もともとまめまめしいことは苦手だ。毎日朝に水をやって、夕方にもう一度水をやって、雑草があれば抜き取って、虫がつけば取りのぞく。でもそうやって手間をかけて咲く花が見てみたいという気持ち自体は嘘じゃなかったから、めんどくさいけど、がんばろう。口にしたわけじゃないけどそう思ってちまちまと雑草を引き抜いていたら、部長が頭を撫でてくれた。悪い気はしなかった。
あるときマキアスが中庭のあたりを通りがかった。顔をあげて、ちょっとずれた眼鏡を押し上げて、水まきをしているこっちをぼんやり見ていた。私がそれに気付いて、あ、マキアスだって言うと、わざとらしく咳払いをしてこっちまで歩いてきた。
「そういえば園芸部に入ったとリィンのやつがいっていたな」
「ん。きいてたんだ」
「訊かなくてもぺらぺら喋るぞ、彼は」
「そういうとこ、へんにデリカシーないもんね」
私にとってそれは事実認識でしかなかったのだけど、そんなふうに言うんじゃないとマキアスに苦い顔して注意された。でもそういうマキアスはユーシスのことを散々に言ってたりするから、おあいこだ。
「花は咲きそうか?」
「まだ」
芽すら出ていないものだってある。もどかしい。水をやって環境を整えてやるくらいしかできることがないのがもどかしい。やっぱりめんどくさい。
「マキアスが代わりに育てていいよ」
「何で僕が…じゃなくて、君が育てると決めた種だろう。君が最後まで責任を持たないでどうするんだ」
そう言うだろうなと思っていた。私と違って、マキアスは毎日ちゃんと水をやって、虫をとって、土を整えて…あ、肥料も計算して使うかもしれない。水は分量まで測りだすかもしれない…その言葉通り、途中で投げたりしないのだろう。めんどくさいって言わないのだろう。
なんだかくやしい気分になったから、マキアスにちょっとだけ水をかけた。
帝都夏至祭のあと、ほんのちょっと本気を出してみた。本屋で本を見た。花屋で話をきいた。部長にもやっぱり相談した。花は、自分で咲かせてみたかった。見たいだけならきっと部長に頼めば、もっと簡単に見られるだろうなと思ったけど、私はただ花が見たいのではないのだとようやく気付いてきた。
しゃがみこんで雑草を取り除いていると、少しだけ雨が降ってきた。でも地面は明るく太陽に照らされたままだ。あ、天気雨かと納得して、まぁすぐに止むだろうからと気にせずそのまま作業をした。でも雨足はちょっと強かった。
そしたら視界がすっと薄暗くなって、私のまわりだけ雨がかからなくなった。ちょっと振り返ってみると、深緑の傘を差したユーシスがそこに立っていた。こっちに少し傘を傾けてるから微妙に背中と肩が濡れている。
「サンクス。でもたぶんすぐ止むから、いいよ」
「なら止むまで屋根の下にでも入っておけ」
ユーシスには悪いけど、その言葉は無視させてもらった。やり始めた作業を中断するのはもっとめんどくさかったからだ。もう一度彼に背を向けてもくもくと続ける。その間も、私に雨が降りかかることはなかった。
ユーシスはときどきめんどくさい。マキアスみたいに常にあれもこれもと口を出してはこないけど、じっと様子を見て考えて、結論が出てからとてもわかりにくい気の回し方をする。それを見るたんびに私はかわいそうだなぁと思ってしまうのだけど、自分がその対象になったときに感じることはひとつ、このひとは物凄く器用に不器用で、物凄く臆病で傲慢だ。
マキアスはそれを散々自分勝手で自分本位だと喚いているけど、それはしょうがないとして、私は特に困らないから指摘もしない。
作業が終わるころには雨もあがった。ユーシスがぱさりと傘を畳んで、私が整えた花壇をじっと見つめている。
「ユーシスもやってみる?」
気まぐれでそう訊いたら、遠慮する、と即答された。わりとうまくやりそうなのに、残念だ。でも知ってる、めんどくさいんだよねって、口にはしないけど私は知ってる。
グラウンドの方から誰かの声がした。虹が出てる!という明るい声だった。
「フィーちゃん、お花の様子はどうですか?」
あんなになんてことない種だったのが信じられないくらい成長したそれを眺めていたら、エマが声をかけてきた。
「ん、わるくないとおもう」
「ふふっ、随分大きくなりましたね」
そういえば、団に居た頃に貰ったこの種をはじめて見せたの相手はエマだった。育ててみたらどうですかと微笑まれて、ちょっとその気になったのも覚えてる。
