自分探しとはよく言ったものだと思う。実際、冷静になって考えてみて、俺っていったいどういう存在なんだろう。シュバルツァー家の養子?八葉一刀流の初段認定者?今は、トールズ士官学院1年Z組の一員。その他諸々、挙げればそれなりの数が出る、リィンという人間がそれなりに歩いた17年の月日は決して短いとは言えないものだったらしい。それだけが唯一の誇りだった。



振り返ることばかりしているのは、そこに客観視した『自分』が見えるからだろう。








緋色の煉瓦を、緋色の空が鮮やかに照らしている。店から引っ張り出した衣装ケースを導力バイクの前に置いて、息を吐いてからふと気付いた。ケースの大きさとバイクを交互に見遣り、しまったというように頭を掻いていると、同じように店から衣装ケースを手にしたユーシスが出てきたのが見えた。
「何をしている」
「あ、いやその」
乗せる場所が。

移った目線の先には、バイクの左側に取り付けられたサイドカーがあった。人ひとり分、それなりに大柄な人物が乗っても問題はない程度に余裕のあるその空間と、自分が先に持ってきたケース、ユーシスが今持ってきてくれたケースとを見比べて、最後にユーシスの顔を覗った。皆まで言わずともわかってくれたらしい。僅かに呆れたため息を吐きつつさっさと手にしたケースをサイドカーに積み込む彼に続いて、リィンもその上に積み上げた。


「だがこれでは流石に乗ることはできんな」
一連の行為に躊躇いはなかったが、ケースに占領された空間を見てユーシスがふと漏らす。少し考える素振りを見せて、ああでも、と大袈裟に切り出した。そんな演技めいた真似を入れた理由は、彼に悟られたくないところがあったからだ。
「後ろに乗ればいいんじゃないか?アンゼリカ先輩も、よくトワ会長を乗せて走っていたみたいだし」
「…その二人と俺とお前とでは差があるような気もするが、大丈夫なのか」
「う、うーん。俺もやるのははじめてだから、何とも…」

先に跨って導力エンジンをかける。低く唸りはじめたバイクの調子を確かめてからユーシスを呼んだ。シートの後ろにはそれなりの余裕があったが、少し前の方に座り直して空いた場所を軽く叩く。ユーシスは不満そうに眉を顰めつつ、同時に不安そうに目を揺らした。最近こんな彼の様子に気付くことが多くなった。きっとぼんやりしていたら見つけられない程些細なもので、本人すらうまく調節できない一種の無意識のようなものなのだと理解してからは、見つけたらできる限りのことをしてやろうとリィンは思っていた。少し考える。


…馬のように手綱はないし、かといって足で支えきるには少しスピードとバランスが厳しい。


「ユーシス、俺の体にしっかり掴まっていてくれ」
「…どうやって」
「たぶん、腰に腕を回せばかなり安定するんじゃないかな」
「…それでお前はいいのか」
「うん、運転に支障は出ないと思うし」
まだ空は緋色を保っているが、日が暮れるのも早くなってきた今の季節、そろそろトリスタに向かわなければ夜の街道を走る羽目になるだろう。そんなことはユーシスも当然理解していたことで、あからさまに渋ってみせながらも文句は言わずバイクに手をかけた。そのまま静かに後ろに着席する。

「よし、じゃあ行くか」
発進の合図としてかけた声に返事はなかった。代わりに、腕が殊更ゆっくりと体に回された。





導力バイクは良い。これの元々の所持者であった先輩のアンゼリカは、自由気侭にこれを乗り回すことで憂鬱な気分も吹き飛ばしていたと、またいつも忙しいトワ会長も一緒に連れて行くことで彼女の気分転換にも一役買っていたと言っていたが、それもそうなのだろうと納得する。操縦にはそれなりの集中力も要するが、走りだしたら頭がからっぽになって、走っている間はいろんなものが同時に頭に流れ込んできて、最後は何故だかすっきりした気分になるのだ。その一連は、涙を流す行為に似ている、と、リィンは思う。そしてつい2,3か月程前、妹のエリゼに泣かれたことを思い出した。思い出して少し苦笑いした。

「何を笑っている」
「いや、ちょっとね」

スピードにも揺れにもある程度慣れが来たらしい。背後のユーシスの気配は発進した直後よりも随分と落ち着いたものになっていた。馬に乗り慣れているから大丈夫かと思ったと言えば、他人に手綱を任しているという状況が落ち着かないのだと言われた。

俺、信頼されてないんだな。勿論冗談のつもりだったが予想外に怒られた。



「これに乗っていると気分が良くて、ついいろんなこと思い出すからさ」
「気分がいいから思い出す?」
「ああ」
昔のことを振り返るときは、何時だって逃げ出したいときだ。過去を事実や優しい思い出として語るのとそれは違う。懐かしさや郷愁の念に駆られて、自分の記憶の中に自分を探そうとすること。

