軍靴の音を響かせて部屋に飛び込んできたのは、既知の同僚であるミュラーだった。ナイトハルトは書面から顔を上げて軽く挨拶を振る。それに気付き、律儀に返事をしながらも、ミュラーは部屋全体をなぞるように視線を動かし、少し眉根を寄せた。
「一体どうしたんだ」
「ナイトハルト、此処には誰も来ていないか?」
開きっぱなしの扉の外、廊下の方まで油断なく確認しながら、ミュラーは、ナイトハルトの問いに問いで返す。
「誰も来ていないと思うが……」

ナイトハルトは内心で首を傾げた。誰も来ていない……というより、彼も先ほど此処に着いたばかりで、実際のところはよくわからなかったのである。彼は、第四機甲師団から師団長の代理として会議に出席するため、今朝方ガレリア要塞から此処、帝都の軍駐屯区に赴いたのであるが、何分突然の代理出席であったため着いたばかりで直ぐに会議の書類の確認に追われていた。

しかし、ミュラーの問いかけにナイトハルトも部屋を見回す。急いで居たとはいえ、部屋を入ったときに人の気配を探らなかったわけではない。会議の時間までは余裕があり、未だこの共用事務室内には他に人も来ていない……と、彼は初めに判断した筈だった。だが、手練れの者であれば気配を隠すことなど造作もないことを当然、彼は軍人として知っている。そして何故、この厳重な警備が為されている筈の軍駐屯所に於いてそのような発想に至ったかと言えば、扉のところでしきりに廊下の方を気にしている同僚が、普段の鉄面皮を剥がし幾分も焦ったような……いや、どちらかというと何処か苛立っているような様子を見せていることに、ただならぬ雰囲気を感じ取ったからである。だが、改めて確認してみても、部屋の中に特に怪しいところはない。その旨を簡潔に伝える。

「誰も潜んでいる様子はないな」
「そうか、手間をかけさせた」
「いやそれは構わんのだが、一体だれを探しているんだ?」
「…………」
その問いかけは実に自然なものだ、と、了承するようにミュラーはナイトハルトの方へ向き直った。しかし何とも言えない苦い表情を浮かべ、ずしりとした感触さえ錯覚しそうな程重々しく口を開いた。
「……どうした?」
「いや……その、金髪で、ゆるい面をしたふざけた男なんだが」
「……うん?」
「もし見かけたら、何でもいい、とりあえず引き留めておいてくれ」

それだけを伝えると、ミュラーはぱたりと部屋の扉を閉めてしまった。一体なんだろう、金髪で、ゆるい面をした、ふざけた男?そもそもそれは軍の関係者なのか?もしそうではない一般人だったとしたらかなり問題なのではないのか?






頭のなかを、同僚の残した大きな謎がぐるぐるとまわっていたが、とにかく今は会議が優先だともう一度手元の資料に目を落とす。内容を把握し適当にまとめると、師団長から受け取っていた書類と共に直ぐに持ち運べるよう机の脇に揃え、一息吐いた後に席を立った。厠へ行っておこうと部屋の扉を開けて、固まる。目の前に人が居た。見れば不自然に手を此方側に伸ばしていて、その位置と高さからどうやらドアノブを掴もうとしていたらしいことがわかる。

明るい金色だった。直ぐにそこから紫暗の瞳が覗く。その瞳はナイトハルトを見上げるとどことなく胡散臭げに細められて、緩やかな笑みの色を浮かべてみせた。軍服は着ていない。……関係者にも、見えない。


「やぁはじめまして」
そして、目の前の自分に怖気づくこともなく軽やかに挨拶をしてきた。
「貴方は……」
「君は、ミュラーの友達かい?」


尋ねようとしたところを先に尋ねられる。尋ねていながら、そうだと疑っていないと感じる程に自然な流れであった。逆に不自然な程表情を固めて全運動を停止したナイトハルトに構わず、目の前の男はするりと扉の内側に入り込み、静かにそれを閉める。そしてくるりと振り返って思い切り頬を緩めてみせた。
「大丈夫、僕は怪しいものではないんだ。君がミュラーの友達なら尚更ね」
「は、はぁ?」
「何故なら僕も、ミュラーの友達だからね!」

