鼻歌をうたいながら扉をひらいた。中の明かりは点いていなかった。ひょいと首を伸ばして様子を窺って見るが、一階に人の気配はない。どうやら自分が一番はやかったらしい。悟ったランディはそのままソファーに座り込む。別段体力を使うような支援要請を片付けたわけではなかった、が、街中でこまごまとした仕事をするというのは、時に外で魔物退治をするよりも気疲れが激しいもので。天井を見上げながら細く長く息を吐いた。
するととつぜん背後から小さな腕が伸びてきて、勢いよくランディの首回りに巻き付いた。
「うおっ」
「ランディおかえり!」
続いて聞こえた明るい声に、すこし破顔しながら振り返る。足音を忍ばせてランディに近づき、ソファーの背面に隠れていたのは思った通りキーアだった。
「なんだキー坊、居たんだったら明かりぐらいつけろよな」
「えへへ」
上半身の体重を預けて抱き着いてくる小さな少女の、まだ幼くやわらかい腕を片手で取りながら、もう片方の手で頭を撫でてやる。びっくりした?と小首を傾げて尋ねてくるのでそりゃあもう、と少々大袈裟に返した。それを聞いてすぐ嬉しそうに、やったぁやったぁと跳ねる姿がこの上なく愛おしい。
本当は、ランディがそこまで驚いていなかったことなど、聡い彼女なら気付いているだろうに。
「ロイドは?エリィは?ティオは?」
「まだみたいだな」
「そっかぁ」
ぱたぱたとソファーの正面に回り込んで、そのままランディの隣の空間に座り込む。床につかず浮いてしまう足を軽く前後に動かしながら、キーアは何を見るともなく、少しうつむけた顔を机の上にあるちいさな時計に向けていた。
確か、彼女は朝から図書館に行っていたはずだ。まだ正午を少し過ぎた頃合いで、昼食を取りに戻ったにしては、厨房と食卓を使った形跡はなかった。退屈をしてしまっていたのかもしれない。この幼さにして聡明で、難しい内容の本でも楽しんで読んでしまえる才能もあるが、やはりそればかりでは息も詰まるだろう。今日の支援要請が見たところ煩雑そうではなかったから、人数を分けたところも彼女はしっかり見ていたはずで、もしかしたらそろそろ皆が戻ってくる頃かと思ったのかもしれない。
「キー坊、腹減ってないか?」
「うんー?」
「みんなまだみてえだし、昼飯食いながら待ってもいいんじゃねえ?」
「うーん…だったらキーア、まだおなか減ってないよ」
「そうかー」
そういわれてしまっては、ランディもそれ以上に勧めることはできなかった。彼女が皆で皿を囲みたいというのなら、それを断る理由などどこにもない。
「だったらちょっと遊ぶか、キー坊」
代わりに、それを願い出た。
「何してあそぶの?」
「この中でかくれんぼはどうだ?」
中、というのは勿論、この支援課ビルの中のことだ。
「うん、いいよー!」
「よっしゃ」
元気にソファーから立ち上がったキーアに続いて、ランディも腰を上げる。じゃあ俺がオニな、と宣言し、キーアが頷いたのを確認してから目を閉じた。軽やかな足音が遠ざかっていく。本当は、その足音だけでどのあたりに彼女が居るのかなんて、意識しなくてもわかってしまうが、今はわからないフリをする。できるだけ別のことを考えることにした。今日の昼飯は何が食べたいとか、午後からの時間はどうするかとか。
自分でもわざとらしいと思うほど大きな声で数えていた数も100に到達して、ゆっくりと瞼を上げてみる。さて、どこから探そうか。
「……ようっし」
順当に、隠れるのに適した階段裏の空間、食卓周りを覗き込んでみる。ついでにセルゲイの執務室もこっそり覗く。今日は警察の本部に出向いているから、当然ながら部屋の主はいないのだが、何故かこそこそとしながら机の下を確認した。
「ここには居ねえか」
続いて2階にあがって、物陰を順番に見て回る。流石に部屋の中に入り込んではいないだろう、鍵もかけているし…と思ったら、ランディ自身の部屋のドアノブが軽く回って扉が開いた。しまった、どうやらすっかりかけ忘れていたらしい。まぁ勝手に入り込んで悪戯する奴もここには居ないだろうが、とりあえず中に入ってキーアがいないかだけを確認してみる。大丈夫、どうやらここには隠れていないようだ。ベッドの上に出しっぱなしにしていた雑誌だけこっそり片付けて、とりあえずそのまま3階へ向かった。