誰の腹から生まれたかもわからないというのは、無意識下でずっとリィンの不安を煽っている。あたたかな家族の情を与えられ、また自らが与えることを許され、心身を鍛えるための修行の機会にも恵まれ、悩んだ挙句の士官学院行きを決めた、こんなにも満たされた存在であるリィン・シュバルツァーという人間を、どこかで疎ましく見ている自分が居るのだ。自分のことなのに、とてつもない矛盾だった。

幸福な記憶の中に幸福な自分の姿を見つけて、他人がくれた言葉を見つけては安堵の息を吐く。そうして積み重ねてきた記憶のなかにしか居ない『自分』を惨めだと思ったことは何度もあるが、それでも大事に抱こうとしているのは、そこに他人の存在を認めているからだった。



「フン、学院祭も明後日から始まるというのにくだらん事で悩んでいるんじゃないだろうな」
「ははっ、手厳しいなユーシスは」
「迷ったり戸惑ったりした分だけ、時間は過ぎるからな」
「…それはそうだな」

エリゼに泣かれて、どうしたらいいかわからなくて、わからないまま声をかけたらもっとわからなくなってしまう気がして、そしたらみんなに早く追い駆けろと背中を押された。和解も理解もあの騒動で有耶無耶になってしまったけど、ひとつだけ間違いなく言えることがあった。…これも、そうして今あの時を振り返って確かめたことのひとつでしかないのかもしれないが。

俺は、間違いなくエリゼの兄で居たかったのだ。




「俯くな阿呆」
「いてっ」
後頭部に何かがぶつかった。同じくらいの大きさで、同じくらいの硬さのもの。
「今は前だけ見ていろ」
振り落されたら敵わん、と比較的耳に近いところで声がする。素直に謝ってハンドルを片方ずつ握りなおした。手のひらに汗が滲んでいることに気付いた。


「ユーシス」
「なんだ」
「ちょっと加速してもいいか」
「は?」
「どうせならもっと涼しい方がいいかなって」
「…今でも十分涼しいだろうが」
「いや、きっともっと好きになるから、たぶん」
「意味がわからん」
「バイクのことだよ。大丈夫、ここから先は特に曲がりくねった道もないし。止まるタイミングもわかってる」
「……」



訊いて促して気長に待って、自分は狡いのだと知っている。背後で自分に捕まるユーシスが、たった一言肯定してくれるのを期待している。押し流すでもなく、連れて引っ張り上げるでもなく、やんわりと、そこに乗り上げさせたまま。



「……構わん、好きにしろ」
「うん、ありがとな、ユーシス」

本当は、回された腕だけでわかっている信頼を、何度も確かめずにはいられない。ユーシスの肯定の言葉はいつも心地よかった。普段は偉そうにとられてしまうあの態度が、自分に向けられたときばかりは強い味方になった。だから頷いてもらいたがっていたのだ。エリゼにだってそうだったのだから、怒られて当然だった。泣かれて当然だった。泣くと言えば、自分はもう何年もあんな風に感情をこぼして泣いたことなんてなかったような気がする。そうしていれば何処かで道を定めることができていただろうか。それすら推測にしか過ぎないから。







本当の自分なんてどこにもいない。少なくとも、今は未だ。でも自分の側で誰かが自分をリィン・シュバルツァーだと呼んでくれるなら、少なくとも俺はリィンなんだろう、リィンで居てもいいのだろう。自分では自分を大切にできなくても。

この加速が止まったら、笑顔で後ろを振り返りたい。



走る岩


ブログから。
ユーシスがナチュラルに好きで違和感かんじてないリィンくんと、そんなリィンくんに絡め取られつつあるユーシス的なあれでした。




















屋敷の空気というものはその持ち主の性格や機嫌で劇的に変わるものだと、この数十年間で嫌と言う程理解してきたつもりだが、こう毎度戻るたびに妙な重苦しさを保っているのはどうにかならないものか。ため息こそあからさまには吐かないものの、出迎えの挨拶もほんの僅かに堅いだけで大体のことは察してしまう。…それだけ機微に敏くなければ、社交界でも政界でも自分は役には立たないのだから、当然だ。



自身の部屋に向かう前に、屋敷の離れた一角にある弟の部屋の扉を叩いた。中からまだ幼さを残した声が返る。私だと告げれば少し慌てたような気配と足音がして、ゆっくりと扉が開かれた。
「お戻りになられていたのですか、兄上」
「ああ、つい先ほど着いたばかりだが。ただいまと言っておくべきかな?」
「…お帰りなさい」
少し顎を引いてよそよそしく口にするのが実に弟らしい。無愛想な表情は崩れていないが、纏っている空気が彼はとてもわかりやすいのだ。ふむ、と幾分勿体ぶって腰に手を当て、自分よりも少し下にある目をしっかりと見据える。ばつが悪そうに逸らされた。
「ここで立ったままする話でもないな。…中に入らせてもらおうか、ユーシス」
「………」
「ああ、問い質すような真似をするつもりはないよ。だがこの屋敷のことだ、私にも知る権利というものはあるだろう?」
「…どうぞ」
入り口からさっと身を引いた弟が、咄嗟に右手の指を握りこんだのがわかった。





