作品は子供のようなものだから、産み出して人目に晒せるまでしっかり面倒を見ろとも言われた。俺は男だから、産みの苦しみというのを本来的に知ることはできないが」
「…女だって、今の歳で知っているものは少ないだろう…」


それ以上に、これは一体何の話だと。学院の門を抜け教会の前を通り、橋を渡って公園の中を通り抜けながら眉を顰める。己に、芸術の感性は殆どないと言っても過言ではない。父は風流人としても著名で兄も教養以上に美的感覚には優れているのだが、どれだけ教わっても目を肥やしてもそれだけなのだ。


「ユーシス、やっぱり重たいんじゃないのか?」
肩に引っかける鞄をしきりに持ち直していたからだろう、カンバスを抱えていない方の腕が伸びてきたのを避けるようにして身を引いてみせる。困ったように首を傾げられた。
「…重くない」
「そうか?」
つまらない意地だと思ったが、どうしてこの男を前にすると妙なことに意固地になるのかは自分でもよくわからなかった。



御手をどうぞ


1時間で1500文字。下校時のガイユシというリクエストでした。
ガイウスさん相手に変な意地はってるユーシスばっかりかいてる気がします。



















一瞬、鋭い痛みを感じたと思ったときには既に、研ぎ用の白い布に赤い染みができていた。それは左手の薬指、第二関節のあたりから滴っている。しまった、考え事をしていた所為だ。右手に持っていた刀を床に下ろしてそこを舐め取ると、綺麗に裂けた傷口があらわれて、再び血がじわりと湧き出してくる。慌てて洗濯物と一緒に寝台へ放り出してあったハンカチを摘みあげて指を覆った。飾り気もないただの白い布のようなものだったから、これでもう使い物にならなくなるなと思うと少し勿体ない気がして、思わずそろりと宛がったそれを離してしまったが後の祭りだろう。自分の得物で自分が怪我するなんて修行をはじめたばかりの頃以来だった。情けないことのはずなのに、何故か懐かしい気分になる。

(意外に深いな)

痛みは最初の一瞬だけ。後は、確かに傷口に触れればそれなりに神経が訴えては来るが、それほど大したものには思えなかった。しかしよく見ると薄皮が捲れて赤身が覗いている。思わず右手で頭を掻いて、ああそうだ、アーツ、アーツで塞げばと直ぐ近くに置いていた戦術オーブメントを手にとって、回復用のクォーツを嵌め込んでいなかったことにようやく思い当った。



何だか駄目だ、駄目だなぁ。不幸のドミノ倒しの話じゃないが、どうしてこう、一度うまくいかないと後も続かないのだろう。





自室を出て、そろそろと階段を下りた。寮の共用スペースに置いてある戸棚には応急手当の道具が一式揃えられていたはずだ。まだ各々部活等で寮には、…管理人であるシャロンすら戻っておらず、閑散としているロビースペースがやけに寂しく感じた。

入学して、ここで皆と共同生活を送るようになりはじめてからもう数か月も過ぎたが、いつだって此処は賑やかだ。最近はミリアムとクロウという新しい仲間も増えてまた一層楽しくなった。だから、人が居ないというのが、おかしくないはずなのに不思議なくらい己が身を刺してくる。


戸棚から引きずりおろした救急箱から、消毒用の液体と布、それに鋏とを取り出して机に置いた。液をかける前に先まで宛がっていたハンカチを水で濡らし、肌についた血を丁寧に拭き取る。次に取り出した清潔な布を適当なサイズに切り取りそれに液をつけようとしたのだが、どうにも布がうまく切れずに首を傾げた。仕方ない、と机の上に布を置き、左手の横部分で布を押さえてその前に屈みこみ、鋏を構えた…ところで、寮の玄関の扉が前触れもなく開いた。

「あ、」
「……?」
「お、おかえりユーシス。はやかったな?」
「用事があったから早めに切り上げてきただけだ。…お前はそこで何をしている」
「え?いや、布を切ろうと」

つかつかとこちらに歩み寄ってきたユーシスの目が、机の上に広げられた布や消毒液を順番に捉える。そのまま布を押さえつけている方の手の先を見遣り、大きなため息を吐いた。どうにも言い訳がつかずへらりと笑うと、ユーシスの手がやんわりと右手から鋏を奪い取った。
「あ、そのくらいは自分で、」
「いいから退け。…まだ滲んでいるから止血を先にしろ、阿呆が」
「へ?」

