「おいサリィ」
パソコンと向き合って手早く作業をしていたサリィに、不躾に声をかけたのはヒイロだった。あまりの珍しさに一瞬声が出なかったくらいだ。
「どうしたの?ヒイロ」
彼はこれから臨時の任務だったはずで、出動の時刻まであと30分を切っていた。任務と言われれば他には全く興味を示さなくなる任務第一主義なヒイロのことだ、とっくに作戦室で内容の確認と訂正に入っていると思っていたのだが。
ヒイロは、なんだか少し複雑そうに眉をひそめてサリィの傍に立っている。少し前に突き出した腕には、服が引っ掛かっていた。それは彼がこれから着るはずの制服である。
「丈が…」
「ああ、」
たった三文字の言葉で、察しのいいサリィはすぐに理解した。すぐにヒイロの腕に引っ掛かっていたそれを受け取って、襟元のサイズのラベルを覗く。
「そういえば最近身長が伸びたみたいだしね。すぐに大きいのを出すわ、ちょっと待ってて」
そう言ってデスクチェアから立ち上がると、少し離れた場所で、ええっ!、と不満そうな色を隠す気もない声があがった。大きなパソコンの後ろからひょっこりと顔を出したのは、デュオだった。行儀も悪くチェアの上に両膝を立てて、ヒイロとサリィの方を向いている。
「なんだよ、ヒイロ俺よりでっかくなっちまったのか?!」
そのまま器用にチェアを蹴って床に降り、素早くヒイロの隣までやってきた。ずい、と顔を(正確には頭を)近づけて、右手で自らの頭の先とヒイロのそれとを比べはじめる。
「まじかよ!」
反応は些か大袈裟だが、確かに今はヒイロの方が少し目線が上にあるようだ。デュオはそれを確認すると明らさまに驚嘆し、不満げに頬をふくらませた。
「食ってるものも俺と大して変わんねーはずなのになんでお前だけそんなでかくなってんだ!」
「俺が知るか」
「あら、最近はちゃんとご飯一緒に食べてるの?」
「時間が合うときはな〜ってか一緒に暮らしてんのに別々に食ってたときのがおかしいんだぜそれは」
一緒に暮らしているのに身長差が開いたことに気付かなかったというのはどうなのだろう。取り替えてきた制服をヒイロに手渡しながらサリィが笑った。それに少しむっとした表情を見せながら、デュオはまだ何度も、できてしまったヒイロとの目線の違いを恨めしげに確認している。サリィはそれを可愛らしく思った。
ヒイロはガンダムのパイロットとして訓練していた頃、適正身長を越えないように成長抑制剤を投与していたらしい。ガンダムに乗る必要が無くなってそれはとっくにやめたのだが、それでも副作用なのかヒイロの身長は今でも伸び悩んでいる。だから制服の大きさを訴えてきたことは、サリィにとって実に喜ばしいことであった。
「じゃあ何が違うのかしらね?デュオ、貴方好き嫌いはしていない?」
「そんな勿体無いこと、してるわけないだろ!」
「牛乳だ」
「は?」
「牛乳だろう」
デュオに言いがかりをつけられて憮然としていたヒイロが、唐突に口を開いた。
「お前は牛乳を飲まない」
咎める口調ではないが、言外に先程理不尽なことで喚かれたことに対する仕返しの意が含まれていることは間違いない。思惑通り、デュオは、う、と言葉を詰まらせた。
「そ、…そんな牛乳飲まないぐらい、」
「あらいけないわデュオ、牛乳は貴重なカルシウム源なのよ。きちんと飲まなくちゃ」
「で、でもなぁ」
デュオが牛乳嫌いであることはサリィも知っている。まだ子供のくせにコーヒーもブラックで飲むほどに牛乳が嫌いなのだ。そのくせシチューは旨そうに啜るので、恐らくあの独特の味とにおいがアウトなのだろうと思う。牛乳が飲めないのはそう珍しいことでもないから良いが、他にカルシウム源がないと問題だ。
「ヒイロ、一緒に暮らしてるんだからデュオがちゃんと牛乳飲むように催促してあげて」
まぁそれとは全く関係なく、これは完全にデュオをからかう言い口だが。
「おおお、おい変なこと言うなよ」
「わかった」
「お前も了承してんじゃねーよ!」
そうして大声をあげるデュオに、相変わらずうるさいと言いたげにヒイロがため息を吐く。受け取った一回り大きい制服を肩にかけてさっさと更衣室の方へ戻ってしまった。残されたデュオは、また一本とられたとばかりにふてくされている。
「身長差ができたことがそんなに悔しいかしら」
「当たり前だろ、ちっさいかもしれねぇけど、俺にもプライドってもんがあるんだよ!」
きっと性質的には彼の方がヒイロよりも大きくなれる可能性があるのだろうが、育った環境の悪さもあって、デュオは発育不良だ。少なくともヒイロより自分の体や環境に頓着はあるようなので、いちいち気にかけて口煩く言わない方が良さそうだと判断しあまり話題にしたことはないのだが、伸び悩んでいるのは彼も同じである。
「だったら頑張って牛乳を飲むことね」
「おいおい勘弁してくれよ、今までだって一応試みたことはあるんだぜ?それでもダメだったんだ絶対無理だって」
「彼、きっとまだ身長伸びるわよ」
「うっ…」
ずっと対等にきたのだ、身体の不可抗力とはいえ、差ができるのを嫌がる気持ちは理解できなくもない。しかし随分と可愛らしいプライドだ。達観した考えや見方をするくせに、身近なところで子供らしい。
デュオがデスクに戻ったのを見計らい、こちらも臨時で入ってもらっているトロワが書類をサリィに手渡しに来た。まだ釈然としないのか、指に力が入りすぎてタイピングに大きな音を立てているデュオの背中を見ながら彼が、まるでどんぐりの背比べだなと呟いた所為で、流石のサリィも思わず吹き出してしまった。
55 プリベンターの制服