「なるほど」
紅茶は少しも冷めていない。それほどまでに簡潔な話だった。屋敷に備えられていた皿が割れた。たったそれだけだ。もともと此処にあるものはどれも値段から言えば高価なものばかりだが、割れたそれはいわゆる常用のものではなく、階上の踊り場の先に置かれていた鑑賞用のものだったらしい。場所についてはあとで確認しておこうと湯気のたつカップに口をつける。味は上々だが、少しも美味いと感じなかったのはこの屋敷の空気の所為か。

「それで、誰が割った?」
「俺が、……俺が割りました」
「嘘だな」
「何故、」
「いや、半分は本当か。弟よ、私を騙すつもりならもっと毅然としていなければな」

背筋は伸びているし目はしっかりと前を向いている。口調もしっかりはしていたが、如何せん体全体で嘘が吐けていない。もともと根が素直な弟のことだ、頭と心の矛盾を隠すのが下手なのだろう。その為の武器も防具もその無愛想な面とあからさまな言動しか持っていない。自分から見ればそれは実に微笑ましさすら感じる段階だった。


「だがその様子だと、父上を騙すことには成功したらしい」
「………」
「父上も、もう少し相手を顧みるようであれば、直ぐに気付いたと思うのだがね」
同時に、しかし例え気付いたところで処遇は変わらなかったかもしれないとも考える。そういう意味では、今回弟がとった行動はなるほど確かだったのだろうが。
「だが感心はしないな」
「…申し訳ありません」
「怒っているわけではないから、謝る必要はない。それで、そこまでのことをしたのだから当然、理由はあるのだろうな?」

暗に示したのは彼が握りこんでいる右手の指だった。治療は為されたようだが深い切り傷がついているらしい。もう一箇所、右腕にも薄い傷の痕が確認できる。ユーシスはばつが悪そうに目を逸らして、それを隠すように左手を動かした。

「本命は腕の方か」
「…今日屋敷を訪れていた男爵家の者はわかりますか」
「勿論。人当りが良くて傲慢なところも少ないが、小心の気がある」
「あ、兄上」
「それで、彼の御仁が?」
「………」





父への挨拶を済ませた彼を、帰りに玄関まで案内している間だった。忙しなく働く屋敷のメイドが不注意で1枚目を割ったところをたまたま見てしまったのだ。陶器の細かな破片は足下に散っている、しかし皿自体は彼女の手に握られていた。まだ辛うじて形を保ってはいるが、端をぶつけて欠かしてしまったらしい。彼の男爵殿は小心者だったが、天性のお人よしだった。徐に彼女に近づき、それを貸しなさいと手に取り、床に落として割ろうとしたのだ。

意図に気付いた瞬間、男爵の肩を引いてしまったのはまずかった。止めるつもりが逆に男爵の手から皿を放す結果になって、ガシャンという盛大な音と共に皿は完全に割れた。その破片のひとつが、咄嗟に受け止めようと身を屈めた己が腕に飛び散ったのだ。…誰も彼も自業自得だった。


音に気付いて執事の一人が駆け付けたとき、真っ先にしたのが落ちた破片を握りこむことだった。実に安易な発想だとは自分でも思ったが、それ以外に方法が思いつかなかった。指から流れ出した血に慌てる周囲を他所に、委縮する男爵を見上げて首を横に振る。心配ない、父上には俺から、俺から伝えるからと告げる唇がわずかに震えた。





「なるほど。はじめから自分だと伝えれば疑われないことをわかってそうしたというわけか」
困った子だな、と眉を顰めてみせれば、申し訳ありませんとユーシスの頭が更に下がった。
「父上に散々なことを言われたのであろうし、責めるつもりもないが褒めてやるつもりもない。そなたもよくわかっているだろう」
「…はい」
「ただ、今回限りにしておきなさい。まぁ同じ手は二度と使えないとは思うがね」
「わかっています」

父もそこまで愚かではない。幾ら目もかけぬ子供相手だとはいえ、そこは見極めのつく人だ。しかし今見逃したのは間違いなく其処、相手がこの子供だからだと思うとやはり苦い顔をせざるを得なかった。



半端の陶器


ブログからその2.
アルバレアさんちの事情がまだよくわかってないわけですが、次作でもうちょっと詳しく言われるんですかねえ