4−3







西の空が赤く染まり始めた時分、ようやく政宗達は帰路についた。
また来いよと言ってくれた元親に佐助が酷く喜んで、今週末の休みは必ず連れてくると宣言する。その傍らで、元就にしごかれた幸村がぶつぶつと公式を呟いていた。

元親の工房(と、呼ぶことになったらしい)がある通りから出て、大通りを横切ろうとする。先を歩く幸村と佐助を見失わないようにしながら自分のペースで歩いていた政宗の目に、大きな人だかりが映された。スーパーのタイムセール、または有名人が出現のような熱はなく、どうにも不穏な騒がしさだ。
「…何だ、アレ」
「ちょ、旦那熱あるよ?」
「…?何を言っている佐助、俺は何処も悪くしていないぞ」
「ビルの前?もう陽落ちるってのに、何かあんのか?」
「それもしかして知恵熱?初めて見たほんとに出る人!」
「俺の体温は平熱で37はある。お前の体温が低いから熱く感じるだけだろう」
「そりゃ俺は平熱で35くらいだけど」
「てめぇら聞いてんのか」
妙に屈辱的な無視のされ方に思わず声が不機嫌なものになる。ようやく振り返った2人にわかるように指を差した。佐助が少し背伸びで眺めて、あー、と納得する。
「あれ、徳川さんとこのビルだよ」
その一言で政宗も合点がいった。
「例の“会議”とやらか?」
何故か楽しそうにそう言ってその人だかりを観察し始める。
「まぁ何日かに分けて会議するって話だったから、あれは今日の分が終わりましたってとこかな?」
「それでもあの騒ぎか」

国の政治機関が動かなくなってもう随分経つらしい。小十郎がよく話す。政宗が生まれたときには既に今の形が出来上がっていたが、その当時は国中が未曽有の大混乱を起こしたとか。やがてそれを鎮めて、地方団体と結び付いていく者が現れた。それが現在の取締企業である。

「そりゃあ、自分の住む街が変わっちゃうかも知れないんだから、俺も興味がないなんて言ったら嘘になるね」
やがて、何やら叫んで騒ぎ立てていた人達は、ひとり、またひとりとその場を離れていった。中心となって騒いでいた人達も段々疲れたように静かになり、それを合図に一気に人だかりは崩壊する。

その後が大変だった。崩壊した人だかりに流されて大通りは混雑し、進もうにもなかなか進めない。政宗は、流れの違いで先を行っている2人を見失わないように視界の範囲内で捉えながら、多少強引に人の波を掻き分けた。
政治が気になるのはある程度年齢が上の大人だ。この場に小さな子供なんかがいなくてよかった。間違いなく蹴り飛ばしてしまっていただろう。こういうときに、もう少し身長が欲しかったと、どうしようもないことを思う。せめて佐助程度あれば随分と楽だろうに。



その時だった。









「にいさま、にいさ、っ」



か細く消え入りそうな女の声が政宗の耳に届いた。違和感を感じて政宗は少し歩を緩めて辺りをできる範囲で見渡そうとする。この騒ぎの中、聞き分けれただけでも奇跡に近い。何と発音していたかまでは聞き取れなかったが、この場には相応しくない悲壮感を持った声だったことだけは確実だった。
政宗が歩を緩めて直ぐ、背中に何かが思い切りぶつかった。思わぬ方向からの衝撃に政宗は一瞬かなり驚いたが、それほど強い衝撃ではなく、どうやらぶつかったのは自分よりも一回りくらい小さな人間のようだった。
「おい」
振り返りながら声をかける。其処に居たのは、正に真黒の髪を腰まで長く伸ばした、政宗と大体同い年ぐらいの少女だった。彼女は、振り返った政宗の顔を見たまま固まって動かない。
















容姿は非常に端麗だった。病気かと思うほどに白い肌、長い睫毛の下から覗く瞳は、深い闇の色をしている。だが、無意識に背筋にはすぅっ、と冷たいものが走っていた。一瞬ではあったが、理解できるほどに確かなものだ。
(これは魔女だ、そう呼ぶに相応しい容姿をしている)




第四幕 降りつ緋の華

















「…Ahー…sorry、大丈夫か?」
反応がないため、若干不安になってもう一度声をかける。少女は漸く我に帰り、慌てて政宗に頭を下げた。
「ご、ごめんなさい…市、前が、わからなくなって…にいさまが見つからなくて…
置いて行かれるの、にいさまが要らないって言ってしまうの…帰れないから、だから早く見つけようと思ってて、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「わかったから落ち着け」
頭を下げた、と云うより顔が下を向いた、という方が正しい。しかも言ってることが酷く支離滅裂で何の話か全く掴めない。政宗は困って前方を行く佐助と幸村を探した。