その言葉通り、不意に持ち上げた左手の先に赤色が見える。どうやらまだ止まっていなかったらしい。面倒がらずにきちんと止血の方法をとればよかったのだが…やはり、ひとりだと妙なところで判断力が鈍っている。そのまま左手もユーシスに退かされ、さらには邪魔だから座っていろとまで言われて大人しく引き下がった。非常に手際よく布を二枚に割いていくユーシスの横顔を見つめてしばらく苦い沈黙を味わうも、消毒液を垂らしたその片方を思い切り宛がわれ、先までひとりだったという静寂すら一気に打ち破るような声をあげた。痛かった。


けれどもユーシスは容赦なくそのまま傷口を丹念に拭き取り、もう一枚の布でその部分を綺麗に覆い隠してくれた。
「あ、ありがとうユーシス…」
「フン、別に大したことはしていない。片付けは自分でしておくんだな」
「ああ。それでもありがとうユーシス」
「………」


布を巻いたその手が左手をじっとつかんだまま離れない。何かまだ不備があったかと首を傾げてユーシスの顔を覗き込んでも、いつもと変わらない冷めた目のままでよくわからない。

「あ」
「…?」
「ユーシス、それ、その布とハンカチは俺が捨てるから」
手元にあったふたつの赤く染まったそれを右の指で差すと、ユーシスの目が反射でそれを追った。その隙に左手を緩く落として解放して、素早く机の上のものを処理しはじめる。
「用事があったらしいのに、ごめんな」
片付けながら口にすると、ユーシスは思い切り不機嫌そうに目を細めて、何も言わずに立ち上がった。もう一度声をかけてみても、明らかに無視されて、二階へと消えていく背中を少し呆然としながら見送った。廊下を乱暴に歩く足音と扉の閉まる音が鮮明に聞こえる。ほんの少しだけ、建物に人の気配が戻った。



でもどうしてユーシスが怒ってしまったのかは一向にわからず、やっぱりわるいことは立て続けるんだなぁと、布で覆われた指を見つめて眉を顰めた。



赤い意図


1時間15分で2000文字、ユシリンでリクエスト頂いたもの。
ユシリンってかいたことなくってどうすればそれっぽく見えるか考えたらユーシスがカルシウム不足みたいなことになった。






















「フィー、頼む!」
「ラジャ」

ガイウスの一撃は確実に魔獣の急所を捉えていた。厚い皮膚に守られて致命傷にまで到らなかったそこは、しかし一陣の鋭い風のごとき一閃で傷付き、赤黒い血を噴き出す。ガイウスの声が呼ぶまでもなくフィーは敵の懐へと飛び込んでいた。呻き、強烈な叫び声を挙げる魔獣が闇雲に振り回す腕を容易に避け、両手に握られた双銃剣の先を傷付いた皮膚へと突き刺す。続けて三、四発分の銃声が鳴り響いた。魔獣がそのまま崩れ落ちるのを確認し、すぐさま後ろに飛び退いて、少し離れたところで暴れているもう一体の方へと駆け出していく。



アークスの駆動音が、魔獣の声とショットガンの銃声に紛れて微かに聞こえる。先まで魔獣の腕を果敢に振り払っていた剣の手を止め、ユーシスがアーツの駆動に取り掛かっているようだった。確かに、もう一体の方はまだ体力も相当量残っているらしく、標的に据えているマキアスを追尾する腕も正確だ。一方のマキアスは、攻撃をなんとか紙一重で躱しつつ攻撃を行っているようだが、どうやら猛攻を凌ぎ切るので精一杯なことが窺える。

フィーは走り込みながら、アークスを開いて戦術リンクをガイウスと切りマキアスと結んだ。瞬時に繋がる感覚を通じて、的確に魔獣が攻撃を加えようと振り上げた右腕を撃ち抜く。そこで怯んだ隙にマキアスもショットガンを魔獣の足に打込んで、滑り込むように魔獣の反対側へ出た。
「フィー、すまない助かった!」
「礼は後。さっさと片付けよう」
一瞬足をとられた魔獣だったが、すぐに持ち直してその鋭い目を周囲に向ける。それが背後のフィーとマキアスに向けられるより先に、ユーシスのアーツが駆動を完了させ、魔獣の足下を凍りつかせた。下半身の異変に驚いた様子の魔獣だったが、そのまま徐々に奪われる体温と感覚に絶叫し、その振動と怒りによる力が左足のみを氷結から解放した。砕けた氷が皮膚を傷つけてもお構いなしに、振り上げた腕はユーシスを真正面から捉えていた。