なんだかミュラーの友達と言われ続けてそろそろその単語が何を指しているのかも判断がつかなくなってきた。冷静に、冷静になろうと決心して少し息を吐き、改めて目の前の人物に目を向ける。金髪に紫暗の瞳、は、初めにも確認した。上質な白いコートに、胸元には赤いリボン。ブーツも上等品であろうことは一目でわかったが、そのわりに作りがしっかりしていて、険しい道でも足に負担のかからない実用品のようだ。違和はあるが、貴族の青年であることに間違いはなさそうである。ならば無礼のないように心掛けつつ……明らかに軍の関係者ではないことを咎める他ない。ナイトハルトは咳払いをして、ゆっくりと口を開いた。


「失礼、私は確かにミュラーとは既知の間柄ですが、貴殿とは……」
「僕は君に会いに来たんだよ」
「は?」
「いやぁ、ミュラーに訊いても何も教えてくれないからね、ミュラーの友達がどういう人なのか会って確認してみたかったんだ。何せ僕とミュラーは十年来の付き合い、まさに親友にして最愛の人という濃密な間柄だというのに、彼は大層照れ屋さんだから恥ずかしがって他との交友関係を僕に教えたがらないのだよ。まぁ僕の親友にして最愛の人というポジションを他人に奪われたくないという一心ならば勿論致し方ない、そんな心配などせずともそのポジションはもう永久的に彼のものではあるのだけれど、そういうのは言葉を尽くして語るものではないからね」
「え?」
「だから彼には内緒で此処まで来たのさ。頭の固い親友を説得するのはなかなか骨が折れそうだったし、頑固なところも可愛いのだけども、今日くらいしか動ける暇もなさそうだったし。と、いうわけだ」


何が『というわけ』なのか、正直、発言の半分以上が見事に耳から耳へとすり抜けて、ちっとも頭には入ってこなかった。困惑するナイトハルトを他所に、男は胡散臭い笑顔を浮かべて扉の前をキープしたまま、返事を促すように小首を傾げてみせる。


そこで幾分か冷静さが戻ってきた。このまま勢いに呑まれてはいけない。そして改めて、何度も繰り返されたミュラーという単語から、それが示す人物と先刻交わしたやり取りを思い出した。

金髪で。

ゆるい面をした、ふざけた男。

「…………」

彼は何と言っていたのだったか。見つけたら、何でもいいからとりあえず取り押さえておけ、だっただろうか?

「…………」
「……………」
「………………………………」

どうやら無意識に表情が険しいものに変化していたらしい。当然それに気付いた金髪の男は、笑顔を保ったままではあるものの少し困ったように視線を彷徨わせた。後ろ手にドアノブをこっそりと掴み、一気に開けられるようにして構えているのはなかなかの手練れにも見える。ついでに策士のようだ。そうでもなければ軍の建物内部まで入り込めるものでもないか、実際にどうやって此処までやってきたのか推測はできても決定的なものが思いつかない。悪意はなさそうだが、油断はならないだろう。その動向を注意深く確認しつつ、ナイトハルトは沈黙を破らんと口を開いた。

「ところで……」
貴方はいったいどこから。





その次の瞬間、予想通りドアノブが下りて一気に扉が開かれる。倒れ込むように廊下へと出て、恐らくそのまま走り出すつもりだったのだろう、だがその目論見は、扉の向こうにあった気配に阻止された。
「あ」
「ようやく見つけたぞ……」
「あ、あはははははは…………やぁミュラー!」
「何が『やぁ』だ、この阿呆!!」

一応、此処が軍の施設内であるということは多大に考慮されて幾分も押し殺した声ではあったが、確かな重みをもった怒声が廊下に響く。……訓練時に彼の覇気ある声を聞くことは勿論あったが、まさかそれに程近いものを聞く機会がこんなところであろうとは。