3階も2階と同じ要領で探し回る。女性陣の部屋はノブを回してか鍵を確認することすら躊躇われたので、キーアの部屋だけを軽く確認した。ここにもいないようだ。
「うーん……、どこに隠れちまったのかねえキー坊は」
左手で軽く頭を掻きながら、屋上へ続く階段を見遣った。
「……」
足をかけようかかけまいか、段を見つめたまま少し固まっていると、階下から扉を開く音がした。続けて、ただいま、という言葉が耳に届く。
「あれ?」
その不思議そうな声ののちに、1階の明かりが点けられた。そういえば点けるの忘れてたなと思い出しつつ、ランディは階段を下りた。わざとバタバタと大きな音を立てて下りていった。
「よぉロイド、お疲れさん」
階段上から顔を覗かせる。扉を開けて明かりをつけたのは、案の定ロイドだった。
「ランディ、やっぱり戻ってたんじゃないか」
「わりぃわりぃ、今かくれんぼしててな」
「かくれんぼ?……ああ」
疑問符をつけて聞き返したが、すぐに納得したように頬を緩める。さすがにその単語で、キーアが戻っているのだということには合点がいったらしい。
「見つかったのか?」
「いや、まだ」
どこに隠れちまったのか見当もつかねえや、と、困ったように笑うランディに、ロイドは違和感を覚えて小さく首を傾げる。ここは全部探したのかと訊けば、それは間違いないと返された。
「2階は?3階は?」
「さっき探し終えたところだ」
「だったら、屋上だな」
「ええ、隠れる場所とかあったか?」
「いやほら、おとといくらいに荷物の入ってた木箱をまとめておいたはずだから」
階段をのぼりながらロイドがそう言うと、ランディはそういえばとばかりに手を打って、ロイドが上がりきる前に自分も上へ、上へと段をのぼる。勢いよく屋上の扉を開く音が、まだ2階あたりに居るロイドの耳にも届いた。
「お、キー坊みっけ」
「あー、見つかったぁ」
ロイドの言う通り、積まれた木箱とダンボールの合間に、キーアは小さな体をうまく隠していた。ロイドが屋上に辿りついたときには既にランディがキーアを抱え上げてそこから引き出し、床に両足を降ろさせてぽんぽんと頭を撫でていた。
「あ、ロイドおかえりー!」
扉の陰からひょっこりと現れた人物に、キーアは表情を明るくさせて一直線に駆け出していく。いつものように腰あたりに突撃をかける彼女を優しく抱き留めながらロイドは笑った。
「お嬢とティオすけはまだか」
「ああ、途中ですれ違ったけど、あともう少しかかりそうだって」
「だったら飯はまだお預けだなぁ」
「もしかして待っててくれてたのか?」
「うん?いやキー坊はまだいいっていうから」
だから暇つぶしに遊んでたんだと軽い調子で言ってのけるランディに、うんうんと頷いてにこにこするキーアの顔を見比べて、ロイドは少し困ったように眉を顰める。
決して嘘を吐いているのではないのだろうが、見ているこちらが寂しくなってくるほどに無邪気な姿で、ふたりはそこに居た。
「ロイドも遊ぼうよ」
「…ん?ああいいぞ」
「お、よかったなぁキー坊」
「ねえ何して遊ぶ?遊ぶ?」
「そうだなぁ…」
気づかない振りで明るい真似で、子供のように跳ねて、大人の顔をしてみせる。それを、いけないからやめるんだと言うのは酷だろう、言うつもりもない、そんなキーアだから、ランディだから、キーアで、ランディなのだとロイドは思っている。
「じゃあ今度は俺も入れてかくれんぼしないか?」
「もういっかい?」
「ああ」
「俺も入れて…って、それ俺ももういっかいってか?」
「当たり前だろ」
お前もここに居るんだから。
ランディが渋々了解するのを満足げに確かめて、じゃあ俺がオニになるからと、100数えるからしっかり隠れるんだぞと、さっさと宣言してしまってから、
「どこに隠れたって、俺が絶対に見つけてみせるからな」
目を閉じてはじめる場所はこの屋上にしようと決めて、瞼を降ろした。
家族になりたいふたり
零碧やってて、このふたりが懸命に普通であろうとしているのが凄く愛おしくて思わずかいたもの。
支援課だいすきです。