「…っ!!」
「ユーシス!!!」
咄嗟に身を引いてそれを避けるが、立ち位置が悪く、避けた先は袋小路だった。続けてもう一方の腕が迫る。思わずマキアスがショットガンを打ち放すが、予想に反して、魔獣はその腕が銃弾を受け地面に落ちたと同時に、大きく開いた口から禍々しい光を放ち始めた。

ブレスだ、とフィーは即座に感づくが、ここからでは到底間に合わない。急いで走り込むその視界の端を、大柄な人影と十字の槍が掠めた。魔獣の振り下ろした腕を薙いでユーシスの下へやってきたのは、ガイウスだ。彼はユーシスの前に立ち塞がり、黒い光が吐き散らされるのに合わせてアーツの駆動を行う。完全防御とはならないが、咄嗟に発生させられる簡易な防護壁の一種だった。


ガイウスが目の前に躍り出た瞬間からユーシスは既に再びアーツの駆動に取り掛かっていた。ブレスが引き、視界が安定したところに走り込んでいたフィーが魔獣の足を引き裂き、続けて銃弾を埋め込む。だらだらと血を流しつつもまだ踏ん張りを見せるそこを更にマキアスが追撃した。片足が落ちる。
「ガイウス、退け!!」
防御壁の駆動が解除され、ブレスの残滓も周囲から消え去った後、ユーシスのよく通る鋭い指示でガイウスは咄嗟に魔獣の崩れた足側の脇へと飛び退く。彼が居た場所を激しい電撃が走り抜けた。それは魔獣の顎を捉え、腹を捉え、既に片足の動かないそれは、全身を走り抜ける衝撃に体のバランスを大きく崩した。

その大きな隙を、ガイウスとフィーは見逃さなかった。既に戦術リンクを繋げているため、駆け出したフィーの意図を察したマキアスがアーツを高速で駆動させる。彼女とガイウスを包むように現れた時の結界は一発の銃声によって打ち砕かれ、瞬間、ガイウスがかざした十字槍の先にフィーが軽快に飛び乗った。そのまま、遠心力で彼女を宙へと舞い上がらせた槍の先は魔獣の脇腹を刺し貫く。魔獣がその痛みに呻く間もなく、フィーの双銃剣の銃口がその脳天に向けられる。
穴の開いた頭蓋を上から落ちる勢いで引き裂き、最後に数発の銃弾で脳みそを内側から破壊した。完全に生命活動を停止した魔獣の上で、すくりとフィーは立ち上がり、少し血に汚れた頬を適当に袖で拭ってから辺りを見回した。

「ミッションコンプリート、だね」

安堵したのか大きなため息を吐いて力なく項垂れるマキアスに向けて、余裕のブイサインを向ける。体力の差や経験の差はまだ開いてはいるが、それでもはじめの頃に比べて随分と動きも良くなった方だろう。ちゃんとついて来れてたね、と言いながら魔獣の上から飛び降りると、それでも君が止めをふたつとも持って行ってしまったじゃないかとぶつぶつ返された。ユーシスは先ほどガイウスが間に入って受けたブレスの傷をさっさと確認して治療し、そのまま二人そろってこちらに向かってくる。

「見事だったな、フィー」
「ガイウスもナイスアシスト。あれはガイウスじゃなきゃできないしね」
「うん、役に立てたのならよかった」
ぐっと立てた親指に、よくもわからず親指を立てて返しているその脇で、疲れたことを隠せないマキアスをユーシスがだらしないと一蹴し、また反りの合わない同士で言い合いが始まった。
「君だって先に思い切り壁際へ追い込まれるミスをしていただろう!疲れて判断力が鈍っていたんじゃないのか」
「フン、あのふたりが加勢するまで守勢一方だったお前には言われたくない。第一もっと下がって俺の補助をしろといっていたのに何故前に出てきた。判断力が鈍っていたのはお前の方じゃないのか」
「何だと!」
フィーは首を傾げて、変なことで言い争いをするものだ、と思った。ガイウスも大体同じことを考えていたらしく、ふたりで目を合わせて不思議そうな顔をする。

「二人とも、戦闘の反省は戻ってからにした方がいいだろう」
「そうそう。さっさとかえろ」
「うっ…仕方ないな」
「フン」
4人揃って踵を返し始める。未だ体力が戻りきらないマキアスをガイウスが気遣っている後ろで、逆に全く疲れなど見せない様子のユーシスの隣をフィーがひょこひょこと歩く。横からじっとその顔を覗き込むと、心底訝しげに目を細めてユーシスが何だと口を開いてくれた。