たまに、エマは魔法使いなんだと思うときがある。特に言葉巧みでもないし割と騙されやすいし、リィンやアリサといい勝負なとこもあるけど、それでもエマは相手を流れに乗せるのがとてもうまい。おかげさまなのか何なのか、マキアスはずっと勉強ではエマに対抗し続けているし、いろいろ苦労はしてるみたいだけど文芸部の部長ともうまくやってるみたいだ。
「エマも育ててたんだっけ」
「ええ、実家では。よくお祖母ちゃんのお手伝いしてたんです」
「なつかしい?」
「少しだけ。…育てるのは好きでしたけど、やっぱりずっと付き合ってると嫌な面もいろいろ見えてきたりしますよね」
「エマでもめんどくさいって思ったりすること、あるの?」
「ありますよ、何度もありました。だからフィーちゃん、胸を張っていいんです」
花が咲いたら教えてくださいね、と綺麗に笑ったエマは、やっぱりなんだか魔法使いみたいだった。何の根拠もない直感だけど、たぶん嘘はない、でもちょっと眩しくて仕方ないみたいな目をしていた。去り際に私の制服の裾についた土とか埃を払って胸のリボンタイを整えて、これでよしって満足そうにしてるときには、もうそんな目はしていなかった。
おっきくて白いカンバスを片腕に、ガイウスが花壇をまじまじと見ていたからどうしたのって言ってみた。実は入り口に立ってたからちょっと邪魔だったとは言わない。でもガイウスは察しがいいから、私が手に園芸用具を持っているってだけで、ああすまないって道をあけてくる。
「いや、街の公園で見ていても思ったが、なかなか面白い趣向だと思ってな」
彼の故郷では、当たり前だけどこんなふうに囲って手をかけて花を育てたりはしないらしい。植物はあの環境のなかで自然に生え、自然に生き、そして自然に枯れてゆくのが常。あれは生き物だと。そして狩りをするのと同じく、彼らともそれぞれの縄張りや利益を尊重しながら付き合っていくべきなのだと。
難しいことはよくわからないし、ノルドはちゃんと見たことがないからなんとも言えない。でもそれが常だと言われて育った彼が、こんな風に囲った花たちを興味深そうに見ているというその光景はちょっと不思議だった。ガイウスはこういうところがある。私よりもずっと背が高くておっきくって大人っぽいのに、こういうときはとても親近感がわく。
「それに花の色が豊富で、華やかだな」
「ん。いろんな花があるから」
その代わり、そんないろんな花をこんな庭で育てるには、とても根気がいる。放っておいても逞しく成長していくものとは違う。あ、でもこの場合違うのはたぶん花じゃない。環境だ。
「ノルド、いいとこなんだろうね」
「ああ、いつかフィーにも来てもらいたい」
「機会があったら。馬にも乗ってみたいし」
例えば街の真ん中で、帝都の中心で、或いはあのバリアハートとかいう街でもいい。種をまいて花がそれだけで咲くようなら。
やっぱり、考えるのはやめた。難しいことは苦手だし、考えたってきっといい結論はでない。
「フィーが育てている花は、どれなんだ?」
「ん、そこのそれ。まだ咲いてないけど」
「これか。…うん、でももうすぐ咲きそうだな。楽しみだ」
その時は絵に描いてもいいなと、言葉どおりガイウスは楽しそうだった。
動かないものを中心に、いろんなものが集まってくるんだなって、抜かれた雑草を見て取り除かれた虫を見て加えられた肥料を見て他のたくさんの花々を見て、さいごに水をまく自分を思って、首を傾げた。寄る辺が欲しいなんて、いいたくなかったけど。違う、ほしいと思っていたなんて思ってもみなかったけど。たったひとつおいて行ったまんま、私はぐるぐる回っていって、たくさん塗り替えられてもまた戻ってきたときには、やっぱり私なのかもしれないし、私じゃないのかもしれないし。
こういうの、何て言えばいいのかわからない。リィンだったらちょっとクサく言い表してみせるのかなとか、考えてやっぱりいいやと投げた。
スコップと如雨露を構えていつもの花壇のところまで足を運んで。自分の花壇に目を向けて一瞬全身が固まる。ずっと見たかったものがそこにはあった。
他に誰もいない花壇の近くで、誰かの姿を探した。ちょっとだらしなく開いた唇が告げたいのは、たった一言だけだったけど、誰かに言いたくて仕方なかったのだ。
少ししてから庭にやってきた部長に、挨拶代りに真っ先に告げた。そしたら部長は、何も言わずににっこり笑って、私を抱き締めた。
愛を育てる手
フィマキだったのにいろいろ付け加えられてなんか全然違う話になってました。行間は脳内補填しながら読んでいただけると幸いです。