二人は案外直ぐに見つけられた。政宗の姿が見当たらなかった為、丁度引き返してきていたのだ。そろそろ人の波も消えつつあり、不本意であるが幸村の、人の目を全く気にしない呼び声のおかげもあって、彼らは大通りの片隅で合流した。
その時もまだ少女は混乱しており、やはり繋がらない言葉の羅列を口にした。政宗が、どうすればいいかわからない、と訴えているのを直ぐに理解した佐助は、少女の両肩を押さえて深呼吸を促す。おとなしく佐助の言うとおりに深呼吸をした少女が、少しずつ落ち着いてきたのを見計らって佐助は政宗に耳打ちした。
「名前と、どうしたのか聞いてあげて」
それに対して、政宗は怪訝そうに聞き返す。
「アンタが聞けばいいじゃねーか」
「一番はじめに見つけたのは伊達ちゃんだろ?その人が聞いた方が安心するんだよ」
「そうなのか?」
「佐助が言うのだ、間違いはないであろう」
長い付き合いの幸村が確かだ、と言うのだ、仕方ないと渋々ながら政宗は少女と向き合って口を開いた。
「アンタ、名前は?」
「…い、市…です」
「お市さんね」
「何があった?ゆっくり話せよ」
「市、にいさまに付いてきて此処に来たの。でもにいさま、市を置いていってしまって…一生懸命追いかけたけど…見失ってしまって…」
なるほどそれで“にいさまが見つからなくて”“置いて行かれる”から、“早く見つけよう”としていたのか。先程の言葉を思い出しながら納得した。それ以外にも何か言っていた気もするが、文章自体がよくわからない文章であったので気にしないことにする。
「…要約すると、迷子か」
まさかな、というニュアンスも大分含めて政宗はそう言った。一回り小さい、と言ってもこの少女…お市は、どう見ても自分や幸村と同い年ぐらいであり、幾らか譲ったとしても中学生には見えない。確かに言動は幼く、高校生とは少し思えないのはあるが、それにしても何だか腑に落ちない状況だ。
いや、そんなことよりも重要な事柄がある。彼女をどうするか、だ。日はもう落ちる。今からその“にいさま”とやらを探すことは不可能だろう。だからと言ってこのまま見てみぬ振りは人道的にどうなのか。政宗と同じことを佐助も考えていたらしい。どうしたものか、と少し考えた後、そうだ!と明るい声を挙げた。
「警官さんに頼もうよ!」
予想外の提案に、政宗は珍しく驚きを露わにする。
「企業の私警官が迷子なんて取り合わねぇだろ」
「それがねぇ…実はこの街、国務警官さんがいるんだよね」
「…嘘だろ」
国の行政機関が実質凍結したことは前述した。そのため必然的に国営機関は運営できなくなり、ほとんどは解散、解体され、企業に吸収されたのである。法の問題などで維持されなければならないと判断された機関も、企業の出す金に依って辛うじて残るのみだ。
そんな中で国務警官が存在していることは、珍しいどころの話ではない。一体どうやって維持されているのだろうか。
「嘘じゃないって。あの警官さんなら絶対取り合ってくれるから大丈夫!」
かなり長い間この街で暮らしている佐助がそう断言するのだから、(しかもこいつはかなり疑り深い性格だ)信頼してもいいだろう、とこれまた幸村の名案だと言わんばかりの表情から無理矢理自分を納得させた。
状況が上手く飲み込めていないのか、先程からずっと不思議そうな顔をしているお市を促して、こっちだと案内する佐助の後を付いていかせる。















*  *  *



大通りの途中、それまで全く気にもしていなかった白い建物の前で立ち止まった。紛うこと無き交番だ。看板だってかかっている。ただ他の建物に混ざって存在感が消えてしまっていた。カーテンの引かれていないガラス窓から中を少し覗くが、明かりが点いていない。人影らしきものも見当たらなかった。
「何だ留守か?」
「あれ、ほんとだ。…おーい警官さーん、浅井のお巡りさーん!」
政宗に続いて窓を覗き、確かに誰もいないことを確認した佐助は辺りを見回した後、大きな声で呼び掛け始める。だが、特に反応は返らない。
「おっかしーなぁー。朝ならともかく、こんな日暮れにいないなんて」
「声が小さいから気付かないのかも知れぬ。もっと大きな声で呼び掛けてみればいいのではないか」
幸村がそう口にした瞬間、佐助は、やばい!、という表情をする。政宗はとっさの判断でお市に、耳を塞ぐように言った。そして自身も急ぎ全力で耳を塞ぐ。
「ちょ、だん」
「浅井殿おおぉおぉぉぉおおおぉおぉ!!!!いらっしゃいませぬかあああああ!!??」
大きく息を吸い込んで、幸村は大音量で叫びだした。僅かに居た通行人が驚いて立ち止まる。耳を塞いでもビリビリと振動が伝わるようだ。顔をしかめながら隣のお市を見ると、驚いた、というよりは呆気に取られた、というように耳を塞ぎながら固まっている。これは最早公害だなと他人事に政宗が考えている間、反対に佐助は必死になって幸村に呼び掛けていた。
「浅井殿おおぉおぉぉぉ!!!」
「旦那!タンマタンマ!」
「浅井殿おおぉおぉぉぉおおおぉおぉ!!」
だがその呼び掛けも、どうやら幸村自身の声にかき消されてしまっている。人目など当然憚っているはずもなく、心なしか通行人の歩行速度が上がっている気がした。暫く話の種にされそうだ。滅茶苦茶他人のフリをしたい、と政宗が溜め息を吐いたその時、




