自分は昔から夢見が悪い。夢も見ないほどの深い眠りならいいが、少しでも寝方がおかしかったりすると直ぐに反映されてしまう。幸い酷くうなされるようなことはない上に、元来表情筋が固いのもあって表面化はしていないらしく、今まで何人かと行動を共にしてきたが、そのことを知られたのは目敏いトロワにだけだった。






自分は疲れると電源の落ちた機械のように眠る。睡眠が取れるときにしっかり取ろうという工作員としての習慣でもあるが、自分の夢見の悪さに対する防衛の意図も、無意識ながら少なからずあったに違いない。夢を恐れるななど馬鹿馬鹿しいにも程があるが、反論できないから何とも致しがたい。



そんな風に思考が回復してきて意識は戻った。ここはどこだ、と未だ少し寝惚けたような頭で自問して、ああ部屋のソファーの上だ、とすぐに自答する。今朝方までプリベンターの本部へ赴いていたのを思い出した。ここ一週間のあいだ引き受けていた任務の最終報告だった。勿論その間も学業を疎かにはしていないので、事実ほとんど睡眠を取っていない。だから部屋に帰り着くなり目の前にあったソファーに転がった。そういえば、デュオがしょっちゅう同じようにして此処に転がっているのを見るが、ヒイロにはどうにも寝心地がいいようには思えなかった。何せ安物だから少し固めで大きさもそれほどない。頭を片端に合わせれば、もう片端から足がはみ出してしまう。…疲れが取れるどころか堆泥してしまったのではなかろうか、いつも気持ち良さそうに眠っているものだからてっきり…と、そこまで思考が走り抜けたところで冷静になった。まだ頭が寝惚けているような気がする。

そんな状態だったから、やはりというかもう言うまでもなく、鬱陶しい夢を見た。泥を纏ったような重さの体のせいなのかどうかは知らないが、泥のような夢だった。踏み締めたと思った地面が沈み、どこかを掴もう広げた手はぬめりとした感触だけを拾い上げる。焦りよりも昏い気持ちが沸き上がった。だから夢は嫌いなのだ、何もかも虚空なようで手応えがない。

やはりこんなところで寝転がるべきではなかった。少し面倒でも自分の部屋の寝台まで戻るべきだった。反省まで並べて意識ははっきりしてきたが、驚くことにヒイロはソファーに俯せた状態から指先ひとつ動かせなくなっていた。おかしい、まだ夢の続きなのかこれはと訝しんで、すぐに金縛りだということに気付いた。あれは体が疲れているときに下手な体勢を打って意識を手放すと起こりやすい。まったく我ながら呆れる失態、判断ミスである。こんなことで底辺まで機嫌を落とせるのも、疲れている証拠にしかならなくてますます呆れた。



外の様子は窺えないが、此処に転がってからは随分と時間もたっただろう。嫌なこととは一斉にやってくるものだというジンクスを思い浮かべる。案の定、玄関口からがちゃがちゃと鍵を弄くる音が届いて、ただいまぁ、という陽気な声が後に続いた。デュオが戻ってきてしまった。

「あれ、」

ばたばたと忙しない足音を響かせたかと思うと、限りなくヒイロに近付いて不思議そうな声をあげる。珍しいなと言いたそうな惚けた顔をしているに違いなかった。俯せのまま動けないので勿論確認はできないが、デュオの思考回路とその結果として表面化する態度や行動は、自ら他人の感情の機敏には疎い方だと思うヒイロですらわかりやすいと言わしめるほどに単純だった。

「なんだ、寝てるなら寝てるっていってくれよ」
デュオの大きな独り言に、心の中だけで無理だと返事をしてやった。
「つまんねぇなぁ」

起こしてしまうかもしれないという配慮はないらしい、耳元近くでも気にせずいつもの調子で喋るものだから、煩くてかなわない。飯でもつくるかと台所へと向かい、冷蔵庫を開け閉めしながらどうやら機嫌がいいらしいデュオは、鼻歌まで歌い出した。反面、ヒイロの機嫌は底まで落ちている。



体は疲れて起こせないままだし文句のひとつも呟けないし、踏んだり蹴ったりだ。諦めて視界を閉ざした。もう一度、あともう少しでも眠れば金縛りも解けるだろう。また夢を見るに違いないのはかなり癪だが。



少し離れた場所から、まるで空耳のように聞こえる調子の良い鼻歌が、瞼の裏まで入り込んでくるらしい。常々デュオの声は頭に響くと思っていたが、まさか本当に夢の中まで届くとは。何と迷惑な話だろうか。けれどもあの無駄に翳ったところのない声がずっと耳底に残るなら、きっと体は沈まない、今までもずっとこのソファーの上にしかなかったことを思い出させてくれるだろう。

やさしい歌に聴こえた。




011 歌