「だいじょうぶだった?」
「大したことはない」
「足、ちょっと引き摺ってたでしょ」
「……もう治したから問題はあるまい」
「確認かくにん」
「っ!おいこら」

少し前屈みになってユーシスの右足をフィーが叩く。僅かに歪めた顔を指摘すると一気に不機嫌な表情になった。

「ちゃんと治さなきゃ、戻ったときエマに怒られるよ?」
「わかっている。……何で今日はそんなにお前までお節介なんだ」
「わたし、今リーダーだから」
ちょっと誇らしげに胸を張る。振り返ったふたりもそれを見ていた。マキアスはため息と共に眼鏡を押し上げて、ガイウスはいつもどおり、穏やかに微笑んでいるだけだった。



それいけおひーさま親衛隊

1時間30分で2500文字。フィーとマキアスとユーシスとガイウス、という私のメインパーティ4人でというリクエストでした。勝手におひーさま親衛隊と名付けられたこの4人大好きな上に戦闘シーンかくの好きというのもあいまってノリノリでかいてしまった。



















握りしめているのは、武器にするには些か小さすぎるナイフだった。調理にも使えなさそうな頼りない刃を掲げて、体の前に屑入れを抱え込んだ体勢で、一本の長細いペン先を削り落としていく。じりじりと剥げた木肌の中から鮮やかな青色が姿を現した。


ティオすけによると、こいつは色鉛筆というらしい。顔料を固めた芯を木軸で囲んで云々、いろいろ説明されたような気もするが、俺が理解したことはこれで字や絵がかけるんだということだけだ。ティオすけがロバーツさんから受け取ったものらしいが、過保護な保護者の気持ちを知って知らずか、絵を描くのは得意ではないからと新品のままキー坊に渡してしまった。使っている内に芯が摩耗するから、先っぽがぺったんこになったらきちんとナイフで削らなきゃだめですよと何故か俺が念を押される。プレゼントされたのはキー坊なのに。

プレゼントされた張本人は、今まさにそいつを使ってお絵かきの真っ最中だった。床に大きなスケッチブック…これも色鉛筆とやらと一緒に渡されたものだが…を広げて、鼻歌を歌いながら白い画面を色鮮やかに埋め尽くしている。

「キー坊、ほれ青色」
「わあ、ランディありがとー!」
薄くて四角い箱の中に規則正しく並べられていたはずの色鉛筆はすっかり全部取り出されて床に散乱していた。というのもキー坊が、何本も同時に取り出しては画面の側に置き、それを数秒間に何度も取り替えて塗りつける、という作業を繰り返していたからで。はじめて握ったとは思えないほど手際よく色を替えては、ただの白い画面に、1階の応接間で寝そべるツァイトとか、執務室の椅子で新聞読んでる課長とか、支援課の導力車とかが現れてくるものだから、まるで魔法みたいだなぁなんて思いつつ、その魔法の道具を丁寧に研ぎ続けていた。

「ランディも描いてみる?」
「…へえ?俺が?」
「ランディも何か描いてみてー!」
「うーん、キー坊みたいにうまく描ける自信ねーんだけどなぁ…何描けばいい?」
「じゃあロイド!」
「うお、いきなりハードル高すぎだろそれ」

唐突に押し付けられて、スケッチブックを体の前まで持ってこられて、渋々と言った体で握りしめる。が、キー坊みたいにうまく描ける自信、どころか、俺には全くといっていいほど絵画の経験値が、ない。わざわざ新しいページに捲られて真っ白になった画面と真剣ににらみ合いを続け、ついにその手前まで腕を運ぶと、隣で覗き込んでいたキー坊まで俺の緊張を読み取って、真剣な顔つきのまま息を呑んでいた。



「……」
「………」
「…………」
「…わりぃキー坊、やっぱ無理」
「ええ〜〜〜?」

色鉛筆を返し、スケッチブックを回転させて元の位置に戻す。不服そうな声を出したものの素直に色鉛筆を受け取った彼女は、ランディのロイド見てみたかったのになぁ、と愚図るように頭を揺らした。その頭を撫でてやりながらそろそろ飯だし片付けるかと提案して、元気よく頷いたのに続けて散らばる色鉛筆を拾い上げていく。



ふと屑入れの中を覗くと、無駄に色とりどりの削り粕がひしめき合っているものだから随分にぎやかになったじゃねーかと笑うと、キー坊も一緒に覗き込んでにこにこした。でもね、これ肌色がないんだよ。再び薄い箱の中にしっかりと、一本の漏れもなく仕舞われたそれを指差してキー坊が言う。本当だ、肌色がなかった。薄い橙色は存在していて、それは確かに肌色の代用とできなくもないが、人間の質感を表現するあの色だけがすこんと存在していなかった。