「うるさい!!そんなに叫ばずとも聞こえているぞ武田の門下生!」




丁度政宗達の真後ろから、芯のしっかりした男の声が響いた。幸村の公害級な声がぴたりと止む。
「おお!浅井殿!」
「よかったぁぁあ浅井さぁぁぁん!!」
更に勢いよく振り返って、2人同時に感嘆の声を挙げた。それぞれ別の感動に包まれながら手を振る。
そこにいたのは、紛うこと無き警官であった。今は眉間に皺を寄せているが、端正な顔立ちをした20代ぐらいの男性である。
「あ、伊達ちゃん紹介するね。こちらこの街唯一の国務警官さん」
呆けていたのに目敏く気付いたらしい佐助が政宗に紹介した。
「浅井長政、だ!猿飛、紹介しようとするその心遣いは立派だが、名前ぐらい面倒がらずにきちんと言わんか」
「相変わらず変なとここだわるよね浅井さん」
「名前は大事だろう!」
「あっちは伊達ちゃんね、伊達政宗」
どうも長政とこの2人はなかなかの付き合いらしい。
警官相手にこれだけの軽口が叩けるとは、一体何を機会に知り合ったのかが気になりはしたが、挨拶もそこそこに、とりあえず置いておくことに政宗は決めた。それよりも今は、傍らで少し恐がっているお市をどうにかしなければならない。

「それで、どうしたんだ今日は」
「そうそう、迷子迷子!」
「…貴様がか?」
「んなワケないでしょ、ほらこの子だよ」
幸い向こうから切り出してくれため、佐助は話を本題に切り替えた。そして少し離れたところで政宗と共に立っているお市を手招きする。不安そうにお市が政宗の顔を見たので、大丈夫だ、と言って促してやった。怯えているのは長政が常に怒っているような口調で話しているからだろう。それには意外にも幸村が気付いており、恐々と2人に歩み寄るお市に、(優しい方だから安心してくだされ)と耳打ちし、肩を叩いた。
「何かお兄さんとはぐれちゃったみたいで。一緒に捜してあげたいんだけど、もう日、暮れちゃったし、今からじゃ難しいかなと思って」
「確かに。正しい判断だな」
長政がお市を見る。お市はまだ俯いたままだったが、2人のやり取りを聞きながら様子を窺っているようにも見えた。ようやく怯えていることに気付いたらしい長政は、彼女に目線を合わせるため、その場に膝を付く。
「お前、名前は」
「ああー、えっとお市さんって…」
「貴様には聞いていない。私はこいつに聞いているのだ」
質問は唐突、且つ単純だった。
困惑したお市は、助けを求めて政宗と幸村の方に顔を向ける。政宗はどうすることもできないという様子だったが、幸村はやはり、大丈夫だ、と言うように笑んでいた。

「……市…です…」
戸惑いが露わな小さな声であったが、しっかり返事をしたことに、長政は満足そうに頷く。
対してお市も、長政の眉間から皺が取り除かれたことに安心して、詰めていた息を吐いた。
「兄とはぐれたといったな」
「はい…」
「安心しろ。兄であるならば、向こうもお前を捜している筈だ。明日には連絡があるだろう」
一般的に考えれば、それはその通りである。紙面上の話ではないのだから、むやみに探し回るよりも遥かに確実で安全だ。自信に満ちた表情で、わかったか、と念を押されたお市は、恐る恐る首を縦に振った。
「とりあえず、今夜は署で保護しよう」
「よかったー!浅井さんならそう言ってくれると思ってた!」
飛び上がらんばかりに喜ぶ佐助と幸村の傍ら、政宗も少なからず安心する。気付けば辺りは真っ暗だった。