金髪の男がちらりと此方へ視線を向けたのを見て、咄嗟にナイトハルトは男の真後ろを塞ぐ。既に男の腕をミュラーが掴んでいるため逃げられる心配はないだろうが、念のためだ。
「全くいつから紛れ込んで………いや、説教は後だ。さっさと戻るぞ」
「えっ、もう戻らなきゃいけないのかい?」
「当たり前だ。そもそもお前、自分が此処に居て良い人間だとでも思っているのか」
「うん」
「…………」
「や、やだなぁそんな怖い顔しないでくれたまえよ親友。ほんのお茶目な冗談に決まっているだろう?」
「だったら、時と場所を考えろ」

目の前で交わされるやり取りは実に軽妙だ。どうやら、ミュラーの友達だという言葉には偽りなかったらしい。妙な侵入者とかではなくて安心はしたが、だとしたら友達に会いに来たというのも事実の可能性があるという事に思い至って、何とも言えない心地を味わった。

「面倒をかけたな」
ミュラーの声で慌てて我に返る。
「……いや、構わんさ。それよりいいのか、軍施設内をうろついていたのなら一応尋問と処分の裁定を……」
「ああ、俺がやっておく。……と言っても、反故になる可能性は高いがな」
その言葉に、ああやはり貴族なのかと納得した。少々独特な人物だと思ったが、貴族にはそういう人間も多い。軍人のそれとまではいかなくともそれとなく油断のない立ち振る舞いも、武を重んじる家柄ならば多少は身に付くだろう。

……そう思って、納得したままでいたかった。

































「あの頃はそれでも半信半疑だった。その後の会議で皇族の出入りがどうのなんて話が出て、まさかとは思っていたがな。自分があの時話をしていた人物がそれだったなんて」
階級だって、今のように少佐位などではなく。クレイグ将軍に目をかけて貰ってはいたものの、まだ一兵卒と言っても過言ではないような時期だ。本来なら、夢にも思わない出来事だった。

金糸に紫暗の瞳、赤の装束を身に纏った青年が、背筋を正し、優雅な振る舞いでありながらも、群がる野次馬の生徒たちに柔らかな笑みを向けている。そのまま会議室へと消えて行く姿を横目に、ナイトハルトの傍らでミュラーは、小さくため息を吐いた。

「だろうな」
「そういえばあの時、殿下は何をしに来ていたんだ?」
「…………」
「まさか本当にお前の友達探しをしていたのではあるまい」
「……そのまさかなんだがな……」
「…………」






士官学院の理事長となり、何食わぬ顔で学院に現れた彼の御仁は、教官室へ入ろうとしていたナイトハルトを見かけるなり、本当に親しい友人と出会ったかのように声を上げた。久しぶりだねえと言われてもナイトハルトに思い当るところはなく、アルセイユでの帰還以来、一躍帝国の有名人となったあのオリヴァルト皇子が一体何を、と、ひたすら疑問符を浮かべ続けていたにも関わらず、そんなことは少しも気にしていないのか、続けて彼の人が口にした言葉で、その記憶は一気に鮮明になった。

「ミュラーの友達だろう?」

其処でようやく、目の前の人物とあの白いコートの青年の姿が重なった。あのときよりも幾分背が伸び、顔つきも大人になっていたが、それでも目を細めて笑うその胡散臭げな表情だけは少しも変わったところがない。ごくごく自然に差し出された右手を見て固まる自分に、彼はそのままの状態で首を僅かに、傾けた。
「そういえば名前を聞いていなかったよ」

友達なのに、おかしいね。

その時にはもう既に、出された右手を軽々しくはとれなくなっていて、実際にはきっと、友達には成り損ねていたのですとは、しかしどうしても告げられなかった。





口先の友人



オリビエとミュラーとナイトハルトでかいてくださいと言われてネタ作ってたら思いのほか長くなりました。でも楽しかった。でも難しかった……これはまたリベンジしたい所存。