ひっきりなしに金属音がその広大な空間の中に響き渡る。巨大な工房、無数の人々と共に数々の導力機械が動き回り、とても全工程を目で追うなんて不可能だ。大陸広しといえど、これだけの規模の軍需工場を持っているのはここ、エレボニアしかあるまい。そして剛腕な≪鉄血宰相≫のもとで、それは日々飛躍的な進化を遂げている。

「軍事兵器はお嫌いですか、皇子殿下」
作業が滞りなく行われているその光景を視野に収めたまま、剛腕その人たるギリアス・オズボーンが口を開く。少し離れて彼の隣には、ここエレボニア帝国の一皇族たるオリヴァルト・ライゼ・アルノールが、同じようにそのめまぐるしい様を眺めていた。
「そうだな、もともと争いごとはあまり好かないのでね」
 彼の目はその全てを流れとして捉えず、工程のひとつひとつを的射るように観察している。それは立派な彼の特技で、特徴であるとレクターは考えた。オズボーン宰相の後方、扉の隣で気のない風を装う自分の、離れて隣にはオリヴァルト皇子に付き添うミュラー・ヴァンダールが同じように待機している。よくもまぁこんなむちゃくちゃな視察を思いついたものだ。提案したのは目の前の悪趣味親父で、快く同意したのはそこのスチャラカ皇子で、それを聞いて眉間の皺を濃くしたのは隣の堅物軍人で、手回ししたのはこの自分。



 ここに来てからさほどの問題は起こっていない。ここはオズボーンの息のかかった施設であるが、今のところあの悪趣味親父もオリヴァルト皇子相手に何かしでかすつもりはないとレクターは踏んでいる。それでも警戒が緩まないのはひとつ、宰相の手足となって動く自分としては外部の手が入らないようにすること、ふたつ、皇子側についてはこちらの意図が読めない以上、隙を作るわけにはいかないといったところだろうか。どちらにせよ腹の探り合いの絶えない視察だ。欠伸が出る。

 しかしこの圧倒的な空間にも気圧されず、護衛はただひとりだけを連れてやってきたオリヴァルトの度胸も大したもので、今もあの宰相殿を相手に穏やかな口振りを崩さないでいる。

「浮遊都市から奇跡の生還を果たせば、あれだけの度胸もつくってとこかねぇ」
 けらけら笑って、隣に聞こえるように言ってみれば、案の定刺すような冷たい視線が飛んできた。おお、こわいこわい。質実剛健なエレボニア人を絵に描いたようなヒトだから、からかって遊ぶには確かにもってこいかもしれないけれども、それだけに敵に回すととても厄介だ。

「そうカリカリしないでくださいよ、ミュラー少佐。しがない二等書記官のつまらない独り言じゃあないですか」
「でかい独り言だな」
「昔よく、隣に住んでた偏屈爺さんに『おめえはもちっとココロの声しまってビブラートに包めや!』って言われてました」

 だから私歌は得意なんですと笑ったところで、冷たい視線が少なからず殺気を帯びたものに変わったことを察した。おそらく、今一番警戒されている対象は自分だろう。推測も確信を持ってそう言える。
(あのへんてこ皇子サマも同じかどうかは謎だがねえ)

 言動に予測がつけられないわけではないのだが。ご立派にふざけた形を潜めて堂々としている姿を見ていると笑いすらこみあげてくる。わぁ、キャラじゃなぁい、でも演技派なところはらしいのかも。でもあんまり猫被ってるところばかりみてるとちょっと面白くないというのが自分の本音のところだ。誰かに向かっていってやりたい、こいつ本当はアホ皇子ですよ、このエレボニアという歴史ある国土に生まれた奇跡のバカですよって。



 工房の中は鉄のにおいが立ち込めているというのに、時折レクターの横をすり抜けるこのアホ皇子からはいつもと同じように薔薇のにおいがした。そういえば以前、下町の売れない花屋でありえないほど花を買い占めて、両手をいっぱいにしながら帰路についていたのを目にしたことがある。戻ったところで護衛にこっぴどく叱られていたことも知っている。こんなにこの空間に居るのが似合わない人間も珍しい。

「あっちは何かな」
 唐突に、よく通る声が耳元を掠めた。驚いたことは面に出さず顔をあげる。どうやら皇子はそのまま自分の横を通り過ぎずに立ち止まったらしい。剥き出しの指が軽く彼の左側の大きな扉を示す。ああ、と返事をした。この感じだと、尋ねた先は自分らしい。

「造船所ですよ」
「飛行船かい?」
「それもありますけど、水の上を走る方も」

 ここに来てからずっと、読めない曖昧な笑みを浮かべ続けていたオリヴァルトの表情が、少しだけ明るくなったことをレクターは見逃さなかった。あれは好奇心にあふれた子供の目だ。興味の矛先がそこにあることを語っている。
「殿下はこちらの方がお好みで?」
 小首を傾げて屈託なく笑顔を使うと、ふいとこちらを向いたそれも笑顔を見せた。
「ああ。船は元来、人々を乗せて運ぶものだからね」
「なんなら、私が案内しますよ」

 口にしてから、少し離れたところに居るオズボーンに目をやった。こちらを見てはいるが、特に関与する気はないらしい。可愛げの欠片もないおっさんだと心の中だけで悪態ついてみる。まぁおっさんに可愛げを求めるほど、レクターも枯れてるつもりはないのでそれは冗談として。
「皇子、あまり予定外の場所をうろうろするのは…」
「まぁまぁミュラー少佐、ちょっと見学するくらいなら構いませんってきっと。手間を考えておられるなら、少佐殿にはここで待っていただいても構いませんし?」
「……」
 先に、敵に回すと厄介だなんて思っていたくせによく回る舌が止まらない。案の定機嫌を悪くしたそれに、皇子がわざとらしく苦笑しながら声をかけた。
「心配しないでくれ、ミュラー。少し見てくるだけさ。本当に彼の言う通り、ここで待っていてくれてもいいんだよ」
「……いえ」
 アホ皇子のくせに、気の回し方は一人前だ。ではこちらです、と営業ぶって大きな扉を開いた。僅かに耳を打ったのは、水の揺れる音だった。