ああ、だったらやっぱり俺じゃあ、あの時どんなに頑張ってもロイドを描くことはできなかったに、違いない。



不在の色鉛筆


1時間1500文字、色鉛筆でお題いただきました。
このあと色鉛筆に肌色がないのは、肌色が差別的な意味を含むからだと教えていただいて納得しました。きっと偏見に塗れた目では気付けなかった。


















「クロウ、何してるんだ?」
「なにって、…リンゴ剥いてんだけど」
「いやそれはわかってるけど、なんで」
「練習がんばってるお前らに差し入れだよ。有り難いとおもえっつーの」

しゃりしゃりという音と共にリンゴの甘酸っぱい香りが漂ってくる。どこで拾ったリンゴなんだ?拾ったとかいうな、ちゃんと商店から貰ってきたもんだよ残りもんだけど。言葉通りクロウの隣には、店の銘が入った箱と無造作に放り込まれた大量のリンゴがあった。リィンは机に立てかけるように楽器を置いて、箱のなかを覗き込むと無遠慮にひとつ掴みあげる。手にとったひとつは表面に少し傷が入っていた。もうひとつ適当なものを持ち上げると、今度は形が少し歪んでいた。なるほど、単に残り物というだけではないらしい。
「もしかして、ミラがやばいときはこんな風にもらったりしてたのか?」
「捨てられちまうよりマシだろ?まぁ、すぐ食べ切らねえとどうせ駄目になるけどな」



ここ連日、学院祭のステージ練習の大詰めで、身体的な疲れからか精神的なものもあるのか、特にボーカルを担当しているマキアスとユーシス、そしてエマの三人は特に食欲が失せているらしい。エマは流石というべきか、食欲が無くてもそれなりに体調には気を配っているようだが、男子二人の方は夜まで練習、そのまま部屋に戻って朝まで意識がないこともしょっちゅうでリィンも心配に思っていたところだった。無論、導力楽器担当組の練習もそれに負けず劣らず厳しい。しかしマキアスとユーシスに関しては恐らく、本人たちがそれぞれ相手と長時間向き合わなければならないことが更に疲労を蓄積しているようだった。

「熱出して寝込んだときとか、母さんがよく切ってくれたなぁ。そういえば」
「おうおう、いい話だねえ。ま、疲労度マックスだろうがここでお前さんらにぶっ倒れられても困るんでな。メイドさん晩飯の買い出しいってっから、ここは先輩且つマネージャーである俺様がだなぁ」
「はいはい。どうもありがとな、クロウ」
「先輩のハナシは最後まで聞けっての」
「わかってるさ。これならあのふたりもちょっとは食べられるだろうし、助かるよ」
「……ドウイタシマシテ」

あしらわれて不機嫌になったのかと思ったが、そういうわけではないらしい。そのままの状態から皮だけを剥き、ふたつに割いて種をくり抜く。一口大に細かくして塩水の中に落としていくまでの流れは既に慣れたもので、皮を剥くその手際は、3個に1個、完全に1枚に繋がったものができるほどだった。先ほどまで得意げに見せびらかしていたそれも、さっさと屑籠に放って作業を続けている。


「そうだ、指は大事にしろよ。また傷とかつけてねえだろうな?」
「ああ、もう大丈夫だよ。今更というかようやくだけど、慣れてきたしな」
視線は手元から動かない。勿論怪我でもしたら大変だから、それは咎めなかった。見ないし見せないし、動かせないから動かない。それでもするのが当然のように掛けられた心配だけで、リィンは、クロウという人間を推し量れると信じていた。
「クロウって、意外にまめまめしいっていうか、細かいことにうるさいよな」
「なぁお前それ褒めてんの?馬鹿にしてんの?」
「いいと思うよ」
「なんだそりゃ。それに俺は細かいことにウルサイんじゃなくて、こだわるところにこだわる派なんだよ」
「リンゴの剥き方もか?」
「何?ウサギがよかった?」

ようやく腹の底から笑いが出たところで、エリオットの練習再開を呼びかける声が聞こえて、塩水に浮かぶリンゴの欠片を少し名残惜しく目で捉えながらも、リィンは急いで楽器を抱えて戻っていく。奇しくも、ひらひらと右手をこちらに振って見送るその姿を、彼は見ることができなかった。



ウサギのリンゴ

1時間1500文字で、リィクロでした。
クロリンかリィクロかと言われたら後者なんですが、ベクトルが常にリィンの方から伸びてるってだけで特に私の中で差はないみたいです。