 先の空間よりもわずかに開けた感覚がするのは、ここが水場に近いからだろう。

「おおっ」
 オリヴァルトは傍から見てよくわかるくらいに目を輝かせて、少し浮き足だったまま柵の前まで躍り出た。先のように、ポイントを押さえたものの見方はしていない。本当に好奇心旺盛な子供に戻ったみたいにあっちにもこっちにもと目移りしている。レクターは大袈裟に肩を竦めてみせた。
「側面が開くんですよ、殿下。見てみます?」

 わざと言葉少なに説明すれば、予想どおり目を丸くさせてオリヴァルトはレクターを見る。悪戯っぽく笑ってから右腕を振り上げて合図すると、大きな空間を仕切る金属の壁が轟音を鳴り響かせて動き始めた。これには後ろで控えていたミュラーも驚いたように顔をあげて様子を見守っており、してやったり、とレクターは心中でほくそ笑む。


 開いた側面から太陽光が漏れる。そしてより一層耳を打つ水の音が心地良い。風が吹き付けているため水面は大きく揺らぎながら、それに合わせて船をも揺らす。

「これはこれは、粋な演出をしてくれたものだ」
 楽しまないわけにはいかないじゃないか、と嬉しそうにオリヴァルトが笑って、なんとも自然にするりと、脇にあった作業用の階段を下りていく。それにぎょっとしたのは、目の前で見ていたレクターではなく、背後に控えていたミュラーの方だった。
「お……っ、…皇子、あまり近づかぬようにと、」
「見てごらんミュラー、これにはまだ武器も搭載されていない。まっさらな赤子のような船だ」
 嬉しそうに船に近づいて声をあげている。ミュラーは大きくため息を吐いて、柵越しにそれをぼんやり見ていたレクターに視線を投げた。気付いて、顎に手をやりながら考えるそぶりをする。まぁ、いいんじゃないかねぇあんなに喜んでるんだし。要らないこともよくするひとだが、こんなときの節度が守れない人間ではないはずだ。
(でなきゃ、いま市井で寵児だのなんだの騒がれてるわけないんだから)
 心配なら一緒に下りていっても構いませんよ、とだけ笑顔を貼りつけたまま答えた。苦い顔をしているミュラーは平時よりも低い声でたった一言、申し訳ないと口にしてから、大きな音を立てて階段を下りていった。



「派手に開いたな」
 階段下の方で皇子としての振る舞いは保ちながらも、楽しそうに未完成の船を見まわるオリヴァルトを眺めていたレクターに、オズボーンの声がかかる。同じように柵から、まるで獲物が品定めするような眼で様子を窺っていた。別にこんなところに軍事機密になるようなものは置いていないのだから構わないじゃないかとけらけら笑うが、当たり前のように反応は薄い。まったく面白くない親父である。
「でもあんたも好きだろ?こういうの」
 無駄に手の込んだ仕掛けってやつ?
 ちら、と僅かに、オズボーンの視線がレクターを捉えた。あり、落第点だったかな、とふざけた頭で疑問符を浮かべたが、それはすぐに外されて再び眼は下へ注がれる。

「お前がどう思っていようと構わんが、あまり入れ込みすぎぬようにだけは、気を付けておけ」
「はぁ?」
「些か遊びが過ぎると、怪我をするぞ」

 あんたに言われたくねえなぁ、それ。返事をしようと開いた口よりも、早く、下からやはりよく通る声が遮った。
「レクター!船の中が見たいのだが」
 殆ど反射で振り向いて、殆ど反射でああ構いませんよ私が案内しましょう殿下、と述べ上げた口の利口さに辟易してみる。柵を乗り越えて下に着地する、なんてパフォーマンスも考えたが、足が痛くなるだからやめてしまった。律儀に階段を下りてそこに居た技師を退ける。


 その間にちらりと盗み見た大きな子供の様子は、にこにことこの上ない笑みを浮かべたまま自分の案内を待ち望むもので、むしろ大きく力が抜けた。ここにあるのは軍用艦で、いくら人を乗せて走る偉大な器だと言っても、結局は戦争の道具、頑丈な装甲に武装を取りつけるための余剰、そして無駄をそぎ落とした厳めしいフォルムと優雅さの欠片もみえないものなのに、何故かこの皇子と同じ視界に入ると、一気に玩具の箱舟にしか見えなくなってくる。それも特技で、特徴というやつなのか。



 甲板に掛けた作業用の足場を先に駆け上がり、振り返って手を差し出した。実に一方的な意趣返しのつもりだった。しかしものともせずにそれを躊躇いなくとって、甲板へ足を着けた男はそのままやはりレクターの隣を抜けて、くるりと一回り、物珍しそうに周囲を眺める。その瞬間、やはり薔薇のにおいが鼻を抜けた。このアホはそのままここで踊りだすんじゃないだろうか。自分でも頭がおかしいとわかるような杞憂が頭に浮かんだ。

 けれども現実味のない、このふわふわしたかたちこそが自分の好きな姿だと、そのとき改めて気もなく思ったことはきっと本当の事だった。








アルセナール



実は、こういう夢を見たとかいうそういう話。
レクオリは無自覚なくらいがちょうどいいです。いや惹かれてることはわかってるけど、確信に至らない感じが。
エレボニア4人出せて満足した。